ビーズうさぎのハナちゃんです!!

日々の生活、山登りや釣り、ドライブなどをアップします。ここの所、巨樹めぐりがメインですが!(汗)

茨城県神栖市、息栖「息栖神社御神木のスギと宮桜・オガタマノキ」です!!

2024-12-16 18:31:02 | 巨樹・大木
 息栖神社の続きです、境内の木々を見て行きます
 

 東国三社息栖神社社號標です

 水郷筑波国定公園特別地域説明版です
 自然の景観と環境を保護するために、この区域は、自然公園法に基づく「特別地域」に指定されています。
 特別地域内で、工作物の設置や木竹の伐採、指定植物の採取など、景観や自然生態系に影響を与えるような行為を行う場合には、県知事の許可が必要となります。
 自然保護と環境美化のため、皆様のご協力をお願いいたします。
   水郷筑波国定公園指定植物一覧(34科124種)  昭和56年3月23日告示
     以下略ですが、ランなどの草本類が多数を占めています

 境内案内図です、社殿手前右側に「オガタマの木」左に「宮桜」、拝殿西側に「御神木」が表示されています

 神門です

 参道左側、ばしょうの注連縄の句碑の先に注連縄の巻かれたスギですが、目的の御神木ではありません

 参道右手の境内社の先にはオガタマノキ(招霊の木)です

 北側から、細い幹の木です

 東側から見ました

 参道左手の那岐(ナギ)の木です

 「宮桜」です、南東側から見ました

 拝殿です

 目的の御神木です、西側から

 南西側から

 南側から、手前には「宮杉」です

 ズームアップして見ました

 東側から見上げました


 本殿です

 では、次へ行きましょう




 2024・12・12・07・20
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千葉県佐倉市、先崎「鷲神社のケヤキ」(市指定)です!!

2024-12-15 06:31:25 | 巨樹・大木
  先崎地区は、佐倉市役所の西北西約9kmのところ
 
 佐倉市役所は、歴博や二度紹介させて頂いている佐倉城跡の東側です

 佐倉市役所東側の国道296号成田街道を北北西へ、佐倉城跡の台地を下ります

 約200mの「市役所下」信号を左(西)へ、道成りに進みます

 約2.6kmで国道は右へそれますが、そのまま直進し左へ大きくカーブして進みます

 約2.3kmで「八千代・印西・国道296号線⇒」の標識に従って信号を右(北西)へ

 約600mの「臼井台」信号で、右からの国道296号に合流し、更に北西へ進みます

 約1.2kmの「上座」信号を右(北)へ、約1.9kmで三叉路は左(北西)へ

 約900mの称念寺前の三叉路を右(西)へ、約400mの先崎地蔵尊前で左(西)へ

 間も無く右手に鷲神社参道の案内板がありますので斜め右(北西)へ

 東向きの鷲神社境内入口です

 右手の道路を進んで、境内北側の道路脇の広場に車を止めさせて頂きました

 鷲神社社號標です

 鳥居です

 鳥居は佐倉市有形文化財指定されています、文面には・・・

 鷲神社の鳥居は、江戸時代中期の寛文13年(1673)に建立された石造の鳥居です。
 鷲神社別当正覚寺の住職・定宥が建立主となり、江戸深川の石屋五郎兵衛が製作しました。
 明神鳥居の形式を持つ鳥居の大きさは高さ388cm、横幅577cmを測り、市内にある石鳥居の中で最大級です。

 参道右手に境内社の祠が並びます

 保存樹林説明版です
   保存樹 佐倉市指定第17号  昭和48年3月1日
 区分   樹林
 名称   鷲神社境内木
 樹種   ケヤキ、イチョウ、モミ、アカガシ、スギ、スダジイ、ヤマザクラ
 所在地  先崎1580
 樹齢   ケヤキ約1000年(選定時)
      その他の木約300~400年(選定時)
 伝来等  承平7(937)年に安産の神を祀り神社が創立された。
      その際植えられたと推定されるケヤキの巨木を中心に、中世末期(戦国時代頃)に植えられた境内木と共に大切に管理保存されている。
 管理責任者 鷲神社氏子総代
     令和6年5月  佐倉市

 拝殿は、南向きに建っています


 立派な本殿です

 説明版です
   佐倉市指定文化財
     鷲神社の本殿・鳥居・ケヤキの大樹
 鷲神社の開創は「佐倉風土記」によると「承平7年(937)7月7日、慈恵僧正、朱雀帝の勅を奉じ、来りて此の神を祀る」とあります。
 本殿は、天保15年(1844)建立されたもので大工棟梁は立石菊右衛門藤原元隆(八千代市下高野)、柱や本殿四面の彫刻は星野理三郎政一(群馬県勢田)の手によるもので、大江山鬼退治を題材としています。
 建立にあたては、近隣の八千代市や印旛村などの人々から奉納金を募ったもので、神社に対する信仰の広がりがうかがわれます。
 鳥居は、寛文13年(1673)定宥が建立したもので、作者は深川の石屋五郎兵衛です。
 鳥居の形式は明神式で、石造の鳥居としては市内では比類のない大きなものです。
 境内にあるケヤキ(二レ科)にお大樹(樹高16m、目通り幹囲6.3m)は、当社開創と共に植えられたものと考えられ、応永年間(1394ー1428)の神社の火災により被害を受けた形跡があります。
 市内においてはこのような古木は珍しく、学術上からも貴重な資料といえます。
     本殿・鳥居  昭和53年 7月26日指定
     ケヤキの大樹 昭和37年12月22日指定
   昭和63年3月31日   佐倉市教育委員会

 *表記の「群馬県勢田」は「勢多」だと思われます、現在の前橋市周辺の市町村ですね

 もう一枚の説明版は、佐倉市民文化資産「先崎鷲神社の神輿及び御輿渡御」です

 拝殿の南側に目的のケヤキの大樹です、南側から

 「御神木」石柱が根元にあります

 東側から

 北東側から

 佐倉市指定天然記念物 鷲神社のケヤキの大樹」の標柱です、側面の文面には説明版とほぼ同様の内容が記されています

 北側から

 北西側から、神社の火事による被害と思われる、幹の中央部が枯れています

 境内西端には石碑が並びます

 では、次へ行きましょう



 2024・12・11・13・10
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栃木県矢板市、泉「矢板市立泉小学校・泉のえのき」(とちぎ名木百選・建指定)です!!

2024-12-14 18:40:40 | 巨樹・大木
 泉地区は、矢板市役所の北約4kmのところです

 矢板市役所東側の旧塩谷街道を北へ進みます

 約1.2kmで左からの建小津30号線に合流する様に信号を右(北)へ

 約1.3kmで県道左手に矢板市立泉小学校があります

 県道右側の泉郵便局の駐車場に車を止めさせて頂きました

 泉小学校校庭南東側の校門です

 校門前から校庭に立つ目的の「泉のえのき」です

 門扉のそば(南南西側)から見上げました

 説明版がります
   泉のエノキ
 このエノキは、樹齢推定300年、幹回り3.58m、樹高15.5m、枝張りは東西19m、南北21.5mという大きさです。
 泉城主の岡本氏が三島明神の参道に2本寄進したと伝えられています。
 その内の1本がこのエノキで(もう1本は、火災で枯れる。)、現在は泉小学校の校木として、愛称「甘実(あまみ)の木」と呼ばれ児童達をやさしく見守っています。
 また、このエノキは栃木県天然記念物に指定されているほか、県の名100選、市の名木10選のいずれにも選定されています。

 立派な泉小学校の校舎を見ました

*ちなみに「とちぎ名木100選」は下記の通りです
 県の「とちぎ100選」選定事業の一つとして、 県民と市町村から推薦された「名木」の中から、 「とちぎの名木100選選定委員会」において、市町村にも配慮して選定を行い、「とちぎの名木100選プラス1」を選び、 平成元年6月15日の県民の日に公表されたものです。
番号 名  称 所在地の地名
番号  名称         幹周  所在地             天然念物指定
1 那須のごようまつ      1.7 那須郡那須町湯本182
2 八幡のみねざくら      1.6 那須町大字湯本字八幡崎       県指定
3 芦野城址のこうやまき    5.4 那須町大字芦野(桜ヶ城址公園)   県指定
4 寺子のさくら        6.6 那須塩原市寺子
5 (×)赤坂のかしわ      2.9 那須塩原市越堀(熊田坂温泉神社)   県指定
6 木の俣地蔵のかつら    7 那須塩原市百村
7 逆杉(2本)       10.9 那須塩原市中塩原(塩原八幡宮)    国指定
           7.3
8 塩原八幡宮の大とち   4.9 那須塩原市中塩原11
9 塩原嶽山箒根神社の大すぎ  8.7 那須塩原市宇都野(嶽山箒根神社)
10 (×)雲照寺の大松      4.7 那須塩原市三区町(雲照寺)
11 成田山のゆずりは     3.2 大田原市本町1丁目(成田山)
12 高性寺のかや        3.9 大田原市薄葉1366
13 滝岡温泉神社のあかがし  5.8 大田原市滝岡宮内(滝岡温泉神社)
14 大野室のいちょう    6.5 大田原市寒井(三嶋神社)        県指定
15 磯上のやまざくら      4.3 大田原市両郷              県指定
16 西行桜         1.8 大田原市佐良土(法輪寺)
17 観音寺のしだれざくら   3.3 那珂川町吉田字寺屋敷(観音寺)
18 北向田のけやき     6 那珂川町北向田(向田神社)       県指定
19 馬頭院の枝垂栗      3.1 那須郡那珂川町馬頭188        県指定
20 戸隠神社のいちょう   5.9 那珂川町大内(戸隠神社)       県指定
21 鷲子山の千年杉    6.9 那珂川町矢又(鷲子山神社)
22 (×)観音寺のきゃらぼく 1.5 那須烏山市神長(観音寺)
23 太平寺のかや       3.5 那須烏山市滝395
24 八ヶ代西山辰街道の大ざくら 5.5 那須烏山市八ヶ代
25 八ヶ代菩提久保のボダイジュ 2.1 那須烏山市八ヶ代(地蔵堂)
26 白鬚神社の神木けやき    4.9 塩谷郡高根沢町宝積寺88
27 今宮明神のいちょう    4.6 さくら市馬場(今宮神社)
28 穂積小学校学校記念の松 2.6 さくら市穂積478
29 泉のえのき         3.6 矢板市泉378            県指定
30 塩田の笠松        2.8 矢板市塩田
31 荻野目のさいかち(2本) 2.9 塩谷町大字原荻野目
          2.9
32 船生のひいらぎ      3 塩谷町大字船生             県指定
33 長畑のひいらぎもくせい 2.8 日光市長畑522−2          県指定
34 法蔵寺のいとひば      3.4 日光市大桑町270
35 上三依観音堂の大いちょう 10.3 日光市上三依(観音堂)
36 熊野堂の大さわら      5.1 日光市上三依(熊野堂神社)
37 湯西川のねずこ大木     6.4 日光市湯西川字川戸(川戸氏神)
38 平家杉           7.2 日光市上栗山ネキシャ
39 日光のひめこまつ      3.2 日光市御幸町              県指定
40 日光太郎杉        5.6 日光市山内(日光東照宮)
41 金剛桜         4.1 日光市山内(輪王寺)           国指定
42 東照宮のこうやまき   4.4 日光市山内(日光東照宮)
43 中宮祠のいちい(2本)   4.2 日光市中宮祠(二荒山神社)      県指定
          3.7
44 磐裂神社御神木ひのき  3.1 日光市足尾町3−5430−2
45 粟野のかや         5.7 鹿沼市口粟野(稲荷神社)        県指定
46 寄居のえのき         4.6 鹿沼市久野
47 勝願寺の地蔵けやき    6.5 鹿沼市油殿(勝願寺)           県指定
48 加蘇山の千本かつら    8 鹿沼市上久我(加蘇山神社)        県指定
          6.6
49 喜久沢のつくばねがし  6 鹿沼市見野802 県指定
50 成就院のしだれあかしで    2.3 鹿沼市楡木町(成就院)       県指定
51 金剛定寺のかや      4.3 宇都宮市上桑島町1041        県指定
52 旭町の大いちょう      6 宇都宮市中央1丁目
53 新町のけやき         7.9 宇都宮市新町2丁目(八坂神社)      県指定
54 赤門のさくら         3.1 宇都宮市塙田1丁目(慈光院)
55 延命院のとちのき      3.4 宇都宮市泉町4−30
56 祥雲寺のしだれざくら 5 宇都宮市東戸祭1丁目(祥雲寺)      県指定
57 徳次郎のけやき(2本)    8 宇都宮市徳次郎町(智賀都神社)       県指定
            7.3
58 羽黒山神社の夫婦杉    4.5 上河内町大字今里字河内山(羽黒山神社)
59 下小倉下組大すぎ      3.8 宇都宮市下小倉町
60 下ヶ橋の三ッ股かや     5.1 宇都宮市河内町下ヶ橋          県指定
61 下高根沢安住神社のけやき 4.6 芳賀郡芳賀町下高根沢4079
62 日枝神社のすぎ       4.2 市貝町市塙(日枝神社)
63 九石のけやき         7.3 茂木町大字九石              県指定
64 小貫のいろはもみじ   3.5 茂木町大字小貫              県指定
65 西明寺のこうやまき    5.4 益子町大字益子(西明寺)        県指定
66 太子の笠松         1.4 真岡市亀山1丁目26−5         県指定
67 北中里のえのき       4 真岡市中
68 遍照寺のかや         6 真岡市中(遍照寺)            県指定
69 仏生寺のけやき(2本)    5.6 真岡市南高岡(仏生寺)           県指定
             5
70 沖のけやき       5.8 真岡市二宮町大字沖(大沖神社)        県指定
71 芳全寺のしだれざくら   2.7 真岡市二宮町大字久下田(芳全寺)
72 満願寺のかや         5.1 上三川町大字東汗(満願寺)
73 (×)石橋の大けやき   5.6 下野市下古山
74 (×)円宗寺のけやき    9.2 壬生町大字上稲葉(円宗寺)          県指定
75 西方のしだれざくら  3.4 栃木市西方町大字元
76 真上のけやき       8.1 栃木市西方町大字真名子
77 龍興寺のしだれざくら     3.2 栃木市都賀町大字大柿
78 家中小のナンキンハゼ    2 栃木市都賀町家中2740
79 大山寺のいわしだれざくら  2.5 栃木市平井町(大山寺)
80 (×)柴南薬師堂のもみ    4.4 下野市柴(柴南薬師堂)
81 龍興寺のしらかし    4.3 下野市薬師寺(龍興寺)
82 小宅八幡宮のかや    4.2 小山市小宅1289
83 城山公園のいちょう    6.1 小山市城山町1丁目(城山公園)
84 (×)胸形神社のえのき  5.8 小山市大字寒川(胸形神社)
85 野木神社のいちょう    9 野木町野木(野木神社)
86 雷電神社のしいのき    6.6 栃木市大平町大字富田字神ノ倉(雷電神社)
87 (×)千歳の松      1.9 栃木市岩舟町大字新里(新里不動堂)
88 (×)竜化の松      2.6 栃木市岩舟町大字下津原(高平寺)
89 藤岡神社のけやき(2本) 4.7 栃木市藤岡町藤岡(藤岡神社)
          5.7
90 植野小のスズカケ      4.5 佐野市植上町(植野小学校)
91 (×)佐野小のはくもくれん 1.7 佐野市金屋下町(佐野小学校)
92 東光寺のコウヨウザン    3.1 佐野市中町(東光寺)
93 出流原の「日の出」椿    2.1 佐野市流出原
94 鑁阿寺の大いちょう    9 足利市家富町(鑁阿寺)
95 足利学校跡のナンバンハゼ 2.5 足利市昌平町(足利学校跡)         県指定
96 竜泉寺のかや         8.1 足利市稲岡町(竜泉寺)
97 船越薬師堂のひいらぎ  2.2 佐野市船越町(薬師堂)     県指定
98 丸嶽山神社のけやき    7.6 佐野市多田町(丸嶽山神社)    県指定
99 葛生小の大けやき(2本) 4.4 佐野市葛生西1丁目(葛生小学校)
           4
100 宝出山のもみの木     4.8 佐野市秋山町(川野敏雄氏)
101 遊行柳           0.9 那須町大字芦野

*リストとしては101件が指定されていますが、既に枯れてしまったものが10件となっています
 今回の7件を含めて既に68件を投稿させて頂きました、残り22件の「とちぎ名木100選」が見られそうですので、ご期待ください
注:数値は選定時のものです。 *は訂正した数値(平成19年現在推定)です。名称欄の(×)は、枯損等により消滅したものです。

 今回はここまでにします、まもなく陽が暮れそうですので埼玉へ戻りましょう
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栃木県日光市、大桑町「法蔵寺のいとひば」(とちぎ名木百選・市指定)です!!

2024-12-13 18:45:00 | 巨樹・大木
 大桑町は、日光市役所の北約5kmmのところ

 日光市役所の西側道路を北北東に出て、約100mで信号を左(西北西)へ、国道119号線です

 約1.2kmの「春日町」信号を右(北北東)へ、国道121号線です

 約2.8kmの「倉ヶ崎新田」信号を斜め左(北東)へ、旧道の国道121号線です

 約2.1kmで国道が右へ直角に曲がるカーブを左(西南西)へ入ると

 約100mで斜め左に入り法蔵寺参道入口です

 *一度本堂前まで参道左側の車道を上がって駐車場に入りました
 *このブログ 2020年04月14日で、2020年桜、栃木県日光市、大桑「法蔵寺のシダレザクラ」で一度紹介させて頂いております

 法蔵寺寺号標です

 参道石段をのぼって参道を進みます

 山門の赤門です、柱には徳川家菩提所、新田義貞公御令孫開創と書かれています

 説明版です
   徳川将軍御許  赤門
 江戸時代、当地には徳川御三家の本陣が置かれました。
 法蔵寺は、本陣防御と徳川家歴代尊位菩提のため、正保2年(1645年)法蔵寺第9代曄運上人の時、隣村より当地に移転。大規模増築がなされました。
 その際、徳川家菩提所として、将軍より赤門を冠する旨の御許が下りました。
 明治戊辰戦争の戦火の難を逃れた貴重な建造物です。

 参道右手南向きに六地蔵様です

 左手西向きに地蔵堂「子安子授延命地蔵尊」です

 右手に鐘楼です、どなたでも搗けるようです

 境内案内図に説明書きです
   徳川将軍より赤門を許された寺
     赤門の寺「法蔵寺」縁起
 法蔵寺は、正式には「真命山 心光院 法蔵寺」といい。宗派は浄土宗です。
 南北朝時代、後醍醐天皇の朝廷(南朝)の総大将を務めた新田義貞公や新田家一族を弔うため、義貞公の孫にあたる良徳公により1389年(康応元年)に創建されました。
 江戸時代、日光東照宮へ全国の諸大名が参拝するようになると、徳川御三家(尾張・紀伊・水戸)本陣が、日光街道から少し奥まった当地「大桑宿」に置かれました。
 それに伴い法蔵寺は、本陣防衛と徳川家歴代尊位菩提のため隣邑より当地に移転。徳川家の多大な助力とご寄進により、法蔵寺は下寺約二十数ヶ寺を抱え、また伽藍が大増築され、名実ともに大規模寺院となりました。
 このとき将軍家から徳川家菩提所の証として「赤門」を冠することを許されました。
 明治に入り、法蔵寺は戊辰戦争(1868年)で新政府軍による計画的な焼き討ちにあい、「赤門」を残し灰燼に帰しました。
 現在、本堂横にある「カシノキ」にお焼けただれた木肌が、戦火の凄まじさを物語っています。
 法蔵寺のご本尊様は、女人守護・女人厄除に霊験のある「阿弥陀如来像」です。
 境内には、赤門をはじめ天然記念物・とちぎ名木百選「法蔵寺のいとひば」、地域最古の「庚申塔」、子育子授延命「地蔵尊」があるほか、多数の念佛講の碑が残されています。
 また、とげぬき観音「如意輪観音像(秘仏・1月ご開帳)」「徳川歴代将軍位牌」「地獄絵図十幅(十王絵図・8月公開)」「大涅槃図(2月公開)」など数多くの寺宝が伝わります。
 また、当寺は天皇勅許の十夜法要(11月開催)を古くから継承しており、その法要で鳴らされる「一子相伝 十日十夜双盤念佛」は全国的にも伝承が少なく、法蔵寺が念仏を柱とする信仰の拠点である由緒を知る貴重なものです。

 本堂です、目的のイトヒバの樹冠が見えています

 本堂前にも六地蔵様です

 本堂裏側に廻って来ました、寺務所の裏の位置に目的のイトヒバです

 西側から

 「とちぎ名木百選 法蔵寺のいとひば」の標柱です

 説明版ですが薄くなってしまって読めませんでした(ネットからの説明文です)
   日光市指定文化財
     法蔵寺のイトヒバ
 種類    天然記念物
 員数       1本
 樹高      24m
 目通幹囲  380cm
 枝張り   東5.0,西5.0、南5.0、北5.0m
 推定樹齢  約350年
 指定理由  由緒あるイトヒバの巨木
       法蔵寺はもと倉ヶ崎にあったが、江戸時代初頭の正保2年(1645年頃)現在地に移封した。
       この木はそのときに植栽されたものと考えられる。
       戊辰戦争の際、寺は焼けてしまったが、このイトヒバは焼けずに残った。
       とちぎの名木百選にも選ばれている。
   昭和41年3月22日指定    日光市教育委員会

 西南西側から

 南西側から

 南側から見上げました

 では、次へ行きましょう
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栃木県鹿沼市、見野「喜久沢神社・喜久沢のつくばねがし」(とちぎ名木百選・県指定)です!!

2024-12-12 19:38:22 | 巨樹・大木
 見野地区は、鹿沼市役所の北西約5kmのところ

 鹿沼市役所を東へ出て約150mで「市役所前」信号を左(北)へ、国道121号日光例幣使街道です

 約1.1kmの「御成橋西」信号で、国道121号線を右に分けて直進します

 道成に約4.3kmで「喜久沢神社」の社號標を斜め右(北)へ入ります

 赤い鳥居を潜り真っ直ぐに進みます

 道の奥に防獣柵が見えましたので、車を道路脇に止めて行きました

 社號標です、側面には「萬里小路中納言藤原藤房卿遺跡」と彫られています

 社務所の建物の後側にツクバネガシの樹冠が見えました

 喜久沢神社参道(南西側)から根元が見えました

 参道から少し上がって西側から目的のツクバネガシです

 「とちぎ名木百選 喜久沢のつくばねがし」の標柱です

 説明書きです
   栃木県指定 天然記念物
     喜久沢のツクバネガシ 1本
        所有者    喜久沢神社
        昭和56年12月2日指定
 樹高26m、胸高周囲6m、枝張り東西34m、枝張り南北33m、推定樹齢600年
 ツクバネガシは、ブナ科の常緑高木で、本州中部以南の山野に自生し、本県では県の南部の照葉樹林の中で少数見られます。
 枝の先の葉がやや輪状にならんで付くため、「つくばね」に見立てて、この名が付けられています。
 喜久沢のツクバネガシは、喜久沢神社の杉植生林の中で、周囲の杉と枝を接しながらも、その雄大な姿を見せています。
 地上約2mのところで3本の太い枝に分かれ、それがさらに傘を広げたように四方に枝を広げ、天を覆っています。
 その樹勢は、極めて旺盛です。
     栃木県教育委員会・鹿沼市教育委員会

 北西側から

 北側から、支柱に支えられています

 北東側から見上げました

 参道西側にはモミジと欅、杉の大木です

 参道を進みます

 参道石段です

 喜久沢神社碑です

 関東東北豪雨の記念碑です
   関東東北豪雨被災本殿等修繕復旧事業竣工記念碑
     聞が澤への想い  地域の和と絆をもって ここに築く
         平成31年(2019)4月吉日
 経過概要
 当神社は、地区内の守り神として、古く南北朝時代(1330年の頃)、後醍醐天皇の側近として活躍された万里小路藤原藤房卿が、この地に隠遁されていたことから、藤房卿を主祭神として弘化4年(1847年)に創建され、以来、菊沢地区をはじめ多くの方々により祀られてきた神社であります。
 地区名である「菊沢」の由来とされる当喜久澤神社が、平成27年(2015年)9月10日から11日にかけ、周辺地域にも甚大な被害をもたらした関東東北豪雨により、これまでに類のないほどの大きな被害を受けました。
 豪雨により流れ出た土砂・流木により本殿、拝殿が土砂に埋まり、また、本殿は流木により一部崩壊しました。
 さらに参道は、雨水流水により3m余の深さまで掘削され、その土砂は、参道入口付近の畑にまで達していました。
 その被災した本殿等の修繕復旧のため、総代会いおいて協議・検討し、地区自治会・各種団体等の協力を得て、平成28年7月3日に喜久澤神社本殿等修繕復旧事業推進委員会を設置しました。
 その後、度重なる会議にて修繕方法や寄進募集について協議を深め、一致団結のもとに寄進募集活動に取組み、多くの方々のご協力のもと目標額を達成することができ、本殿等の移動修復工事とともに境内等の整備を進めてまいりました。
 また、裏山の土砂流出への今後の対策として、県への要望を重ね、保安林の指定を受け、二段のコンクリート土止めの施工となりました。
 被災後3年7か月の期間を要しましたが、地区内外の多くの人々の温かな気持ち・和・絆をもって、ここに竣工の日を迎えることができました。
 これ偏に、地区内住民をはじめ、崇敬者皆様の深いご理解とご支援によるものと、厚くお礼を申し上げます。
 この後も末永く地域の安全と繁栄発展、さらに多くの皆様のご健勝を見守り下さるよう祈願を込め、ここに記念碑を建立いたします。

 イチョウの切株からはヒコバエが成長しています

 手水舎です

 再建なった拝殿です


 本殿です

 本殿裏側の沢奥にはコンクリート土止めが見えました

 では、次へ行きましょう
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栃木県佐野市、秋山町「宝出山のモミノキ」(とちぎ名木百選)です!!

2024-12-11 18:31:00 | 巨樹・大木
 ここからは、2024年12月7日に墓参りの次いでに、「とちぎの名木百選」の取材出来ていなかった分の一部の取材をしてきました

 秋山地区は、佐野市役所の鉾北西約23km、佐野市役所葛生庁舎の北西約12kmのところ

 平成17年(2005)2月28日に(旧)佐野市・安蘇郡田沼町・葛生町が新設合併し新たに佐野市となりました、

 秋山地区は、旧葛生町の北西端の広い地区です、雪で峠路が閉ざされない内は林道大荷場木浦沢線で、鹿沼市上粕尾へ抜けることが出来、二輪車のツーリングコースとなっています

 佐野市役所葛生庁舎西側の国道293号線を北へ

 約300mで秋山川を葛生大橋で渡って直ぐの信号を左(北北西)へ、秋山川に沿う様に県道200号(正雲寺バイパス)を進みます

 約3.0kmで「⇙秋山、県道200号線」の標識に従って「仙波」信号を左(西北西)へ

 道成に約9.2km秋山川の谷を詰めて行くと

 「栃橋」の直ぐ先に

 「宝出山のもみのき⇒1.0km」の標柱があります

 ここを入りますが間も無く砂利の林道に変わります

 約800mで林道分岐に木材の集積所があります、ここは直進して右の林道に入りました、目的地までは150m程です

(ここに車を止めて歩いて行くことをおすすめします、右側に林道の奥は林道が崩壊していて約400mで通行止めでしたのでバックで戻って来ました)

 左手の斜面のスギ林の中に目的のモミノキが見えました

 すぐ先の林道脇に標柱が建っています

 「とちぎ名木百選 宝出山のもみの木」です

 すぐ脇を上がると杉に注連縄が渡してあります、奥に石祠が見えますので鳥居の代わりの結界となっているようです

 石祠です、お名前は分かりませんが山神様だと思われます

 モミノキを南側から見上げました

 南西側から、南側の太い根が斜面の重力を支えているようです

 南東側から、目通り幹囲4.8m、樹高38m、推定樹齢300年と大木です

 東側から、幹の北側の面にはマツ科らしい樹皮が見られました

 では、次へ行きましょう
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岩手県住田町、世田米清水沢「浄福寺参道のイチョウ群」です!!

2024-11-30 18:45:00 | 巨樹・大木
 世田米清水沢地区は、住田町役場の北西約600mの気仙川対岸のところです

 住田町役場を南西に出て、国道340号線を北西へ

 約900mの美土里橋を渡って直ぐの信号を右(北東)へ

 約600mで左(北東)へ直ぐの左手に

 浄福寺参道です

 参道入口に車を止めさせて頂きました

 参道左手にスギの大木が並びます、一番手前が合体木ですが目通り幹囲8.5mの巨木です

 三本が寄り添っています

 北側から

 さらに3本が間を置いて並びます
 
 単幹では一番太いと思われるイチョウです

 北側から、目通り幹囲5.7mとされるイチョウのようです

 更に3本のイチョウです

 参道を登った駐車場入り口のイチョウです

 北東側から見ました

 境内入口石段です、石段の上に松の樹冠が見えます

 参道右手に傘松です

 幹を見上げました

 鐘楼です

 本堂です

 本堂南側のモミの巨木は、親鸞聖人像に変わってしまいました

 南側から見上げました、モミはかつて目通り幹囲5.0mの巨木でした

 では、次へ行きましょう



 2024・10・19・14・40
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岩手県住田町、上有住中井「上有住の一本松」です!!

2024-11-30 06:34:00 | 巨樹・大木
 上有住中井地区は、住田町役場の北約6kmmのところ
 
 住田町役場を南西側に出て、国道340号線を北西へ進みます

 道成りに約3.4kmで「遠野・国道340号線⇗」の標識に従って信号を右(北西)へ

 約5.2kmで左手に「万福寺の門杉」入口を過ぎて約1.7kmで

 道路右手(南側)に形の良い大きなアカマツがあります、後方には気仙川に架かる小台橋です

 すぐ先の交差点北側に車を止めさせて頂きました

 夢がかがやく上有住(かみありす)史跡・景勝地案内板です、左下の赤〇が表記の一本松です

 北東側から

 東側から、一本松の案内板と一緒に

 南東側から

 東側から幹を見上げました、目通り幹囲3.4mの大木です

 幹に薬剤注入の表示が止められています、施工令和3年2月17日・樹木番号30・胸高直径109cm等の表示があります

 北側から

 西側から

 道路北側の北西側から

 北側から見ました

 では、次へ行きましょう



 2024・10・19・14・20
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岩手県住田町、下有住十文字「万福寺の門スギ」(町指定)です!!

2024-11-29 18:39:00 | 巨樹・大木
 下有住十文字地区は、住田町役場の北約6kmのところ

 住田町役場を南西側に出て、国道340号線を北西へ進みます

 道成りに約3.4kmで「遠野・国道340号線⇗」の標識に従って信号を右(北西)へ

 約5.1kmの「下有住郵便局」の先約200mで左手に万福寺の寺号標が見えますので、左(北西)へ入ります

 間も無く南東向きに万福寺参道入口です

 石段の両脇に目的の門杉です

 参道右(東)側の道路脇に車を止めさせて頂きました

 北東側から二本を魔ました、手前が参道右(東)側のスギです


 参道石段左(西)側のスギです

 北東側から。目通り幹囲4.6mの大木です

 北側から


 参道石段右(東)側のスギです


 西側から、目通り幹囲5.6mの巨木です

 北西側から


 参道石段を上がります

 本堂です

 説明版です
   外舘城(とだてじょう)と万福寺
 外舘城は、応永年間(1394~)葛西の臣紺野美作守の居城(気仙風土草)、或は、紺野右近の居城であったと言われ、東西30m、南北40mの本丸、ここを中心に、三段土檀が取り巻き、苗代沢より水を引き、中腹から水路を通して気仙川に捨てる等、優れた技法で築城されている。
 場内中段に天正元年(1573)曹洞宗普門寺3世勅得賜俊明佛覚禅師大竜長熈大和尚の開創された、金昌山萬福寺がある。
 当寺は、城主紺野美作守に関係があると考えられるが、明治2年旧3月4日、19世十州大和尚焼死示寂とともに、本堂庫裡建物一切火災に遭い、貴重な書類什宝を焼失している。
 その後、昭和3年本堂を再建し、今日の伽藍を見るに至っている。

 では、次へ行きましょう



 2024・10・19・14・10
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岩手県住田町、下有住高瀬「長桂寺の門スギと杉」です!!

2024-11-29 13:07:00 | 巨樹・大木
 下有住高瀬地区は、住田町役場の北西約4kmのところ

 住田町役場を南西側に出て、国道340号線を北西へ進みます

 道成りに約3.4kmで「遠野・国道340号線⇗」の標識に従って信号を右(北西)へ

 約2.7kmの横断歩道の手前を右(東)へ入って気仙川を高瀬橋で渡ります

 右手に「長桂寺の杉」が見えますが、先に「玉桂」を見て来ました

 西向きの参道入口です

 石碑が並びます、右後方の黄葉した木が「玉桂」です

 参道を進むと「長桂寺の門杉」ですね(カメラのレンズに水滴が付いています)

 目的の「長桂寺の杉」です

 御月山 長桂寺寺号標です

 北側から

 北東側から、目通り幹囲5.6mの巨木です
 
 手水です

 東側から

 門杉を見ました

 本堂です

 説明版です(右側の中清水観音から)
   気仙三十三観音十五番札所
     中清水観音(なかしずかんのん) 
 中清水現当主の吉田孝守さんによると、「昭和8年に長桂寺の本堂を新築した時、ご本尊の前仏がないというので、中清水観音を寺に寄贈した」という。
 長桂寺の阿部住職も「それ以来、寺に”永久預け”となっており、十六番札所(聖観音菩薩)との2つの観音像が寺に安置されている」と話している。
 中清水観音は水月観音ともいわれ、高さ20cmほどの小さな仏像だが「唐仏」とある通り、東洋と西洋が融合したようなエキゾチックなイメージを漂わせる。
     住田町下有住字高瀬145
   気仙三十三観音十六番札所
     長桂寺聖観音(ちょうけいじしょうかんのん)
 この寺は宮城県栗原市涌谷の竜渕寺の末寺とされ、開基は古く、天文23年(1554)室町時代後期に当たる。
 寺号の由来となっている樹齢800年とも1000年とも言われる「玉桂(たまかずら)」が本堂の北側100mのところに豊かな枝を伸ばしている。
 内陣正面に、ご本尊の釈迦如来像をはさんで、向かって左側が聖観音、右側に中清水観音(十五番札所)が祀られている。
 1カ所に2つの観音さま(札所)があるのは、気仙三十三観音霊場でもここしかない。
     住田町下有住字高瀬145
   
 では、次へ行きましょう




 2024・10・19・14・00
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岩手県住田町、下有住高瀬「長桂寺の玉桂とカヤ」です!!

2024-11-29 06:39:00 | 巨樹・大木
 下有住高瀬地区は、住田町役場の北西約4kmのところ

 住田町役場を南西側に出て、国道340号線を北西へ進みます

 道成りに約3.4kmで「遠野・国道340号線⇗」の標識に従って信号を右(北西)へ

 約2.7kmの横断歩道の手前を右(東)へ入って気仙川を高瀬橋で渡ります

 右手に長桂寺の参道です、「長桂寺の杉」が見えます

 道路右手に「玉桂」が見えました

 手前の道路脇に車を止めさせて頂きました

 南西側から

 南側から、目通り幹囲16.7mの巨木です

 説明趙慶次
   玉桂と長桂寺
 天文23年(1554年)一翁舜獄大和尚により開基された。
 寺の寺号を、近くに高く聳え立つ桂があることから長桂寺と定めた。
 当時は旅する人達の目標(めじるし)となる高い桂だったに相違ない。
 其の後落雷により幹は倒れ、その根本から数十本の芽が伸びて、遠くからの眺めは大きな玉のようだったので、人呼んで玉桂という。
 その根本から豊量の湧き水が出て付近の住民から崇拝されている桂である。
 享保3年(1718年)高田村佐々木三郎左エ門が詠んだ「気仙三十三観音十六番札所御詠歌」に
     永き世の 法のしるしや玉桂 花咲く春に あうぞうれしき
 この桂の樹齢は800年~1000年は経っているであろう。
                  住田町

 南東側から、第一世代は説明版の通り無くなっています

 東側から

 根元には「水神宮」の祠です、もう一つの祠と石祠のお名前は分かりませんでした

 東北東側から

 北東側から

 北側の根元近くの水場には湧水があります

 玉桂の北側にカヤの大木です

 南側の幹です、目通り幹囲4m(目測)の大木です

 西側の幹です、なぜか新聞受けがぶら下がっています

 北側道路から見ました

 南西側から

 南側からも

 では、長桂寺へ行きましょう



 2024・10・19・13・50
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岩手県遠野市、小友町29地割「大葛沢のサワグルミ2本」です!!

2024-11-28 18:32:00 | 巨樹・大木
 小友町29地割地区は、遠野市役所の南西約14km、遠野市役所 市民センター小友地区センターの南南東約5kmのところ

 遠野市役所 市民センター小友地区センター北側の道路を西へ進みます

 約500mの「⇙大船渡12km」の標識に仕上がって左(南東)へ、国道107号線へ出ます

 約5.4kmでスギ林の手前を左(東)へ入ると

 目的のサワグルミが見えて来ます

 手前の道路脇に車を止めさせて頂きました

 目的のサワグルミは2本並んでいますが、東側の1本は幹が途中で伐られています

 西側の一本を南西側から

 南側から、目通り幹囲5.1mの巨木です

 もう一本を南側から

 南東側から、目通り幹囲4.1mの大木です

 天然記念物標柱です

 東南東側から2本を見ました

 東側から

 道路から見ました

 では、次へ行きましょう




 2024・10・19・13・20
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岩手県遠野市、小友町32地割「大洞の千本カツラ」(市指定)です!!

2024-11-28 12:32:00 | 巨樹・大木
 小友町32地割地区は、遠野市役所の南西約13km、遠野市役所 市民センター小友地区センターの東南東約3km

 遠野市役所 市民センター小友地区センター北側の道路を西へ進みます

 約500mの「⇙大船渡12km」の標識に仕上がって左(南東)へ、国道107号線へ出ます

 約3.1kmで「大洞」バス停の手前を左(東)へ入ります

 約400mで道路が電気柵で封鎖されています

 前の道路脇に車を止めさせて頂きました

 電気柵が遠野遺産第74号「千本カツラ」の標柱の間を通ています

 右手の砂利道の先に大きなカツラが見えました

 目的の「大洞の千本カツラ」です

 西側から見上げました

 遠野市指定天然記念物「千本カツラ」の標柱です

 *グーグルマップでは小友の千本カツラ(大洞の千本カツラ)となっています

 南西側から、目通り幹囲19.4mの巨木です

 南側から、第一世代は既に姿を消して大きな空間に成っています

 根元には東向きに祠です

 南東側から

 東側から

 北東側から見上げました

 南側の一段高い耕地の縁から見ました

 では、次へ行きましょう



 2024・10・19・13・10
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岩手県奥州市、江刺米里荒田表「自徳寺のイトヒバとイチョウ(市指定)」です!!

2024-11-27 18:57:00 | 巨樹・大木
 江刺米里荒田表地区は、奥州市役所の東北東約18km、奥州市役所江刺総合支所の東北東約13kmのところですが

 今回は花巻市東和町田瀬21区(国道107号線と県道27号線・県道178号線の交差点)から南下して来ました

 花巻市と奥州市の界から、南へ花巻市学問沢地区です、約5.8kmの「荒町橋」手前で斜め右(南西)へ県道27号線から外れます

 約300mで丁字路を右(北東)へ、坂道を登って間も無く斜め左(北北西)へ進むと

 自徳寺前の駐車場に入りました

 南東向きに山門です

 山門脇にモミジの古木です

 幹に古木感が出ています

 幹の洞から根が出ています

 北東側から

 六地蔵様です

 参道石段を進みます

 鐘楼です

 手水舎です

 イトヒバです

 説明版です



  北東側から

 本堂です

 目的のイチョウは本堂西側の墓地入口に立っています

 東側から

 南側から

 南西側から

 西側から

 南東側の駐車場へ戻る時にふり返って見ました

では、次へ行きましょう




2024・10・19・12・00
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岩手県花巻市、東和町田瀬「田瀬舘跡の杉」(市指定)です!!

2024-11-27 13:07:00 | 巨樹・大木
 東和町田瀬地区は、花街市役所の南東約18km、花巻市役所東和総合支所の南東約12kmのところです

 こんかいは遠野市側から入りましたので、遠野市と花巻市の界からのルートで説明させて頂きます

 遠野市市内から東北横断自動車道の守谷インターを降りました、信号を右(北)へ、国道107号線です

 約800mの猿ケ石川の沢田橋を渡った「⇐盛岡・北上・花巻・国道283・107号線」の標識に従って信号を左(西)へ

 道成に猿ケ石川沿いを約3.9kmで「⇖横手・北上・国道107号線」の標識に従って斜め左(西)へ

 さらに道成りに猿ケ石川に沿う様に約3.8kmの「屏風岩」の先の切通しが遠野市と花巻市の境界です

 道成に約3.0kmの県道27号線と県道178号線の交差点を右(北)「宮森」方向へ、県道1768号線です

 約2.1kmで右手に「田瀬湖中通パーキング」があります

 駐車場に車を止めさせて頂きました

 かつて湖面で使われていた船が展示されています

 説明版です
   第二東和丸の歩み
 花巻市東和町の田瀬地区は、小倉、中通、白土の三つの行政区に分かれ、農協の支所や派出所、診療所、中学校があった中通集落が中心地となっておりました。
 しかし、昭和29年の田瀬ダムの完成に伴い中通集落が分断され、24戸が向田瀬側に取り残された格好となりました。
 田瀬大橋がまだ架設されておらず、田瀬湖の対岸に行くためのルートは、ダムの堰堤か、上流にあるつり橋の白金橋だけでした。
 当時はバスもなく、向田瀬と中通の約1kmを結ぶため、昭和35年に渡し舟「第一東和丸」が就航しました。
 その後、木造船の第一東和丸が老朽化し、昭和45年に鉄製の第二東和丸(展示船)に引き継がれました。 
 船体の長さ9.5m、幅2.5mの19人乗り。乗船は無料で通学や通院、荷物の運搬などに利用されておりました。
 最盛期は、1日7往復運航していましたが、冬場は砕氷して航路を確保するため、夜中も3回ほど運航し、所要時間は、夏場は10分、冬場は30分ぐらい要しました。
 その後、向瀬田地区まで道路が整備され乗合バスが運行されたことから昭和57年3月をもって渡し船は廃止となりました。
 その後、第二東和丸は、民間に払い下げられましたが、平成18年11月、この地に保存、展示することになりました。
       制作 平成21年12月 田瀬地域コミュニティ会議


 舳先側から見ました

 エンジンが載っています

 目的の「田瀬舘跡の杉」の案内図と説明版です
   花巻市指定天然記念物(植物)
     田瀬館跡の杉(たてだてあとのすぎ)
       法量  目通り幹囲4.65m、根元回り5.95m、樹高約25m、樹種 スギ
       指定年月日  昭和51年9月27日
       所在地    花巻市東和町田瀬
 田瀬舘は、天正19年(1591)に江刺氏(のちの土沢城主)の舘跡で、この杉は、その田瀬舘があった場所に生育しています。
 樹齢は400年以上あると推定されます。杉の根元には、祠が祭られています。
 🔳所在地
 田瀬舘跡の杉は、田瀬湖中通駐車場より歩いて3分ほどの場所にあります。
 途中、未舗装の道となり、土手を登らなければならない場所もありますので。足元には十分注意して探訪してください。
 なお、田瀬舘跡の杉の南東側は、斜面が急な崖となっておりますので、気を付けてご見学願います。
          花巻市教育委員会
       
 「田瀬舘跡の杉」を見に行きましょう

 ダム湖が見えました

 ここを入って行きますが、目的のスギの樹冠が見えています

 草苅がされていません

 小雨が降っているので、靴からズボンまでビショ濡れの上、草の種(ヒッツキムシ)が沢山付いてしまいました

 右手に目的のスギが見えています

 回り込む様に北東側から近付きます

 南側から

 根元に祠です

 南東側から、目通り幹囲5.1mの巨木です

 東側から見ました

 では、濡れた服を着替えて、次へ行きましょう




 2024・10・19・11・20
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