ビーズうさぎのハナちゃんです!!

日々の生活、山登りや釣り、ドライブなどをアップします。ここの所、巨樹めぐりがメインですが!(汗)

東京都東久留米市、柳窪3丁目「名湧水57選・黒目川天神前と名木百選No.11エノキ」です!!

2024-12-25 18:30:10 | 文化財・樹木
 柳窪3丁目は、東久留米市役所の青年性約4kmのところ

 東久留米市役所北側の「東久留米市役所前」信号を、西南西へ、都道234号「まろにえ富士見通り」を進みます

 約1.6kmで右からの道路に合流するように、左(南南西)へ、都道15号「小金井街道」です

 約1.4kmの「花小金井4丁目」信号を右(西北西)へ、都道5号「新青梅街道」です

 約2.1kmで左手に小平霊園が見えて来ます、約400mで信号を右(北)に入って車を止めさせて頂きました

 さいかち窪のエノキを見て、新青梅街道の信号を戻り直ぐ東側に

 さいかちの道「黒目川越処橋緑地保全地区」の入り口です

 黒目川上流域案内マップです
 黒目川は小平霊園のさいかち窪を源流とし、埼玉県の新河岸川にながれる荒川水系の河川です。 
 かつて黒目川は雑木林や畑にかこまれた農村を流れる小川でした。
 親水化整備後も新青梅街道から三方橋にかけては、雑木林に囲まれ、豊かな自然環境が保護されており当時の面影を残しています。
 また、柳橋下流の「しんやま親水広場」は川に親しむことのできる市民の憩いの場となっています。
     【黒目川上流域は、新青梅街道から所沢街道までの2.3kmの区間です】
   東久留米市都市建設部施設建設課下水道施設担当

 これから天神社の先まで行ってみます

 黒目川右岸を進みます、雑木林の中にはケヤキの保存樹が沢山あります

 越処橋を渡って左岸側を進みます

 長福橋を渡り返して南東へ進むと柳窪天神社前に出ました

 すぐ前の黒目川には「東京の名湧水57選・黒目川天神前」があります
 *東久留米市内には「竹林公園」「南沢緑地」とともに、東京の名湧水57選に選ばれた「黒目川天神社前」です。
 黒目川の貴重な水源で、近接する屋敷林や社寺林と合わせて、参拝者や緑地を散策する人々に静かな安らぎを与えてくれています。

 脇に立っているのが、目的の「東久留米名木百選No.11エノキ」です

 南西側から

 東側の天神社参道から見ました

 それでは、天神社にお参りして「東久留米名木百選No.40サイカチ」を見に行きましょう
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茨城県潮来市、潮来「長勝寺のボダイジュ」(市指定)です!!

2024-12-18 18:52:43 | 文化財・樹木
 潮来地区は、潮来市役所の西南西約1kmのところ

 潮来市役所の南東側の国道51号線を南西へ進みます

 約1kmの「土木事務所入口」信号を左(南)へ入ると、右手に市営駐車場が有ります

 ここに車を止めさせて頂きました

 すぐ南側の道を西へ入って、直ぐ左(南)への道路を約100m進んで交差点を右(西)へ歩きます

 間も無く右手に長勝寺の参道入口です

 「長勝禅寺」寺号標です
 *臨済宗妙心寺派に属し、海雲山と号する古刹です

 参道を進みます

 山門です

 説明版です
   県指定有形文化財
     長勝寺山門
       昭和33年(1958年)3月12日指定
 この山門は普門院において、元禄6年から13年(1693~1700年)までかかって建立され、完成間近の同13年徳川光圀の命令によって長勝寺に移築されたものである。
 構造様式は三間一戸・二重二階門。屋根は上層を入母屋造り杮葺風銅版葺、下層も同じ杮葺風銅版葺である。
 軒は上層が二重扇棰、下層が二重平行棰を用い、さらに丸柱の根元に礎盤、上層の柱間装置に桟唐戸を用いた禅宗様式の建築である。
 全体には紅柄塗がほどこされ、優美な趣もうかがえる。
     平成24年4月      潮来市教育委員会

 さらに参道を進みます

 参道右手に「勢至堂」です 

 参道左手の墓地入口に目的の「ボダイジュ」です

 南側から

 「長勝寺のボダイジュ」の天然記念物標柱です

 東側から

 北東側から見ました

 すぐ北側には、梅の古木です

 古木然とした幹です

 まだまだ芽は堅いようです

 説明版です
   文治梅
  古野者那也 曾毛加摩久良能 鐘乃銘  鳳後
 長勝寺の鍾銘により右大将源頼朝を開基とする。
 公お手植え伝説もあり、寺の創建文治元年の年号に因んで、文治梅と称す。
 古木ながら花も禅寺の由緒に一段と香りを添える。

 *源頼朝公お手植えと伝えられる文治梅(ぶんじばい))、長勝寺創建の文治元年に因んで命名されています。 

 句碑です

* 三角形の句碑には俳人・伊能鳳後の句「古野者那也 曾毛加摩久良能 鐘乃銘」(このはなや そもかまくらの かねのめい)が刻字、文化11年(1814)建立されています。

 本堂の仏殿です

 説明版です
   県指定有形文化財 長勝寺本堂   昭和33年3月12日指定
 この本堂は方7間、一重入母屋造茅葺で棟上に源氏の定紋「笹りんどう」を配し、周囲は板葺「もこし」がある。
 内部天井は周囲を化粧屋根裏とし、中央に鏡天井が張られている。
 内部構造は唐様の手法になり、中央後方来迎壁前に高い唐様須弥壇が背面に突出して脇仏壇がある。
 外部の組物なども唐様で内外ともに一段基上に建つ堂々たる唐様建築である。
 建立年代は詳かでないが、軒廻りその他細部に桃山時代の様式手法がうかがわれる。
 規模雄大な建築で、禅宗建築として唐様様式の貴重な遺構である。
     平成24年4月     潮来市教育委員会

 復興資金寄付要請の説明版です

 鐘楼です

 銅鐘です

 説明版です
   国指定重要文化財  銅鍾(附鍾銘拓本)
            明治44年8月9日指定
 この銅鍾は、元徳2年(1330年)北条高時が下総国府城主千葉五郎禅門道暁との発起により、長勝寺の創建者である源頼朝公の菩提の為に寄進したものであり、鍾銘並びに序文の作者は、鎌倉円覚寺16世清拙和尚(大鑑禅師)で、鋳物師は甲斐権守卜部助光である。
 法量は、総高115cm、身高84.8cm、笠形高5.4cm、竜頭高24.5cm、口径66.3cm、撞座中心高19.9cmの鋳銅、上下帯は無文で、乳は4段4列になっていて、撞座は2個正位置にあり、小型であるが鎌倉期の特徴を良く示し、まことに気品の高い形状をしている。銘文も刻字もすぐれ、名鍾にはじないものである。
 また銘文中に「客船夜泊常陸蘇城」とあり、当時の潮来の情景を知るうえからも貴重な資料である。
     平成24年4月      潮来市教育委員会

 客殿入口です、傍らのモミジは紅葉が半分終わって、紅葉の時期の終わりに近付いています

 説明版です
   海運山 長勝寺
 この寺は文治元年(1185)源頼朝の開基、寺号を長勝と名づけた臨済宗の妙心寺派の古刹である。
 元禄年間(1688~1704)伽藍の荒廃を惜しんだ徳川光圀は堂宇を修復し、妙心寺の253世住持をつとめた太嶽祖清禅師を中興開山として迎えた。
 その後、徳川幕府から朱印十石並びに寺領地を与えられている。
 老杉林立する稲荷山を背景にした境内は参道も長く、阿弥陀三尊仏を本尊とする仏殿、山門はともに豊かな唐様建築の遺構で禅寺の風格を保ち、また中朱門の中の庫裡・書院等も元禄の建物で水戸家ゆかりの宝物を収蔵している。
 寺宝第一の古鍾は北条高塒の寄進、元徳2年(1330)の鋳造、中国から来朝して鎌倉円覚寺等に住した清拙正澄禅師が由来を記し、銘にある「客船夜泊常陸蘇城」の語は、中国蘇州を彷彿させる水郷潮来の景観を伝えている。
 境内には、頼朝創建の年号に因んだ文治梅と称する古木のほか、徘聖芭蕉の「旅人と我名呼ばれむ初しぐれ」の一句を刻した時雨塚、鹿島記行で地元の自準亭松江との交流を示す連句の碑もあって一段と風趣を添える。
      記
 国指定重要文化財  工芸品   銅鍾(附・鍾銘拓本1巻)
 県指定文化財    仏殿・山門・方丈・書院・庫裡・玄関・隠寮
           絵画    源頼朝画像、太嶽大和尚頂相
           彫刻    木造阿弥陀如来像及び両脇侍像、摩訶迦葉尊者立像
           工芸品   高麗焼茶碗
 市指定文化財    絵画    滝見観音竜虎図(3幅)
           彫刻    毘沙門天立像
           書跡    豊太閤手翰
           天然記念物 菩提樹
       潮来市教育委員会

 では、次へ行きましょう




 2024・12・12・08・40
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千葉県多古町、坂「坂日枝神社のスダジイとスギ・タブノキ」です!!

2024-12-15 19:43:49 | 文化財・樹木
 坂地区は、多古町役場の東北東約9kmのところ

 多古町役場北側の多古中央通りを東へ直ぐの信号を左(北)へ

 約300mで一時停止を右(東北東)へ、県道106号本町通りです

 約500mの三叉路は斜め左(北)へ、県道120号多古栗源線です

 道成に約3.2kmで信号を右(東南東)へ、栗山川大橋通りです

 道成に約2.0kmで一時停止を左(北東)へ、県道127号多古山田線です

 道成りに約1.9kmで斜め右(東南東)へ入り、 道成りに約1.8km山の端に沿う様に進み商店前の交差点を左(北東)へ

 約200mで三叉路を左へ進んで坂道を登って切通のところに

 左手に石段があります、坂日枝神社の入り口です

 少し北へ進んで、忠魂碑前に広場に車を止めさせて頂きました

 道路から境内に立つスギの大木を見ました

 すぐ南側に目的のスダジイ(幹は無くなっています)のヒコバエが見えます

 石段を上がると鳥居です、南向き(道路と平行)に立っています

 手水舎です

 南側から、スダジイの切株とスギです

 西側から、土手上に目通り幹囲5.2mの巨木です、切株ですが・・・

 北東側から

 スギの大木も土手上に生えています

 拝殿です

 本殿です

 本殿西側にも、タブノキの大木です

 北東側から、タブノキは二本立っています、手前が目通り幹囲3.8m、奥(西側)が3.2mの大木です

 北側から

 西側から見上げました

 車に戻ると、北側の畑にモミガラ蒔きをされていた方が、声を掛けて来ました

 車のナンバーを見て、気になったとのこと

 「私の親戚が、所沢市の安松に住んでいて、先日所沢まで行って来ました、帰りは牛久大仏を見ながら圏央道で帰って来ましたが便利になった」と、また、「日枝神社では、12月15日にお年寄りが集まって・なおらい・の行事が行われ、宮司さんは旭市の神社から来られる」と、「スギの大木には、子供の頃に先輩から海を見せてやる・と思ったら、無理やりスギの大木に登らされて、昔は先輩には逆らえなかった、でも太平洋は見えた」とのこと、忠魂碑には「自分の父親は戦時中の7月1日に、小笠原諸島の父島に向か途中で輸送船がアメリカ軍の雷撃で沈んでしまって、水死したのだろう、忠魂碑にも名前が記されています」とおっしゃっていました。
 12月8日は日米開戦から83年、終戦後、既に80年に成ろうとするということは、80歳を過ぎているのでしょう、良い話が聞けて、元気に農作業をされていることにも感動です

 では、次へ行きましょう






 2024・12・11・14・50
 
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栃木県塩谷町、原荻野目「荻野目のさいかち(2本)」(とちぎ名木百選)です!!

2024-12-14 06:31:05 | 文化財・樹木
 原荻野目地区は、塩谷町役場の南約2kmのところ

 塩谷町役場の西側の県道63号線を南へ、約600mで信号を右(南西)へ、国道461号線玉生バイパスです

 約500mの「玉生」信号を左(南東)へ、また県道63号線です

 約1.5kmの「原荻生目」信号を右(西南西)へ、約800mで道路右手(北側)にサイカチの木が見えて来ます

 手前の道路北側に広い歩道(旧車道)がありますので車を止めさせて頂きました

 東側から

 南東側から、二本のサイカチの大きな木が並んでいます

 「とちぎ名木百選 荻野目のさいかち」の標柱です

 説明版です
   塩谷町指定天然記念物
     さいかち(二樹)
       昭和49年6月6日指定
   ■樹高      25m(二樹)
   ■目通り周囲 2.87m(東側)2.70m
   ■推定樹齢      430年
 慶長2年(1597)宇都宮氏の家臣であった川上家は、宇都宮氏の滅亡とともに帰農し、代々庄屋を勤めてきたが、宇都宮氏の再興を祈願し、慶長3年(1598)に”再び勝”という意味を込めて再勝(さいかち)を門前に植えたものであると伝えられている。
 一対のさいかちは、いずれも樹勢が旺盛で毎年開花するが、雄花のみのため結実はしない。
 代々庄屋をつとめた川上家を象徴するようなこの二樹のさいかちであるが、荷役の馬の出入りが多かった庄屋には、馬の病気の特効薬でもあったと伝えられるこのさいかちは、なくてはならないものであったようである。
    塩谷町大字原荻野目224番地 川上家所有
      塩谷町教育委員会建之(平成28年3月)

 道路南側から見ました、街道奥の家が川上家でしょうか

 右(東側)のサイカチです

 左(西側)のサイカチを南東側から見ました

 南西側から二本のサイカチです

 西側のサイカチの西根元に天然記念物石柱です

 更に西南西側から見ました

 では、次へ行きましょう
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栃木県日光市、長畑「長畑のひいらぎもくせい」(とちぎ名木百選・県指定)です!!

2024-12-13 06:30:21 | 文化財・樹木
 長畑地区は、日光市役所(旧今市市役所)の南約6kmのところです

 *日光市は、平成18年(2006)3月20日に今市市、(旧)日光市、足尾町、藤原町、栗山村が新設合併して現在の日光市が発足しました。
 合併により面積は関東地方で最大、全国の市でも岐阜県高山市、静岡県浜松市に次いで全国第3位となり、栃木県全体の約22%を占めています。
 
 日光市役所西側の道路を南西へ、約200mで信号を左(南東)へ

 道成りに約1.2kmで東武鉄道日光線の踏切を渡ります

 約1.1kmの「鹿沼・土沢IC/国道121号線⇒」の標識に従って信号を右(南)へ

 約3.5kmで「長畑⇒」の標識に従って信号を右(西)へ

 約2.0kmで信号を左(南)へ入ると

 右側に「日光市立落合西小学校」の校庭が広がります

 道路脇に車を止めさせて頂きました

 校庭の東端(校庭東側入口そば)に目的のヒイラギモクセイです

 北側から

 北西側から

 説明版です
   栃木県指定天然記念物
     「長畑のヒイラギモクセイ」
    所有者    日光市
    樹高    5.0m
    枝張り 東西7.0m 
        南北6.0m
    推定樹齢  400年
 ヒイラギモクセイは、モクセイ科の亜高木で、ヒイラギとモクセイの雑種と考えられており、花は白色である。
 本県ではその数が少なく、日本の南部に多い木である。
 明治28年(1895年)、現在の落合小学校の開校を記念して、土地の人が寄付したもので、秋には多くの花を咲かせ、モクセイと同じ匂いを放つ。
 この樹種では、これ程の巨樹は稀であり、県内でも最大級である。
 *幹囲は根元近くで2.8mあるそうです。

 「とちぎ名木百選 長畑のひいらぎもくせい」の標柱です
 
 西側から

 南西側から

 南側から見ました

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栃木県栃木市、都賀町家中「家中小学校のナンキンハゼ」(とちぎ名木百選・市指定)です!!

2024-12-12 06:30:00 | 文化財・樹木
 都賀町家中地区は、栃木市役所の北北東約5km、東武鉄道日光線「家中(いえなか)」駅や駅前(東側)には栃木市都賀総合支所のあるところです

 栃木市都賀総合支所の東約1.0kmの所に「栃木市立家中小学校」がります

 栃木市都賀総合支所東側に県道3号線を北へ直ぐの「家中駅入口」信号を右(東)へ、県道296号線です

 約900mで「家中小学校⇐」の案内板を左(北北西)へ入ると

 まもなく右手に「家中小学校」が見えてきます

 道路脇に車を止めさせて頂きました

 校庭西側の入り口です、後方の建物は体育館です(校門はもう少し北側にあります)

 入口の直ぐ南側に目的の「ナンキンハゼ」です

 北西側から

 西側から

 説明版です
   栃木名木百選
   町指定天然記念物
     ナンキンハゼ(中国名 烏柏・ウキウ)トウダイグサ科シラキ属
    目通り     1.9m
    木の高さ   17.0m
    枝張り  東西10.0m
         南北12.0m
    樹齢      約80年
 ナンキンハゼは、中国原産で中国には千年の昔から栽培されていました。
 この木の実から油やロウを採っていた実用木です。
 今は秋の紅葉が美しいので観賞木として珍重されている。
 このナンキンハゼは、本校の校長である刑部真一先生が日露戦争の戦勝記念に植栽したと伝えられ、根張り樹相ともにこのようにみごとな老木は、珍しい。
    昭和57年1月11日   都賀町教育委員会

 *都賀町は、平成22年(2010)3月29日に、 栃木市、大平町、藤岡町と合併し、新・栃木市の一部となりました。

 南西側から

 南側から見上ました

 *道路と校庭の間はビオトープとなていた、鯉が泳ぎ、タニシやカワニナ等の貝類を見ることが出来ました

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岩手県遠野市、綾織町鶚崎11地割「聞称寺・御止の藤」(市指定)です!!

2024-11-23 06:30:55 | 文化財・樹木
 綾織町鶚崎11地割地区は、遠野市役所の西約6kmのところ

 遠野市役所南側の仲町通りを東南東へ、約200mで信号を左(北北東)へ

 約1kmの「⇐盛岡花巻北上・国道283号線」の標識に従って信号を左(西北西)へ

 約5.3kmで「盛岡・大迫・国道396号線⇒」の標識に従って信号を右(北北西)へ

 JR釜石線の線路を綾織跨線橋で越えて道成りに進みます

 約1kmで右へ入って国道と平行する道路を西へ進みます

 約300mで右手に聞称寺の参道が南向きにあります

 手前の道路脇に車を止めさせて頂いて

 庫裏への道路に入りました

 庫裏入口から山の中への道へ入ると

 聞称寺裏手の沢沿いに目的のフジが見えました

 北東側から太い蔓がイチイの木に這い上がっています

 斜面を少し下ってみました

 天然記念物標柱ですが、文面は聞称寺の庫裡の方を向いています

 西側へももう一本の蔓が這い上がっています

 *「遠野物語現在進行形」さんの12年以上前のネットの文面の一部引用です
 *聞称寺本堂裏にあるイチイの木とともに清水の谷の中に立つているフジです。
  「御止の藤」の由来は、当時の殿様がこれは大そう珍しい藤だから動かしてはならぬという事から、「御止の藤」と呼ばれるようになったそうです。
 ここの藤は白い花でかすかに淡い藤色をまとっているそうです。天然記念物に指定された藤の奥にもう1本、これも古そうな藤の木がくねりながら伸びています、この木を含めて天然記念物なのかもしれません。

 少し早いですが、そろそろ陽が傾いてきましたので、今日の宿へ向かうことにしました




 2024・10・18・15・30
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岩手県遠野市、大工町「善明寺のイチイ」(市指定)です!!

2024-11-20 12:39:03 | 文化財・樹木
 大工町は、遠野市役所の西約500mのところ市街地の中です

 市役所南側の仲町通りを西北西へ進みます、約300mで丁字路を左へ曲がると

 右手(西側)に善明寺の参道が東南東向きに開いています

 参道南側の参拝者用駐車場に車を止めさせて頂きました

 説明版です
   金光山 善明寺
     宗派 浄土宗
     本尊 阿弥陀如来
 12世紀末、養安上人により遠野松崎に養安寺が開山。浄土宗開祖法然上人の直弟子、金光上人により開基された。
 善明寺は最初、八戸に文録元年(1592)善明上人により開山されたが南部氏が遠野に移るのに伴い、2世欣霊が養安寺32世に入り寺を合併した。
 その後、遠野城下形成のため延宝7年(1679)現在地に移転、山号寺号を入れ替え現在に至っている。
 本尊の阿弥陀如来は平安時代末期の作といわれ、市の文化財に指定されている。また、金光上人ゆかりの天狗の牙や正牛坊の角、猩々の払子が伝わっている。
 山門の中、左側の五輪塔は鎌倉時代のもので、当地方最古のものであり、市の文化財に指定されている。
 本堂には、江戸時代末から明治時代にかけて描かれた供養絵額が奉納されている。反対側には養安寺跡から移植した樹齢800年と推定されるイチイの古木があり、市の天然記念物に指定されている。

 文化財説明版です
   遠野市指定有形文化財(彫刻)
     阿弥陀如来坐像  昭和58年5月20日指定
 善明寺は天正年間(1573~1592)、遠野南部氏が八戸地方を領していた頃、第19代直栄公が良恵善明和尚に帰依し、文禄元年(1592)南部家守護寺として善明寺を草創したことに始まる。
 第22代直義公の時、八戸から遠野に入部した際直義公に従い、当時無住寺となっていた養安寺(松崎町元松崎地内)に入り、明暦2年(1656)現在地に移った。
 この阿弥陀如来坐像は、善明寺の本尊である。
 像高46.5cm、一木造・彫眼の像で、膝前部材、右肩下から地付きに至る材、右肘から先の材等を矧付けている。頭体部の根幹材のみが当初部材で、近世に大修理が施されている。
 如来の通形にほぼ順じるもので、肉髻を作り、大衣を着けて、腹前で弥陀の定印を結び、結跏趺坐する。
 制作年代は、その様式が概ね平安時代中期頃のものを用いているので、その頃を上限して考えられる。遠野市内に現存する仏像の中でも古いものの一つと考えられる。
 現在地に寺院を建立移転する際に、従来より養安寺にあったものをそのまま移し、本尊として安置したものではないかと推測される。
   遠野市指定有形文化財(彫刻)
     阿弥陀如来坐像  平成2年8月10日指定
 善明寺の持仏堂の本尊として祀られている。
 阿弥陀如来は、念仏を行う者は必ず極楽浄土に往生させる仏として、盛んに信仰された。
 この阿弥陀如来坐像は、像高52.7cm、寄木造・割り首・彫眼の像である。木寄せは根幹材を前後二材とし、その間に後補の補材を挟み込んでいる。
 左は肩から地付まで、右は肩より先を別材とし、膝前部材、右腰の三角材を矧いでいる。如来の通形にほぼ準じる。
 肉髻相を表し、螺髪は切り付け、肉髻珠を付け、白毫を付ける。彫眼で、耳朶は不環。三道を彫出し、大衣を偏袒右肩に着ける。腹前で弥陀の定印を結び、右足を前にして結跏趺坐する。ほぼ当初の姿をとどめているが、彩色はすべて後補である。
 藤原時代の典型的な様式である定朝様式の阿弥陀像で、当地に残る本格的な藤原彫刻として、優れたものである。
 細かい螺髪の彫り出しや、伏し目がちな目の感じ、それに繊細な衣皴槢の彫刻の仕方などは、定朝様式の基本に見事にそったもので、その制作年代は12世紀ころ(平安時代後期)と考えられる。
 県内の定朝様式の作品としては、中尊寺の金色堂の諸像が最も有名で、そのほかに本格的な作品は少なく、貴重な存在である。
         遠野市教育委員会

 山門です

 山門を潜ってすぐ右手に目的のイチイです

 綺麗に刈り込まれて整えられています

 天然記念物標柱です

 北西側から見ました

 本堂です

 では、次へ行きましょう




 2024・10・18・13・25
 
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岩手県宮古市、山口第4地割「黒森神社の祖母杉の子ども(子杉)」です!!

2024-11-15 06:35:08 | 文化財・樹木
 山口第4地割地区は、宮古市役所の北役3kmのところ

 宮古市役所南側の国道106号線を東へ、約1.1kmの「築地」信号を斜め右(東南東)の久慈方面へ、国道45号線です

 道成りに国道45号線を約2.9kmで「三陸道⇒」の標識に従って、宮古病院前の信号を右(東)へ

 右にカーブして国道45号線の上を越えて、約1.3kmで「左折先 幅員狭小 大型車通行不能」の看板を左(東へ)に入ります

 すぐ先約100mの交差点を左(北)へ、先ほど通った道路の下をくぐって道成りに坂道をのぼって行きます

 約500mで「黒森山」の説明版があります

 左へ道を約300m「黒森神社前」の広い駐車場にはいりました

 遅くなってしまったので「祖母杉」まで取材する時間が無くなりそうです

 駐車場の東端に「おば杉(子ども)深沢水神約600m⇒」の案内板です

 林道を緩く登って行くように進みます

 約400mで分かれ道に案内板があります、右へ200mです

 下るように進みます

 林道先に看板が見えて来ました

 目的の「子杉」です

 説明版です
 黒森山のおば杉の枝を挿し木して育てた杉です。
 これからもみんなでずつ~と、見守っていきましょう。
    挿木日 平成27年4月19日
    植樹  平成30年10月末日

 もう一枚には、「おば杉次世代への橋渡し」として挿木の様子や成長しているところの写真が載せられています

 さらにもう一枚の説明版です
 平成30年9月6日(木)
   「御祖母杉」の苗木植樹
 総合的な学習の講師の方が、「御祖母杉」の苗木を育てることに成功し、関係者とともに山口小学校代表者が参加して植樹を行いました。

 
 沢水が出ています

 深沢水神です

 説明版です
 神威の黒森山頂近くから流れ出る水は、深沢の渓谷を下り田畑を潤し井戸水に利用されて来ました。
 よってこの水に感謝してここに深沢水神塔を建立して祀る。
   平成12庚辰年3月吉日
   黒森神社氏子総代会 他有志一同

 では、戻りましょう

 分かれ道から頂上まで500mですので行ってみました、 頂上は直進ですが

 斜め左の脇道へ入ると100mほどの尾根に「電波塔」がありました

 ここで暗く成って来たので戻ることにしました

 登って来た林道を戻り、暗くなて車に戻る事が出来ました

 また明日再度訪問することにして、今日の宿へ向かう事にしました



 
 2024・10・17・16・00
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岩手県山田町、大沢「大沢の臥竜梅」(県指定)です!!

2024-11-14 06:36:00 | 文化財・樹木
 大沢地区は、山田町役場の北東約3kmのところ

 山田町役場前を東南東に出ます、約250mで左(北)へ、国道45号線です

 みちなりに約3kmで「魹ヶ崎灯台・重茂半島・県道41号線⇒」の標識に従って右(東)へ

 約900mで左(北)へ入ると

 「大沢の臥竜梅」の所有者の方の自宅への入り口です

 前の道路脇に車を止めさせて頂きました

 入口に案内板が設置されていて、自由に見る事が出来るようにされています、有難いことです、騒いだりしないように心がけて行きたいと思います

 上がって来ました、数本の梅の木が並んでいます

 「岩手県指定 天然記念物 大沢の臥竜梅」の標柱です

 説明版です
   大沢の臥竜梅
     所在地   山田町大沢第9地割65番地
     指定年月日 昭和47年10月27日 県指定
 臥竜梅とは、主幹が横臥するか枝を下垂するかして、その設置点から根を生じて地上を臥う梅の総称であり、花の色や八重咲、一重咲には関係がない。
 日本全国では、国指定や府県指定にもの10本ほどが知られているが、本樹は根元周りや樹齢において数値が大きいほか臥竜梅として植栽された北限地に当るものである。
 1、周囲   3.50m(一番太いもの)
 2、樹高   4.50m
 3、樹齢   280年(平成12年現在)
 4、分枝   東西18m、南北4.5m、(7株に文株している)
 5、花    淡紅色八重
 6、来歴   当時織笠村昆仁兵衛氏の庭から移植したものと伝えられるが記録がない
 *①から⑦番までの株が枝でつながっているようです

 左(東)側から、2番目は枯れてしまっているようです

 西側です
.
 下へ降りて見上げて見ました

 南側から

 南西側から

 では、次へ行きましょう




2024・10・17・14・20
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岩手県大船渡市、三陸町越喜来小泊「平田舘跡の株椿」(市指定)です!!

2024-11-10 13:02:03 | 文化財・樹木
 三陸町越喜来小泊地区は、大船渡市役所の東約8km、大船渡市役所三陸支所の南約2kmのところ

 大船渡市役所三陸支所西側の県道9号大船渡綾里三陸線を南へ

 約矢蓺1.3kmで防潮堤と三陸鉄道リアス線の高架の間を左(南)へ

 約500mで左(東)へ入ると間も無く左手に

 目的の「株椿」です

 南側から

 「大船渡市指定天然記念物 株椿」の標柱です

 南東側から、樹高約8m、株元より9本の幹に分かれ、株全体としては周囲約4m、枝張りは東西約10m、南北約9mで推定樹齢250年のヤブツバキです 

 ツバキの根元を見ました

 東側から、所有者の墓地がありますのでこれ以上近付けませんでした

*この場所は、戦国時代には葛西氏の家臣只野民部の居館平田舘(三陸大王杉・八幡神社のある本丸城の支城)の跡といわれています。
 三方を海岸にの断崖に囲われた東西約50m、南北約100mの主郭をもった天然の要害となっています。

 では、次へ行きましょう




 2024・10・17・06・55
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岩手県陸前高田市、矢作町袖野「タラヨウの巨木」(市指定)です!!

2024-11-04 18:30:10 | 文化財・樹木
 矢作町袖野地区は、陸前高田市役所の西北西約10kmのところ

 陸前高田市役所西側の道路を南へ進みます、約600mで右(西)へ、県道39号線です

 約1kmで「奥州一関遠野・国道340・343号線⇒」の標識に従って、右(北東)へ

 約3.2kmで「⇐奥州一関・国道343号線」の標識に従って左(南西)へ

 道成に約7.5kmで「生出⇒・清水の湧水」の縦標識の手前コンビニの先を右(北東)へ入り直ぐに左へ進むと

 
 約150mで右手奥にタラヨウの樹冠が見えます

 道路脇に車を止めさせて頂きました

 南南東側から

 説明版です
   陸前高田市指定天然記念物
     タラヨウの巨木
       所在地   陸前高田市矢作町字袖野3
       所有者   佐々木正夫
       指定年月日 昭和48年3月1日
       測定値   根元周囲 2.02m、胸高周囲 2.28m、目通周囲 2.33m、樹高14.0m
          枝張 東西  11.6m・ 南北  11.0m(平成2年12月13日測定)
       推定樹齢  150年
 タラヨウは、モチノキ科・モチノキ属の常緑高木で、高さは7~10mになり、大きいものは20mほどになるといわれます。
 葉は厚く、光沢があります。5~6月、前年枝に黄緑色の小さな花を群生します。
 果実は、径約8mmの球形で、枝に群がってつき、赤く熟しますが、タラヨウは雌雄異株なので、この木だけでは実はつきません。
 一般にタラヨウは、静岡県以西に常緑樹林内に自生するので、岩手県内では県南地方などの庭園樹として植栽されています。しかし、この木のような大木になるのは極めて稀です。
     平成3年3月     陸前高田市教育委員会      

 南側から

 幹をズームアップして見ましたが、根元は分かりませんねー

 南南西側からみました

 では、次へ行きましょう





 2024・10・16・10・40
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宮城県気仙沼市、本吉町津谷舘岡「役場の傘松」(市指定)です!!

2024-11-03 06:31:21 | 文化財・樹木
 本吉町津谷舘岡地区は、気仙沼市役所の南南西約15km

 気仙沼市役所本吉総合支所前庭(西側・一段下)に傘松があります

 *気仙沼市は、宮城県の北東端に位置し、東は太平洋に面します。
 東部の唐桑地区から気仙沼地区にかけては、三陸の他地域と同様にリアス式海岸が特徴的で、岩手県沿岸と比較して標高が低く、なだらかな丘陵が多いくなります
 市内東側の唐桑半島と南側の気仙沼市東日本大震災遺構・伝承館 (旧気仙沼向洋高校)などのある岩井崎の間は、深く入り組んだ海岸線が波の穏やかな気仙沼湾を形成しています。
 湾内には気仙沼大島大橋(鶴亀大橋)で繋がれた「大島」(東北最大の島:面積8.5㎢、人口約3000人)が浮かび、全国2位に選ばれた「小田の浜海水浴場」や対岸に広がる気仙沼市街地を見渡せる絶景スポット標高325mの「亀山」、震災時に周辺で山火事が発生し、周り木は燃えてしまったものの、神社は燃えずにそのまま残った奇跡の神社「愛宕神社」などもあります。
 市内から南の本吉地区には「大谷海岸」や「小泉海水浴場」など、穏やかな海岸線が見られるようになります。
 本吉町は平成21年(2009)9月1日に気仙沼市に編入されました。

 本吉総合庁舎の北側に広い駐車場があります

 東側から

 天然記念物標柱です、昭和43年6月22日に本吉町天然記念物に指定されています

 北側から

 西側から、樹種はアカマツで樹齢は約280年と推定され、仙台藩政時代の肝入佐藤家旧邸の庭木と言われています

 西側の幹です

 北側から

 南側から

 南側の道路を渡って南西側から傘松と本吉総合支所を見ました

 秋の取材時間は短くなります、6月には18時半くらいまで取材が可能でしたが、17時には薄暗くなってしまいます

 では、だいぶ陽が傾いてきたので、今日の取材は終わりにし宿へ向かいましょう

 


 2024・10・15・16・40

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宮城県南三陸町、歌津館浜「歌津山津龍院のアスナロ2本」(町指定)です!!

2024-11-02 13:19:13 | 文化財・樹木
 歌津館浜地区は、南三陸町役場の東北東約9kmのところ

 南三陸町役場西側の道路を北北東へ、約1.1kmで右(東北東)へ、国道45号線を進みます

 道成に約8.4kmで「泊崎半島・県道225号線⇒」の標識に従って信号を右(北北西)へ

 道成に伊里前湾を右手に観て約1.2km進みます、館浜漁港を過ぎて坂道を下ったところで左(北東)へ

 約200mで左手に歌津山津龍院です、前の広い駐車場に入りました

 立派な石垣の上に三門が見えました
*東日本大震災の大津波により伽藍のほとんどが流出、全壊の被害を受けました。 
 山号 歌建山・宗旨 曹洞宗・創建 応永16年(1409)・本尊 釈迦牟尼佛・開山 全照満廊上人・中興年 永禄6年(1563)・中興 啓南乾迪和尚だそうです。



 山門(仁王門)です

 左手先に二本の大木が見えます

 手水舎です

 鐘楼です

 本堂です

 境内南端に「魚魂碑」です、やはり漁業の町ですね

 西側には「草木供養塔」です、草木にも命を感じる日本人ならではのものではないでしょうか

 目的の二本のアスナロです
 ネットの記事から一部引用しました
 *境内には、明治35年に山形県鶴岡市の善宝寺から分霊された八大龍王尊(竜神さま)が祀られていますが、そのお堂のそばに2本のアスナロの大木が聳えています。
 アスナロには皮が裂けて自然に剥がれ落ちる性質があり、別名「クサマキ」とも呼ばれます。
 ヒノキの仲間ですが、ヒノキほどの高級木材ではなく、そのため「明日はヒノキになろう」の意味から「アスナロ」と呼ばれるようになったと言われています。

 北東側から見ました

 北側には龍神様の御堂です

 では、次へ行きましょう


 2024・10・15・15・55
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宮城県石巻市、寄磯浜前浜「熊野神社の寄磯古碑群(市指定)とタブノキ」です!!

2024-10-30 12:43:00 | 文化財・樹木
 寄磯浜前浜地区は、石巻市役所の東南東約16kmのところですが、女川町役場の南東約7kmのところに成ります

 まずは、女川港から県道41号線で東北電力女川原子力発電所を目指します

 国道398号線と県道41号女川牡鹿線の交差点から道成りに牡鹿半島の北側を進みます

 約14.2kmで「東北電力 女川原子力PRセンター」の前を通過します

 坂道を下って約900mで「⇖寄磯」の標識に従って交差点を左(北東)へ

 約2.5kmで「石巻市立寄磯小学校入口」を道成りに下へ下って行くと

 約400mで右手(南側)に寄磯浜漁港です、広い漁港周辺はどこに車を止めても良い駐車場に成っています

 駐車場北側の「ゴミステーション」脇に車を止めさせて頂きました

 ここを北側に入り斜面を上がります

 石段を上ります

 折り返しさらに上ると

 タブノキが見えて来ます

 根元には石碑が建っています

 弁財尊天の大きな石碑です

 南東側から見ました

 更に上へ進みます

 鳥居が見えて来ました

 熊野神社の鳥居です

 参道石段を上がります

 振り返って寄磯漁港を見下ろしました、鮫浦湾にはカキ筏で作業をすする漁船も見られました

 鐘楼です

 熊野神社拝殿です

 本殿です

 本殿東側に境内社の石祠が並びます

 霊神社の石碑です

 寄磯古碑群の標柱です

 右側面の文面には・・・
 寄磯浜の古碑は、行屋跡、行屋下道、おかねさま、五梅沢、大松、崇徳寺墓地等に散在しているが、板碑(供養碑)は江戸時代の民間信仰碑が集中している。
 この行屋跡に最も多く、応永3年(1396)、〃30年(1423)、〃32年(1425)、永享7年(1435)、享徳3年(1

 左側面の文面(右面の続き)です・・・
 454)など14基が集まっている。
 また行屋下道には応永年間(1394・7~1428・4)と文明16年(1484)など4基、おかねさまの縁石に梵字のキリークだけの1基、寺道の大松に長禄4年(’1460)に1基などがあり、地区の歴史を物語っている。

 文字が読めません

 石碑の前には虎や獅子・七福神が置かれています

 さらに東側の石碑です

 では、港に戻りましょう

 鯨の消火栓の蓋です


 鹿の牡鹿町仕切弁の蓋です

 では、次へ行きましょう
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