多多神社は柏崎市役所の北東約8kmのところ、
国道8号線と県道73号線の交差点曽地信号の南東側に在ります
駐車場は、参道前から東へ行ったところの集落センターを利用させていただきました。
多多神社参道です
式内多々神社の石碑です
国指定文化財の説明版です
国指定文化財 有形文化財・建造物(昭和33年5月14日指定)
多多神社本殿
多多神社は大同元年(806)の創建と伝えられているが、現在の本殿は棟札によって
永正16年(1519)に建てられたことが分かっている。度々修理がなされ、一部改変
されているが、昭和52年に解体修理で、元に戻した。
流れ造りの間口一間ほどで板葺き屋根の小さな社殿は、覆屋で保護されてきたため、創
建当時の姿をよくとどめており、室町時代中期の神社建築の特徴をよく示している。向拝
柱、方位や脇障子柱の大きな面、かえる股や木鼻のデザイン、海老虹梁の形などに時代の
特徴がよく見られる。
国指定・建造物の説明版です
多多神社本殿 一棟
柏崎市大字曽地多多神社
多多神社は、大同元年(806)の創立とつたえられるが現在の本殿は棟札によって
永正十六年(1519)に建てられたことが明らかである。
流れづくりの小さな社殿で、覆屋で保護されてきたため建立当時の姿が完全に残され
ている。身舎野間口は1.7m奥行は1.06mで、正面と側面に縁と高欄をめぐらし
ている。面大取りの向拝柱に頭貫をとおし、三斗を用いて桁をうけ、向拝柱とのつなぎ
には海老虹梁をかけ、棰は二軒、身舎の正面と向拝の斗栱の間には彫刻蟇股をもちい、
妻には大塀束に笈形をかけ、柱上部の頭貫やつなぎ虹梁の先端には木鼻をひどこしてい
る。流れづくりの正統をふむ室町時代中期のすぐれた社殿であり、部分的に鎌倉時代の
古調がのこり、宝珠や木鼻彫刻に地方色がうかがわれる点も注目される。
昭和五十一年から三ヵ年にわたって、国費二千八百万円をかけて根本的解体修理とあ
わせ防災工事も終えている。
昭和三十三年五月十四日 柏崎市教育委員会
境内に入ります
手水です
拝殿です
掛額です
神楽殿です
本殿は堅固な覆屋の中に在ります
拝殿前の大きな松です、雰囲気があります
南東側からの多々神社社叢です
では、次へ行きましょう
国道8号線と県道73号線の交差点曽地信号の南東側に在ります
駐車場は、参道前から東へ行ったところの集落センターを利用させていただきました。
多多神社参道です
式内多々神社の石碑です
国指定文化財の説明版です
国指定文化財 有形文化財・建造物(昭和33年5月14日指定)
多多神社本殿
多多神社は大同元年(806)の創建と伝えられているが、現在の本殿は棟札によって
永正16年(1519)に建てられたことが分かっている。度々修理がなされ、一部改変
されているが、昭和52年に解体修理で、元に戻した。
流れ造りの間口一間ほどで板葺き屋根の小さな社殿は、覆屋で保護されてきたため、創
建当時の姿をよくとどめており、室町時代中期の神社建築の特徴をよく示している。向拝
柱、方位や脇障子柱の大きな面、かえる股や木鼻のデザイン、海老虹梁の形などに時代の
特徴がよく見られる。
国指定・建造物の説明版です
多多神社本殿 一棟
柏崎市大字曽地多多神社
多多神社は、大同元年(806)の創立とつたえられるが現在の本殿は棟札によって
永正十六年(1519)に建てられたことが明らかである。
流れづくりの小さな社殿で、覆屋で保護されてきたため建立当時の姿が完全に残され
ている。身舎野間口は1.7m奥行は1.06mで、正面と側面に縁と高欄をめぐらし
ている。面大取りの向拝柱に頭貫をとおし、三斗を用いて桁をうけ、向拝柱とのつなぎ
には海老虹梁をかけ、棰は二軒、身舎の正面と向拝の斗栱の間には彫刻蟇股をもちい、
妻には大塀束に笈形をかけ、柱上部の頭貫やつなぎ虹梁の先端には木鼻をひどこしてい
る。流れづくりの正統をふむ室町時代中期のすぐれた社殿であり、部分的に鎌倉時代の
古調がのこり、宝珠や木鼻彫刻に地方色がうかがわれる点も注目される。
昭和五十一年から三ヵ年にわたって、国費二千八百万円をかけて根本的解体修理とあ
わせ防災工事も終えている。
昭和三十三年五月十四日 柏崎市教育委員会
境内に入ります
手水です
拝殿です
掛額です
神楽殿です
本殿は堅固な覆屋の中に在ります
拝殿前の大きな松です、雰囲気があります
南東側からの多々神社社叢です
では、次へ行きましょう