缶詰blog

世界中の缶詰を食べまくるぞ!

月日

2011-04-02 10:44:51 | 日記

 缶詰ブログを始めたのは2004年6月のこと。
 折しも、缶詰生誕200周年の年であった。
(缶詰は1804年、ナポレオン帝政下のフランスで誕生)
 2004年というと、政治家の年金未納問題が続出した年だ。一方で、小泉純一郎首相が北朝鮮を訪問し、拉致被害者の家族5人を帰国させた年でもある。
 もう、7年も前のことなのだなァ。
 筆者が幼い頃、ちあきなおみの『喝采』の
「あれは三年前...」
 という部分を聞いて、
(自分も早く大人になって、そんな台詞を言ってみたい)
 こう思ったことを憶えている。
 ところが、今では3年なぞ、つい
(こないだのことだな)
 こう思う。

 先の東日本大震災では、岩手・宮城の缶詰企業が壊滅的な被害を受けた。
 そして、岩手県釜石市に嫁いだ筆者の妹も、震災の犠牲者となってしまった。
 鵜住居地区に住んでいた妹は、地震の直後、夫や義母と一緒に、昨年建てられたばかりという地域防災センターに避難したらしい。
 その2階建ての建物には200人くらいが避難したという。そこに津波が襲いかかったのだ。
 片方の窓ガラスを破った津波は、内部に真っ黒い海水を充満させた。1分かそこら、中が「水槽状態」だったという。
 やがて反対側の窓ガラスが破れ、海水は外に流れ出た。それまで、天井部分にわずかにあった空間で呼吸できた人が生き残った。20人程度だったという。
 妹の夫も生き残ることが出来た。津波が襲いかかったとき、彼は妹と母を抱きしめたが、波の圧力にはとても抗えなかったという。
 水が引いた後に、2人の姿はなかった。そして20日になって、妹の遺体が発見されたのだ。義母はまだ行方不明のままである。

 妹はこのブログにも何度か登場している。
 そもそも幼い頃、妹と一緒に夢中になって観たグラハム・カーの『世界の料理ショー』が、筆者を食べ物の世界へ引き込んだのである。
『トムとジェリー』もお気に入りだった。あれには缶詰の肉やチーズをたっぷりと挟み込んだ、厚さ30センチくらいのサンドイッチがよく登場したのだ。

「お兄ちゃん、トムとジェリーのサンドイッチ、いつか食べてみたいね」
「一度でいいからコンビーフを丸ごと食べたいね」
 妹はこんなことをよく言っていたものだ。

 食べ物は食欲を満たすだけではないのですなァ。それぞれに想い出の食べ物というのがあるし、同じ物でも食べる場所、相手で味が変わる。それに、各地の食文化まで分かってしまうのだ。
 妹のためにも、美味しくて楽しい缶詰を、これからもどんどん取材して食べていこうと思っている。