庭物語

庭に咲くハーブや草花の様子を綴ります。
管理者はミントです。

花巻めぐり(六)

2006年12月03日 | お出かけ
今朝は屋根や地面が白くなっていて小雪がチラチラ降っていました。すごく寒いです。すぐに溶けてしまいますが一日ちらついていました。やっとタイヤをスタッドレスに交換しました。これで一応安心かな。道路が凍ると恐いです。
イギリス海岸から賢治さんの資料などが展示されているイーハトーブ館を見て以前見たときは感じなかった賢治さんの複雑な心境を垣間見ました。そこから斜面を400メートルだったか上ると宮沢賢治記念館と有名なレストラン山猫軒があります。この斜面に南斜花壇が再現されており賢治さんの思いが実現されなかったアケビのパーゴラや夜間照明などが設けられていました。記念館でも貴重な資料がたくさん展示されており見学者で賑わっていました。外国の旅行者の方たちもいました。
そのあとぜひ見たいと思っていた賢治さんが一人暮らしをした家(羅須地人協会を立ち上げた家)に向かいました。午後から曇って薄暗くなりました。花巻農業高校の敷地内に移築され、きちんと保存され生徒や同窓生の手で守られていました。中に入って見る事もできます。賢治さんが暮らした家だと思うと感慨深いものがありました。私が一番見たかったのは教え子の一人が回想している部分です。初めて賢治さんの家を訪ねた時のことで6月末頃らしいです。一部分を紹介すると「路にそうて短い落葉松がまばらに植え付けられ、・・・・道の北側には空地に型どった三角形の花壇があり、ひなげしであったか赤と黄が咲き乱れていた。・・・農家(家屋)の設計や庭園の設計には・・・蔓ばらは数本植付けられて壁に誘引せられ、庭松の下影にはチューリップの球根が風乾されていた。」となっています。表側はガラスがはめ込まれた引き戸が全面に使われていました(賢治さんの死後農家の方が譲り受けて別の村に移し、改装して住んだらしいので当時はどうなっていたか)。壁になっているのは画像の右側の白い部分ですがこれも当時はどんな壁だったのか・・・。根気良く資料を探せば古い写真が見つかるかもしれませんね。この位置だとしたら賢治さんはどんなバラを数本壁に誘引していたのでしょう?気になりますね~。このあと羅須地人協会跡まで行って下の畑を上から眺めて帰って来ました。一日だけの花巻めぐりの紹介を一週間もかかってしまいました。長々お付き合いしてくださったみなさんありがとうございました。また何かわかったらお知らせしますね。
コメント
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