庭物語

庭に咲くハーブや草花の様子を綴ります。
管理者はミントです。

Rose のメモ

2006年11月30日 | ガーデニング
このページを見つけたときはドキッとしました。私はおっちょこちょいで早とちりで、思い込みが激しいので、きっとこれは何かの間違いだ、あんまり賢治さんのバラのことばかり考えているから目の錯覚に違いない・・・と思いました。
でも、本の天地を逆にして何度見てもRose と見えます。
もう夢中で一つずつ見て行きました。
どれもありそうだけど私が持っているのに載っているのはProsperityだけのようです。Queenとあるのは何でしょう。クイーン・エリザベスは1954年に作られていますから違いますね。オールドローズに何種かQueenと付くのがありますが当時どんなものが輸入されていたのでしょうか。
バラに和名が付けられて売られていたときにわざわざ賢治さんは英名で書いています。ということは外国のカタログを見ていたのではないかと思うのです。
当時イギリスのサットン商会のカタログは数百種類の写真入り草花を紹介していたといいます。そして賢治さんはサットン商会からも西洋野菜や花の種を購入していたらしいです。このカタログを取り扱っていたのは日本橋の本屋、丸善と横浜植木商会だったようです。調べてみたら横浜植木商会は明治23年に創業し日本人商社で初めて植物類の輸出入業務を行なったところのようです。ということは昭和の初めに賢治さんがここから和名の付いていないバラを買ったと考えられるのではないでしょうか。もちろんノートの他のページには日本の種苗会社の名前もたくさん書いてあるので違うところで買った可能性もありますね。まだまだ調べることがたくさんあって考えがまとまりませんが少し賢治さんが身近に感じられてきました。
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花巻めぐり(三)

2006年11月29日 | お出かけ
今日は晴れましたがかなり風が強く吹きました。今、外は晴れて月がきれいに見えます。この分だと明日の朝はかなり冷えそうです。
画像は花巻温泉バラ園に立っている賢治さんの詩碑です。一部分を載せて見ました。石に刻むのが普通だと思いますが、ここでは強化ガラス?に刻まれていました。バラの開花時期には下から見上げると詩碑の向こうのバラが透けて見えて賢治さんの詩に彩りを添えることでしょう。
この詩は「冗語」と言うタイトルで、教え子で花巻温泉に就職した冨手一さんといっしょに花壇を作っているときに作られた詩と言われているようです。
昭和2年6月10日の様子でしょうか。
コキア(ホウキグサ)、羽衣甘藍(ケール)を植えつけようとしていたら急に雨が降りそうになってきたので動物園の水鳥や孔雀が喜んで大騒ぎしている。植え付けは後にしてたい肥を埋めてしまおう。羆熊(ヒグマ)のたい肥を作ったのは冨手君が日本では初めてだろうね。さぞかしきれいなカンナが咲くだろう。という内容みたい(そのままですね)です。このあと雨雲が流れてくる様子や、たい肥は濡れると始末が悪いからはやく埋めよう、などという内容が続きます。
楽しそうですよね、ヒグマは遊園地内の動物園で飼われていたのでしょうね。賢治さんはこの南斜花壇にたくさんの草花を植え込んだようです。ペチュニア、アンチリナム(キンギョソウ)、ナスタチウム、etc、そしてカンナも。カンナはノートに何度も書かれています。植え込んだ花々が咲き乱れる様子を想像しながらの作業、私にはほんとにこの詩から楽しい雰囲気が伝わってくるのですが・・・。
他の詩にもこの花壇に関する思いがつづられているものがあるのですが、それは賢治さんの複雑な心境を表しているようです。それはまたあとで書きましょう。
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賢治さんのバラのページ

2006年11月28日 | ガーデニング
今日も一日雨降りでした。みぞれとかではなかったので良かったです。
今日は花巻めぐりの続きを紹介しようと思っていましたが、予定変更で別の内容を書くことにしました。
実は夕べ見つけてしまったんです。私的発見!と一人で興奮しています。宮沢賢治の研究本はたくさんあると思いますが、私はまだ少ししか読んでいないので知りたいと思っていることが書いてあるところをなかなか見つけられないでいます。
少しずつ調べていくうちに<賢治>と敬称を略して書くのが申し訳ない気がしてきたので尊敬と親しみを込めて勝手ながら<賢治さん>と書かせていただくことにしました。
「memo flora」と表紙に書かれた賢治さんのノートがあります。たくさんの花の種類や花壇の設計図、注文予定?の計算書などが書かれています。とても興味深く眺めていたのですが、日光のことが気になってしばらく放置していました。花巻に行ってきたので久しぶりに開いてみたら以前は気がつかなかったページが目に留まりました。左のページはなにやら三角形や四角形などの図形と計算式です。右ページは英語が上下逆に書いてあるのです。さかさまに見たので気に留めなかったのでしょう。夕べは思いついて本を逆にして見てみたところ。<Rose>の単語が目に付きました。よく見てみるとどうやらバラの名前が数種類書いてあるようです。
ぜんぜんわからないのもあるし、聞いたことがある気がするものもあるような。同じ名前が3回も書いてあるものもあります。
たった一つだけ私にわかるのがありました。<Prosperity>です。この文字を見つけたときはすごくうれしかったです。私は以前このバラを買おうか迷いましたが結局違うのを買ったのです。調べてみるとこのバラは1919年(大正8年)に作出されています。賢治さんがこのノートを使っているのは大正末期からで花壇の設計を一番たくさん手がけた頃のようです。もう、昭和初期までにProsperityは日本に来ていたのでしょうね。同じバラの名前を共有できただけでも感動です。どんなバラ花壇をどこに作ろうと考えていたのでしょう。左ページの図形はバラの植栽プランだったのでしょうか。うれしすぎます。画像はバラ花壇に移された賢治さん設計の日時計花壇の一部です。
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花巻めぐり (二)

2006年11月27日 | お出かけ
私たちが着いた時はバラ園には誰もお客さんはいませんでした。バラ園の奥の方にある賢治設計の日時計花壇は以前は温泉旅館の方にあったものを移したのだそうです。いい季節には色々な花が植えられていたのでしょうが、冬に備えてすべて寒さに強いビオラに植え替えられていました。手前の方にはハーブガーデンがあって、ミントやタイム、セージなどのコレクションがあってまだきれいなみどりといい香りを楽しませてもらいました(さすがにセージ類は霜で黒くなっていました)。
近くで園の方が1人作業をしていたので賢治ゆかりのバラがあるか聞いてみました。「温室にありますよ。どれかわからないと思うのでご案内しましょう。」と一番奥の温室に案内してくださったのです。中は支柱にしっかり縛られた同じようなバラがたくさん地植えされていました。「これが日光です。」と示されたのが画像のバラで2本ともそうです。葉が青々していて、丈も1メートル30センチくらいありました。教えていただかなければ私にはわからなかったかもしれません。紅い蕾がついていましたが花は咲いていません。うちのとぜんぜん違います。育て方によってこんなに違いが出るんですね。これは病院の院長先生から枝をいただいて育てたものですか?とお聞きしたら直接ではなく専門の業者を通して・・ということのようです。確かなところはよくわかりませんでした。それよりも更に驚くお話を聞かせていただきました。院長先生のお宅でたくさんあったバラが戦争などで失なわれてしまって日光しか残らなかったのでしょうか?とお聞きしたら、「いや、まだ数種類残っているそうですよ。鈴木先生に数種類お送りして、名前がわかったのが日光だけだったらしいです。ごく最近院長先生宅の親戚か知り合いの方に聞いたのですが、黄色だかピンクだか何種類か残っているけど、名前がわからないから自然に消えることになるだろう、と言っていた。私はまだ見たことはありませんが。」とのことでした。
大切に守られて生き続けていたバラが他にもあったんですね~。気になります。
もう、すっかり感動してしまいました。
このあとに昨日紹介した南斜花壇跡の詩碑の所に案内してもらったのでした。
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花巻めぐり (一)

2006年11月26日 | お出かけ
今朝も霜が降りましたがその後は風もなく、とても良い天気の暖かい日でした。
今日は夫に付き合ってもらって花巻に出かけて来ました。
はじめは花巻温泉ばら園へ。11月からは花もないので入場無料になっていました。
以前来たときはバラを見るのに夢中で、人も多くてあまり良く見ないで帰りました。今日は人が少なくバラもこの通り1本ずつ丁寧に支柱に縄や紐でくくられて、これから降る雪への備えをしていました。

今日はバラのカラフルな色がない分斜面をよく見ることができました。
宮沢賢治のバラコーナーはありませんが詩碑、南斜花壇に関する手紙などが斜面に展示されていました。近くにいた係りの方らしき人に訪ねると画像に写っている部分が賢治が設計し、教え子とともに作った花壇跡です、とのこと。(室内遊技場?や動物園なども併設された温泉で更に斜面に花壇を作ることで観光客を集めることを目的にした、というようなことが後から行った資料館に書いてありました)賢治が作った花壇にはダリア、キンギョソウなどの一年草が植えられており、冬場にはこの場所がスキー場だったというお話を聞かせていただいた係りの方は何とこの園の高橋園長さんでした。貴重なお話を聞かせていただきました。その後鈴木省三さんがバラ園に変えたということを具体的に教えていただこうと思ったら、基本的な原形は賢治の設計のままで、そこに長く花を楽しめるようにバラを植える指導を鈴木先生にしていただいたとのことでした。何でも今の園長さんの先輩で県の園芸試験場?にいた方がバラが好きで何年か鈴木先生のバラ園に研修に行ったのが縁で指導に来ていただいたと言うようなお話でした。
歩いてみるとつる草の茎の部分が通路になって丸い実の部分にバラが植えられてあります。唐草模様?(ブドウの茎と実?)を表しているのだとか。こんな形で残っていたのには驚きと感激ですっかり興奮してしまいました。賢治はスキー場の夜間照明を利用して夏の花壇をライトアップして幻想的な景色も試したいと考えていたみたいです。更に園長さんには賢治のバラに関して気になるお話も聞かせていただいたので明日また載せることにします。
画像は下から斜面を見上げたものです。模様がわかりませんね。
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霜の朝

2006年11月25日 | ガーデニング
一週間毎に霜が降りるような気がします。今朝はマイナス3度位でした。先週と同じく一面白い世界で吐く息も白いです。初氷は先週でしたが今朝も外のバケツの水はしっかり凍っていました。これからは日毎に氷の厚さも増して行くのでしょう。
今朝の霜が強かったので何だか不安になって、急遽残りの鉢植えなどを避難させることにしました。暖かかったのでがんばれました。軽トラックで2往復、「はぁ~、何でこんなに鉢の数が多いんだろう・・・。」と思わず独り言。
素焼きの10号鉢を何個も運ぶのはきつくなってきました。それに安いのを買うせいか、鉢の土が凍ったり溶けたりを繰り返すと鉢がもろくなって割れてきます。
これからはプラ鉢のお世話になる方がいいのかも・・・。
午後は軒下のゼラニウム類を物置の中に避難させました。香りが良くて楽しく作業できます。久しぶりにこの葉を使ったケーキが食べたくなりました。
グッドタイミングで友達からメールが来て、春にいただいて花を楽しんだトキ草の冬越しの仕方を教えてもらいました。ぜんぜんわからないので助かりました。
来年ちゃんと花を咲かせられるか心配です。

画像は今朝、庭の四季なりイチゴを写したものです。確かララミーという種類です。イチイの小さな木の下に伸びてきて根を下ろしているので霜もそれほど強くないです。紅葉した葉とグリーンの葉に霜がついてきれいだったので写してみました。だいぶ前に植えたのですが土が悪いのであんまりイチゴは採れませんが、ランナーで思わぬところに移動していたりします。全体がコンパクトで花もかわいいし、運がいいと食べごろの実を見つけることができます。虫の餌になるほうが多いのですが。ちなみにこれはワイルドストロベリーではありません。2センチ位のおいしい実がなります。
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生ごみたい肥に挑戦中

2006年11月24日 | ガーデニング
まだ真冬でもないのにあんまり毎日「寒いです」と言うのもおかしいですね。
風が強くて小さめの鉢植えは水切れになるんじゃないかと心配でした。
庭にも色の着いた花がいよいよ少なくなって地味な色合いです。

40日ほど前からまた生ごみたい肥を作り始めました。前にも何度か作ったことがありましたがそのたびに何か障害があって断念していました。
埋め込んだものをタヌキやカラスにすっかり掘り返されて植えたものがみんなだめになったり、作る時期が悪かったのかうまく発酵しなくて途中で挫折したり・・・。
雑誌で紹介されていた生ごみ処理機も買って使用しました。乾燥が終わると香ばしいいい匂いになるんです。そのまま埋めるとまた動物が・・・。
そんなこんなで2年ほど作るのをやめていましたが、少し前に友達に落ち葉を貰ったのをきっかけにまた挑戦してみようと思いました。
70ℓのポリバケツに落ち葉ゴミ袋3つ分、自家製米ぬか、余っていた赤土、薫炭などを入れて棒で混ぜ込みました。毎日生ごみを電気で処理したものや、時には野菜くず、果物の皮、きのこの石づきの部分(特にエノキやシメジは効きそうな気がするので)を生のまま入れて、今回はEM菌も混ぜ込んでいます。たまに手を入れてみるとボワ~ンと暖かくなっているときもあります。ちょっと水分不足かも。
この頃は寒いのであんまり菌の活動が活発でないのかもしれません。米ぬかやEM菌を混ぜ込みながら何だか顔がニヤけてしまいます。来年の春には落ち葉や生ごみがどの位分解されているでしょうか。とても楽しみです。
誰にも見られないところでやっているのですが、大きなバケツを覗きながらかき回し、ニヤニヤしているなんてちょっと変?

画像はラミウム(英名 シルバーデッドネットル )です。これは葉のほとんどが白っぽい班で縁だけグリーンです。茎が這って広がるのでグランドカバーに利用しています。赤紫の花もきれいです。オドリコソウの仲間で若芽を食用にもできるそうですがまだ試したことはありません。これのほかに班の入り方が違っていて、花が白いものと、葉がゴールデンで花がピンクのも持っています。寒さに強いようで地植えで冬越しできます。梅雨時蒸れて弱ります。



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こぼれ種で咲いたマリーゴールド

2006年11月23日 | ガーデニング
寒かったですね。日は差していましたが風が冷たくて8度くらいまでしか上がらなかったみたいです。
今年の冬はどうなんでしょう?庭の植物たちにとってもこれからは辛い時期です。
霜柱で根が持ち上げられ、風で根や茎、葉が脱水状態になって枯れてしまうのです。雪もそれほど積もらないので土も凍りついてしまいスコップも入らなくなるのです。まだ今はそこまで気温が下がっていないのでだいじょうぶなのですが。
画像はマリーゴールドの園芸種?「冬知らず」という名前が付いています。
寒さに負けずこんな可愛い花を咲かせてくれています。
これは以前花友達から秋に苗を貰ったのが毎年こぼれ種で咲いてくれるものです。
春に咲いたものの種から芽が出て今こうして咲いています。
これは落ちた種がみんな芽が出たの?というくらい発芽率がいいです。
草取りのときずいぶん間引いたのですがまだたくさん生えています。
霜で花がほとんどなくなったころにこんなあったかい色のかわいい小さな花が咲いていてくれるとうれしいですね。
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霜のあと

2006年11月22日 | ガーデニング
今朝も霜は降りなかったもののけっこう寒かったです。すごい霧だったので暖かくなるかと思ったらそれほどでもなかったですね。
先日の強い霜と雨で庭の植物たちはすっかり黒っぽく萎れて寂しい庭の風景になりました。
蕾がついたバラが色々あるのですが咲くことができるでしょうか。
ブラッシュ・ノアゼットもものすごい数の蕾ですが、ほとんどボール化してしまいます。切ってしまったほうがいいのかなと思うのですが、なかなか踏み切れませんね。プリンセス・ド・ナッソウもたくさんの蕾です。私の肥料のあげ方が悪くて開花時期のコントロールができていないのでしょうね。

画像のビオラは春に咲いた花から種が飛んでバラの鉢で咲いているものです。微妙な色合いが気に入っているものです。これは寒さに強いので助かります。霜で花が凍ってしまっても溶けると何事もなかったように咲き続けてくれます。

賢治とバラのことばかり考えてきましたが、次々に調べたいことが増えてくるのできりがありません。また少しずつ勉強して何かわかったらここに載せることにしましょう。
今まで何度か花巻のバラ園、賢治記念館など行ったのですがこれと言った目標を持たずに何となく見てきていたことに気がつきました。
今度は確かめたいことや見たいところがたくさんできたので、行くのが楽しみです。
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たくさんのバラのうちの一つ?

2006年11月21日 | ガーデニング
朝方はまだ小雨が残っていましたがいつの間にか晴れて暖かい日になりました。
少しこんな日が続いて欲しいですね。

よく「賢治が愛したバラ」として紹介されている「日光」(グルス・アン・テプリッツ)ですが彼はどこでこのバラを知ったのでしょうか。
のんのんさんのお話によると明治41年位には日本に来ていたそうです。昭和初期には香りがいいのでトップクラスだったというのを読んだことがあります。カタログや定価表にそのようなことが書いてあったのかもしれませんね。実家で病気療養中にカタログで見て取り寄せたのかも・・・。一生懸命調べている彼の姿を想像してしたりしています。賢治にとってこのバラが特別だったのでしょうか、今まではそう思っていました。
でも先日、院長宅に20種ものバラ苗が届いたことを読んでから少し思いが変わってきました。色々検討して20種類を選んだのであって「日光」だけが特別なバラという訳ではないのではないか、と思えてきたのです。他にはどんな種類があったのでしょうね。
現在まで生き残ってくる過程で<日光が特別なバラ>になってきたのではないかなぁ、なんて思ったりしています(勝手に想像しているだけです)。

画像は今日の夕方のグルス・アン・テプリッツです。花びらが少なくなって花全体も小さくなりました。早朝は蕾だったのに今日の暖かさで夕方には少し開いていていい香りが漂っていました。誰がどんなことで悩んでいてもバラはこうして咲いてくれます。

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病院長に贈られたバラ

2006年11月20日 | ガーデニング
夕べ降り始めた雨が一日降り続きました。肌寒かったです。薄暗くて寒い日でしたが、私はその天気も気にならないくらいウキウキしていました。

夕べ寝る前に今読んでいる本の続きを先へ進みました。そしてついに見つけてしまいました。無理な農作業、無料の肥料相談、質素な食事・・・あまりにも体調管理に無頓着だった賢治の身体は体調を崩すと回復に時間がかかります。
花壇を作った病院の院長は賢治の父が親しかったようで自然に賢治とも交流があったのでしょうか。2人とも身体を壊し療養していた時期があり、真夏のある日院長宅に賢治が遊びに来たことが書いてありました。2人とも院長の庭でとても楽しい一日を過ごしたようです。特に賢治にとって忘れられないほど楽しい日だったのではないでしょうか。この先の最後の2行に私の目は釘付けになってしまいました。心の準備がなかったのですごく驚きました。それはこういう文章です。

 秋になり賢治さんは私に立派な薔薇の苗二十種を届けてくれました。その薔薇は今も大切に培養されていて、年ごとに美しい色を咲かせます。[1929年]

1929年は昭和4年です。写真は昭和7年のもの。そしてこの本の初版本は1942年、昭和17年に出されています。贈られて13年経っても美しく咲いているというのです。この本の著者は薔薇を贈られた本人、佐藤隆房院長です。
昨日のブログに本の写真にはバラは3、4本あるように見える、もっとあるかも、と書きましたがほんとは9本くらいに思えていたのです。
パソコンで拡大してみると少ない本数でないことはわかりましたが、まさか20本も贈られていたなんて・・・驚きです。鉢植えを並べて撮ったのでしょう。
ほとんど収入のない賢治がどのようにしてバラの代金を支払ったのかは別として、20本の中に「日光(グルス・アン・テプリッツ)」が含まれていたのでしょうね。
木の大きさに多少違いが見られるようですが皆大きな花をつけているようです。まさか全部が日光?とは思われないので、他にどんな薔薇があったのか気になります。これらの薔薇は今でも存在するのでしょうか。薔薇を贈ったとき賢治は33歳、グルス・アン・テプリッツは32歳日本に輸入されていたのは確実ではないでしょうか。画像はこぼれ種で出たボリジです。春まで枯れずにがんばってほしいです。
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気になるバラ 賢治と「日光」他のバラ

2006年11月19日 | ガーデニング
今朝方は氷点下になったようです。外に出たら霜で真っ白でした。キーンと冷えきった空気の中で草や野菜が白く凍って美しかったです。軒下に置いていたゼラニウムたちが凍っていました・・・。まだ<バナナで釘を打つ>ほどの凍り方ではないので大丈夫とは思いますが。
庭に行ったときには霜が溶けて日の光ですべての物がキラキラ光ってとてもきれいでした。今日は先週できなかった分まで、冬越しの準備をしなければなりません。
義父から軽トラックを借りて3往復して鉢植えや小さな苗などを自宅の軒下などあちこちに避難させました。ビニールポットから鉢に植え替えたり、鉢の場所を移動したり、あっという間に時間が経ってしまいました。
とりあえず小さなものは移動したので一安心。あとは寒さと鉢植えの様子を見ながら対策を取る事にしましょう。
今朝は強い霜だったので義母が「明日は霜流しの雨が降る。」と言っていましたが先ほどから降り始めました。昔からの言い伝えは当たるものですね。

また賢治のバラを考えています。病院や花巻温泉の花壇を設計、工作した頃はまだ農学校の教師をしていたので給料は貰っていたのでしょう。自分のことは後回しにして困っている人に尽くすことが多い賢治に当時高価なバラを買う余裕はあったのでしょうか。大正15年には教師を辞め「羅須地人協会」を設立して一人暮らしを始めます。質素な生活の中で病院長にバラを贈る・・・花壇の報酬があったのでしょうか。写真には3~4株位あるように見えます。もっとあるかも。<賢治さんが寄贈した>と書いてあるのでかなりの金額になったことでしょう。賢治が「羅須地人協会」時代に使っていた「MEMO FLORA ノート]には設計図にTea Roseの文字や別のページにメモとして薔薇園 種 3種、バラ 10種などの金額計算が書いてあったりします。薔薇園(ショウビエン)は明治時代からあったバラ園らしいのでそこに注文したのかもしれません。そのうち何種かが院長宅に贈られたのでしょうか。当時の「羅須地人協会」の家には数種のつる薔薇が壁に誘引されていたらしいです。「日光」のような華やかな赤い薔薇はつつましい暮らしの自分の家には似合わないと考え、庭園を持つ院長宅に贈るのがふさわしいと考えたのでしょうか。
画像はちんまり咲くクリスマスローズです。今咲くのはニゲルという原種かな?
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気になるバラ 賢治と「日光」

2006年11月18日 | 手作り
今朝も寒かったです。外は3度くらいでした。
家の門口には大きなヒイラギの木が真っ白い花を咲かせて今年もいい香りを楽しませてくれています。うちの木はけっこう古いらしく葉が丸くなっています。
木が若いうちは動物などに食べられないように葉が針のようにトゲトゲして身を守っていて、木が大きくなると防御の必要がなくなり葉が丸くなる、というのを読んだことがあります。剪定して新しい枝を出させると尖った葉が出てきます。

宮沢賢治のバラが頭の中でモヤモヤしています。
賢治が生まれたのは1896年(明治29年)、その翌年1897年、ハンガリーでグルス・アン・テプリッツは作出(紹介?)されました。ほぼ同い年と言うことになりますね。明治・大正・昭和の初めころはたくさんのバラが日本に輸入され、馴染みやすいように和名が付けられたそうです。色素の関係で赤い花が日光を浴びて更に赤く変化するこのバラにはどんな意味を持って「日光」と付けられたのでしょうか。
賢治が花巻の病院の花壇や花巻温泉の花壇を設計、工作したのが大正13年頃からで賢治29歳、病院長と親しくなったようです。詩などに花壇を作るときの様子などが書かれていておもしろいです。それまでに妹の看病や家出で東京に何度か滞在していたので新し物好きの賢治がバラを見たりしていたかもしれませんね。またカタログから注文して取り寄せたかもしれません。
賢治は1933年(昭和8年)に亡くなっており、本に出ている写真は昭和7年のものです(賢治は写っていません)。結構大きな株になっており花がたくさん付いているようです。花の色、香り、花びらの様子がわからないのが残念です。植えてからずいぶん経っているかもしれません・・・賢治が大正の終わり頃に植えたのかも・・・。
明治年間に探検家、宗教家で知られる大谷光瑞が園芸試験場で「日光」の芳香を利用するために栽培圃場を作り、香料の生産を試みたらしいです。それほどこのバラの香りはすばらしいということでしょうね。いい香りですよほんとに。
画像は先日作ったつるかごです。ローズゼラニウムは大きすぎて合わなかったので、観葉植物のエレンダニカを入れてみました。
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気になるバラ あれこれ

2006年11月17日 | ガーデニング
今日も寒かったです。日中はまだいいのですが朝晩はかなり冷えます。
今朝は庭を見に行くことができなかったのでまだ幼い苗や鉢植えのものが寒さや水切れなどで傷んでいないか心配です。
家の作業場の軒下近くに避難させたのは元気です。
ゼラニウム類や多肉植物も日光が当たるので今の所大丈夫。そろそろもう少し何とかしないといけないのですが・・・場所が問題です。

最近偶然見つけて読み始めた本で私的に大発見がありました。宮沢賢治と親しかった方が書いた本のようです。今まであまり聞いたことがないエピソードが具体的に書いてあっておもしろいです。まだ読み終わっていないのですが、その方の家の庭に賢治が寄贈したというバラを囲んで9人の女性が写っている写真が載っているのです。写真には詳しいバラの説明は書いてありません。文中にもバラに関しては書いてないようです。
その中には賢治のお母さんも写っています。昭和7年の写真です。モノクロでバラの色までははっきりわかりません。でもつるバラではありません。あのグルス・アン・テプリッツかもしれないと思ったら急にドキドキしてきました。
もちろん違うかもしれません。でも、確立はゼロではないですね。その方に賢治が「日光」を贈ったことは事実のようなので。まだその方の庭だったところにこのバラは咲いているのでしょうか・・・。
いつかまたもっと詳しいことがわかるかもしれません。

画像はうちのバラではありません。今日仕事の途中に思い切って車の中から写したものです。時々通る道の少し上にあるので車からは良く見えません。数年前から気になっているバラです。春から12月頃まで咲いています。オールド・ブラッシュでは?と思っているのですが。10月頃はとてもたくさん花を咲かせていました。
5年くらい前に一度買って育てたことがありましたが管理が悪くてテッポウムシにダメにされてしまいました。比べてみることができないのでまだ名前のわからないバラです。
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バラ バレリーナと垣根バラ

2006年11月16日 | ガーデニング
今日も冷えました。これからは毎日最低気温が更新されます。
朝起きるのも仕事に出るのも億劫になりますね。
気合を入れてがんばりましょう。

夕方帰ったらうれしいことが待っていました。
四国の方から種や苗の贈り物が届いていました。
バラの苗2種、バラの実、花や藍の種(本物の徳島の阿波藍)、徳島の限られた地域にしか自生しないナカガワノギクの苗が入っていました。
貴重なバラの苗やいつかは育ててみたいと夢見ていた阿波藍、野菊ほんとにうれしいです。がんばってお世話して無事に咲かせたいものです。
とっても楽しみです。
徳島の藍の種はとっても小さいです。私が育てている3種類の藍より小粒で繊細な感じ。来年育ててみるのが待ち遠しいです。

今日の画像はバレリーナというバラです。春はもっと淡いピンクですが寒くなると
こんな風に色が濃くなります。秋の方が花数がすくなくてどこか野バラっぽくてかわいいですね。ほとんど香りがないような気がするのでそこがちょっと残念。
花柄を切ってしまっていたのであんまり実が付いてないのですがちょうど花と一緒に撮ることができました。このバラは1937年にイギリスで作られたようなのですが
両親は何でしょうか。ハイブリット・ムスクに分類されているので片方はムスク・ローズでしょうか。香りがあればねぇ・・・。
今頃の状態で観察すると花柄や果柄の腺毛がうちにある謎のバラ・垣根バラととっても良く似ています。実の感じも似ています。
同じように似ているバラはたくさんあるのでしょう。あんまり詳しくない私はゆっくり育てたり比べたりしながら、楽しみながら観察していきたいです。
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