今朝は冷え込みました、外の軒下で-5度、あたりは霜で真っ白でした。
日中は5,6度くらいまでしか上がらなかったようですが風もなく静かな日だったようです。
しばらく前に町中の街道近くにあるお宅を訪ねてお話を伺っていたので忘れないうちに少し紹介します。
たまに通る道から見える家の作りが何となく気になっていました。総二階建ての大きな家で車からチラッと見える庭木も何となく歴史がありそうな感じがしていました。
大正生まれというおばあちゃんが戦後にお嫁に来たときは職人さんや女中さんがたくさんいる「塗り箸」屋さんだったそうです。卸業だったので店というより倉庫のようだったとのことです。この家自体はいつ建てたのかお聞きしたのですが忘れてしまいました。
安政3年創業と伝えられているそうで江戸時代後期、それほど民家が多くない時期に近くから竹を切って削り漆を塗って箸を造って売り出したらしいです。今ではおじいちゃんも5代目の息子さんも亡くなってしまっておばあちゃんからのお話なので詳しい事はわからないとのことでした。
お嫁に来た頃は家の周りに作業場が裏の方まで続いていて庭らしいものはなかったそうです。戦後は福井県の方から貨車で竹製の箸を取り寄せて漆を塗って出荷していました。東北六県に出荷していたそうです。昭和30年代になって機械化が進み合成塗料も出てきて大量生産されるようになると漆の箸はわずかしか売れなくなったとの事。
この石の灯籠は別宅の庭にあったものを40年位前に自宅に移したのだそうです。
この灯籠も別宅から持ってきたものとのこと。町の少し離れたところに別宅があり、商談や泊まりのお客様はそちらでもてなしたそうです。今ではそちらはなくなってしまったそうですが。手入れするのに庭師さんが一ヶ月かかるほど大きな庭だったとか・・・見てみたかったです。
庭木の何本かは現在の庭に移したそうです。
ちょっとアップに撮りすぎましたがこれは木の化石?と言っていいのかわかりませんが昔、亜炭鉱も手がけた事がありその時に出たものを庭に何本か飾っていました。昭和30年代だったろうとのこと。
池に渡してある橋も亜炭鉱から出たもの。とても味わいのあるものでした。何の木でしょうね。
家の奥にある倉に行く途中にあった井戸のあと。万が一の火事に備えて地下部はそのまま残してあるのだそうです。奥に見える石段も風情がありました。
余談ですが漆塗りの職人さんたちは一週間のうち4,5日竹を削って一日で漆を手で塗ったのだそうです。手は軽石でこすらないと漆が落ちなかったとか。
自宅の奥に周囲を他の家に囲まれてこの石の倉が建っています。大正9年くらいに建てられたものらしいのです。この中に明治、大正時代にこの箸屋さんで造られた漆塗りの箸がわずかに保存されているとおばあちゃんが仰っていました。残念ながらさすがに倉のそばには近づくことはできませんでした(笑)
家紋の付いた倉。度重なる大きな地震でもびくともしなかったそうです。
今では塗り箸の製造は行っていませんがおばあちゃんとお嫁さんがお店と家を守っています。
おばあちゃんが「今は昔が夢のようです。」と最後に仰ったのが印象的でした。