閑寂肆独白

ひまでさびしい本屋のひとりごと

小説を読む こと

2012-05-24 13:52:41 | 日記
このところ「小説」を読む機会が殆ど無い。かるた、和紙、螺旋、石炭他の産業遺産関連 etc.
必要に迫られて「調べ物」として 目を通す本はそれなりの量になるのだが、文藝作品は殆ど無い。
これはイカン とは思うのだが、さればとて今新刊店で売れている作品を 読む気にならない。
 商売柄、あるいは始めからの好み だろうが、古典的名作とはいえなくとも過去のもので 読んだことの
無い作品 あるいは読み返してみたい、読み返す必要あり、というものばかり次々とリストアップされる。
「積ん読」ならぬ「書名カードの累積」である。 色々な調べ物の中から 「へえ、こんなことが!」
と作家や作品に 絡むことは結構沢山あって 其のたびに「読んでみよう」と思うのだが なかなか・・・。
 それでも今 当地で評判の ある新作小説を 読みかかっているのだが これが難物。普通は遅くと
も2日もあれば読める分量なのだがなかなか進めない。 理由は判っているのだが 今ここでは書かない。
全部読んで少し考えをまとめてから 報告しようと思う。大衆小説の分野で松本清張や司馬遼太郎
(文章が上手とはいえないだろうが)等が いかに優れた「小説家」だったかがわかる。 我が妻には
 音楽の世界で例えるのだがこれも説明が長くなるのでカット。長い時間に渉って読継がれる文章は 
 それなりに「力」があることを知るべし。
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「判らん」「「怪しげ」 という本が結構ある

2012-05-01 20:43:21 | 日記
 又 間が空いてしまった。 このところ忙しいです。
 其の あれこれを言うと話が混乱するのでこのブログの本旨の「本」に
絞って 書きます。
 元もと できるだけ古い物を扱おうと思っているのだが そうなれば
「定価の×%で売る」などということはありえないことになる。
 「はて、さてこの本は一体どのような流通価値を持つものか?」
 まさに「それが問題だ!」というのは珍しくない。如何評価して良いものか
 判らない! 困った という品が 良くある。
 古いものでは 手元に「古今和歌集」の製版・版本がある。
上下2冊を綴じ合わせ一冊にしてあって、裏表紙はかろうじて
紺紙が少し残っているが、表表紙はテロテロに剥れた状態。
本文には 幸い疵も、虫入りも無く(一部に書込みがあるが)
 概ね良い状態。 問題はこれから・・。
下巻の最後に、「寛文三稔(年ではない)癸卯初冬吉日 新刻」とある。
「古今和歌集」の一般的写本は けっこう流布していてそう珍しい
とは言えないであろう。よほどの名筆・能筆のはっきりしたものであれば
 当然話は 変わる。しかし「版本」となれば 「ちょっと待てよ」
である。この「寛文三年」といえば1663年、季吟、宗因、西鶴、芭蕉
がウロウロしていた頃である。 これは「トンでも」本かもしれない。
 版刷りの本の流布が広がり始めた頃のもので版本の「古今和歌集」としては
 最古の部類になる(ハズ)である。 類似の物とくらべればすぐにわかる
 ことだが 如何せんここは九州の片田舎!こんな版本を所持し見比べさせてくれる
 ところが 何処にあるかいな。というわけ。
 他にも こんなに古くなくて 昭和の御世でも 「正体わからん」と言う
 本は結構あり 売るに売られず 困った という話 これからも
 ボチボチ 紹介しようと思う。

 
コメント (1)
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