閑寂肆独白

ひまでさびしい本屋のひとりごと

失敗の本質を再評価

2021-08-17 07:51:46 | 日記
コロナ蔓延のさなかのオリンピックが終わった、入れ替わりに戻り梅雨。
世の中マスコミに遊ぶ暇を与えないように仕組まれているようである。
コロナ対策とオリンピックに関して政府・霞が関の対応に批判が多く、其中で「失敗の本質」を取り上げているのが多く見受けられる。 刊行されてかなりの時間がたち重版はもとより文庫版も出て世の中にかなり流布していると思われ、国会議員の誰ぞが愛読書と言っているのを新聞記事出で見かけた記憶がある。それだけ「知っている」人は多いはずなのに近々の批判にあるように、理解し反省し行動に移しているわけではない。頭の良い官僚連中のなかにもこの本を読んだものは相当いるはず、しかし現実の政治・行政は何も変わっていない。これは一体何だろう? い「犬が星を見る」というたとえがあるが 彼らはまさにそうではないか? 「読んだ・ああ面白かった」で止まってしまっているように思われる。「わが身に照らして」という行動がない。さらにはこれは霞が関だけの話ではない。わが大牟田の市役所も似たようなことが小生の知りえただけでもいくつもある。基本的に無責任、事なかれ、組織大事。 何か間違いやおかしなことを見つけても同僚・上司の批判はせず「糊塗策」に走り世の批判を避けようとする。郵政省・郵便局の事件、児童相談所の事件、あるいは企業の検査の隠蔽事件も永田町・霞が関の連中がお手本になっている。その「マネ・前例踏襲」であろう。情けない国になったものだとつくづく思う。 少し話は飛ぶが、舊ソ連の崩壊は社会主義の失敗ではなく「官僚主義」の肥大が原因と思っている、そのうち中国がそうなるのではないかと思っているが、一市民の出る幕ではない。
コメント
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