鉛筆で書き込みや線引きがしてある本だと できる限り「消す」ことにしている。そもそも線引きをしてある本というのはいわゆる「硬い内容」のものがほとんどなのは言うまでもなく、もとより自分から手に取って読むことはそうあるわけではなく、どんな内容なのか関心はもちろんある。
最初からページを繰って見ていくのでその本の内容をおおざっぱながら知ることになる。中には何でこんなところに線引き?とか意味不明の書き込み・印など無しなどもあるけれど、「これは?」と手が止まってしまう事もたまにあることです。
クラウゼビッツという著名な学者?評論家?の「戦争論」という名著がある。題名にひかれて若い時目を通した覚えがあるけれどしっかりした関心があったわけではないので内容をほとんど覚えておらず、ただ「戦争は政治の失敗の尻ぬぐい」(小生の意訳)というのは方々で引用されているので忘れるいとまがなかった。
「批評をする人間は、批評される当の事柄のなかにうごめいていた人間より一段高い見地に立たねばならない」というのを見つけた。「中野重治は語る」の最初の章「「批評の問題―一般的に」という文章の中にある。
もとよりクラウゼビッツは「戦争・戦略・戦場・戦闘」に関して述べているのだけれどそれが文芸評論の分野でも通じる大事なことだという事を縷々述べてある。ここでは文芸を対象にしてあるが、事はもっと大きく、この頃の「いいね」とか「ヘイトスピーチ」とかに限らず軽い無責任な「批評・非難」があふれてきているし、TVの出演者の軽薄な短評(コメント)などを中野が生きていたらなんと言うだろうかと思う。さらに言えば、それを仕掛ける側(番組制作者)の見識が一番問題だという意見はあまり聞かない。
事の本質を突いた言葉は普遍性を持つ、というようなことを思った次第。
相変わらず言葉不足で意を通じることができないけれど、関心を持たれたら平凡社ライブラリーの「中野重治は語る」をお読みください。