店に女性の来客あり、以前わが店から芥川の全集を買ってくださったとのこと、それで卒論を書いたそうである。このところ小生にとっても芥川づいているなあと思いながらの対応。いろいろ話しているうちに 故松原新一氏の指導を受けたとのこと。小生が彼の研究室の最後の片づけをしたというと びっくり!彼に大変面倒をみてもらったとのことで涙ぐむ一幕でした。そこで思い出して、芥川についてあることを聞いてみた。それは
小生がずっと以前に読んで記憶にありその後確認できていないこと、2件。
一つは 芥川は大変な風呂嫌いで 匂いがするほどだったということ、本当にずっと前何か目を通した中に書かれてあって 妙に記憶に残っているのだけれど、さて一体誰のなんの本であったか覚えがないし、その後出会っていない。彼の文学本質論からは離れた「ゴシップ」であろうけれど、作家の全身像を思い彫琢するについては刻む溝の一本であってより影印がはっきりするというものだろう。酒癖のこと、金銭のことなど作家の実態・クセなどはいろいろ書かれているけれど「匂い」は写真では窺がうことはできない、また身近に接した人でないとわからないことでもある。 ささいなことだけれどやはり「大事」と思う。
もう一本は 芥川の小説化としての資質、あるいは分類に関して。彼は江戸期の、あるいは中国の小説説話類を相当読みこんでいたらしい。彼の作品はほぼすべて「元ネタ」があることは知られている。有名な「雲の糸」は仏教説話であることはだれでもわかる。彼自身の一からの「創作小説」は無い。という論説、これも 誰のどの本で読んだか定かでない。
小説のありようはいろいろ、これだけ「情報」あふれている今日、ある程度の下敷きになるものがあるのは仕方がないだろう。その点 明治の近代口語文学の嚆矢であったり確立に努めた人たちはやはりすごいことをやっていたと思うべきだろう。ただし本人はもとより家族親族のことを暴き縷縷愚痴る日本流の「私小説」はいただけないですね。 いかに個人の煩悶であっても「創作」の色気のあれこれがなければいけないと思いますが 諸賢は如何。 以上2点 彼女も知らなかった。
ただの物知りの与太知識なら根拠はどうでもいいけれど、今のわが店ではちと座り心地がよくない。さればとて今更芥川の関連書ひっくり返す気にもならず。
小生がずっと以前に読んで記憶にありその後確認できていないこと、2件。
一つは 芥川は大変な風呂嫌いで 匂いがするほどだったということ、本当にずっと前何か目を通した中に書かれてあって 妙に記憶に残っているのだけれど、さて一体誰のなんの本であったか覚えがないし、その後出会っていない。彼の文学本質論からは離れた「ゴシップ」であろうけれど、作家の全身像を思い彫琢するについては刻む溝の一本であってより影印がはっきりするというものだろう。酒癖のこと、金銭のことなど作家の実態・クセなどはいろいろ書かれているけれど「匂い」は写真では窺がうことはできない、また身近に接した人でないとわからないことでもある。 ささいなことだけれどやはり「大事」と思う。
もう一本は 芥川の小説化としての資質、あるいは分類に関して。彼は江戸期の、あるいは中国の小説説話類を相当読みこんでいたらしい。彼の作品はほぼすべて「元ネタ」があることは知られている。有名な「雲の糸」は仏教説話であることはだれでもわかる。彼自身の一からの「創作小説」は無い。という論説、これも 誰のどの本で読んだか定かでない。
小説のありようはいろいろ、これだけ「情報」あふれている今日、ある程度の下敷きになるものがあるのは仕方がないだろう。その点 明治の近代口語文学の嚆矢であったり確立に努めた人たちはやはりすごいことをやっていたと思うべきだろう。ただし本人はもとより家族親族のことを暴き縷縷愚痴る日本流の「私小説」はいただけないですね。 いかに個人の煩悶であっても「創作」の色気のあれこれがなければいけないと思いますが 諸賢は如何。 以上2点 彼女も知らなかった。
ただの物知りの与太知識なら根拠はどうでもいいけれど、今のわが店ではちと座り心地がよくない。さればとて今更芥川の関連書ひっくり返す気にもならず。