閑寂肆独白

ひまでさびしい本屋のひとりごと

王義之展を見に行った その1

2018-03-28 22:34:46 | 日記
先日 太宰府の国立博物館で開催されている「王義之と日本の書」展を見に行った。平日の午後というのに結構な人出、年齢層は高く、無線ガイドも多くの人が借りる熱心さ。
 しかしながら 小生としてははなはだ食い足りない展示と思った次第。まず入場料が高い。これは入る前から感じたことであるが、見てしまってなお強く感じたことだった。
 展示はチラシによれば「大宰府に結集、書の逸品」という惹句ながら内実は如何だろう。
 そもそも(といういい方は決して良い言い方とは思わないが)、王義之の書は実物は残っておらず今あるのはすべて摸本・榻模であることはよく知られている。それはそれで過ぎ去った時間を考えればなおのこと、いまの書の原点を作った人の姿を知るものとして大事なことは理解されるであろう。その後日本にもたらされた書の手本たるべきものはほかにもあるわけで、それを全く抜きに展示されるのはいかがなものかいな?というのがまず一点。
その後 日本での書の系譜としていわゆる「名筆」と称される作品が展示され、おしまいは南洲・西郷隆盛、蒼海・副島種臣 なのだけれど このつながりについて説明がいかにもおおざっぱでよくわからない。ことに小生がわからないのが空海の書、正直言ってどこがいいのかわからない。国宝になっている「潅頂歴名」は「気力充実」という説明があるけれど、小生に言わせると、へたくそなのではないだろうか、どこが「手本」となるべき書なのかわからない。代が下がって仮名文字が広まって 連綿体が広まるのだけれど、これにしても
確かに出来上がった作品は見た目に綺麗なものであるけれども、実用の私的書簡にまでこれしか使われなかったのが不思議。片方では漢詩文が{男社会が主ではあったけれど}少なくともその世界は知られていたわけで、漢文に日本独自の返り点を発明しながら、楷書または行書に仮名を足す書式が生まれなかったのか、そのほうがお互いに読みやすく、誤解を防ぐのに有効だったはず。これは本当に不思議です。仮名のことはこれまでにしても、王義之の書が日本の仮名に如何つながるのか、なんの説明もなく、これも不満。国宝の「関山号」宗峰妙超筆というのもわからない。二字の間が開いていることの説明もあとからあれこれこじつけて言うだけで、書損じだろうと小生は思う。二字の下の文にしても当時の上級の僧の書としては特別なものとは思えない。なんで「国宝」なの?妙心寺だからか?
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来店の 研究者と資料と

2018-03-18 07:01:18 | 日記
先だって、再び2組の「炭鉱関連」の来客あり。いずれも女性の研究者。それぞれ少し観点は違っていて、会えて研究に関していろいろな話ができるのはうれしいことです。二人とも「聞き取り」が目的で現地に乗り込んで来ているのだけれど いくつかの資料収集機関も精力的に調べていて端から見ていて大変頼もしい様子でした。 彼女らの目的に直接沿える「資料」を持ち合わせていないのは残念だが、いまから探して出てくるかどうかはなはだ心もとないのも困ったことです。これまで扱ってきた資料の出所を思えば、そのような機関・場所・人、いずれももういなくなってしまっている。市史編纂室他、幾人かの研究者から「よくこんなものを見つけましたね」といわれるのはうれしいことです。店を継いで45年、「これは何だ?」というものをすぐには売らず、一旦溜めておいて時間をかけてきたものばかり。まだ整理の途中、これから何が出てくるか。
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