閑寂肆独白

ひまでさびしい本屋のひとりごと

先だってある「大古本市」に参加した。

2024-08-18 21:31:58 | 日記

元酒造屋だった蔵の跡屋利用で雰囲気は良好。参加は2回目である。前回は誘われてある出展者の「附けたし」だったけれど、今回は自主・一人前の参加。売り場台付のほぼ一坪という規模が出品量としても我店にとっては好都合。

 全部で30を超える出店で変化もあってよい雰囲気なのだが、「大」と名乗っているだけあってか半数以上の店が「古本屋」! その中で「古書組合」に入っているのは4軒だけ。こんなに「古本」というのは人気があるのか、と。ここに参加していない「古本」を名乗る店も小生の知る限りでもこの近辺だけでもほかに数軒知っている。

 しかしながら、その品物を見ると、文庫が半数、単行本・ムックが1割、漫画が2割、残りは絵本。いずれもISBNの付いた本の範囲で小生の関心を引くものは全くというくらいない!

 聞けば、仕入れはお客や友人からの持ち込みや近在の家の整理品だという。皆綺麗なものばかりなのだが よごれているもの、古びているものは引き取らないそうで、当然ながら修理・補修等したことがないという。

 かく言う我店も「古書」の部類の物は顔見世程度に過ぎず、ほとんどが定価の半額以下の「処分品」なのでこの場の出品に限って言えば大きなことは言えないのだが、ブックオフのような品揃えで「古本屋」を名乗っているのは違和感がある。ここ十数年の出版物がいかに多いか、また比較的若い人の視野が狭く数年で変わって「ちょっと前」の本がすぐに新鮮に見えるようだ。我店とは見る寸法が違うのがよく分かる。

 ただし、今のような文庫を主にした洪水のような「再利用」の流れはおそらく長くは続かない。 マスコミがよく取り上げるように「本屋が減っている」。記者連中は粗忽なので本の流れの下流の実店舗が減るという眼に見える現象しか見ていないが、元の出版量も減っていることを書かない。発刊点数は多くいかにも多量に出回っているように見えているが、個々の発行部数は伸びない本がほとんど。 出版された時は取り上げて騒ぎを盛り上げるが、終息、あるいは廃刊、廃業したのは書かない。出版屋そのものを作るのは簡単でしばらく編集部にいて数人で独立という出版屋は昔からあるが、この頃なお激しいように見える。今文庫・新書・絵本等を出している出版屋で20年前にあった店はいくつあるか、そしてこの十年後残っている本屋がいくつあるだろうか。 本屋が潰れるのは外でもない「本を読む人」が減っているからだ。

 またその「セコハンブックス」屋さんたちのほとんどが「専業」ではなくカフェをはじめとする「兼業」で、古本は「余技」に過ぎないというのも多い。それはそれで結構、やめるのもそう大事ではないだろうから。 ただ小生が気になるのは今はやりの「コンセプト」?というか、この店はこういう方向・ジャンルを主にします、というのが見えない店がほとんど。ある主人は「ミステリが好きで主にしています」というのだが 店を見れば実に他愛のない品ぞろえ。  多分この店は長続きはしない。「古本屋」と名乗るならもう少し考えてほしいものだ。定価より安く売るのが「古本屋」ではないのではないかと。

 だんだん年寄りの繰り言、小言幸兵衛みたいになるのは面白くないが、歳を取ってから見えることも多いという事か。

 と ここまで書いてハタとおもいついた。

 彼等・彼女らは「アマチュア」なのだ! 売り上げが落ちたり、面白くない、あるいは他に「売る物」を見つけたら(おそらく)躊躇なく「古本」の看板を下ろすという「程度」の古本屋なのだと思いついた。 本気で考える方が「筋違い」であることに気が付いてある意味ホッとしたし、残念でもある。

コメント
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