閑寂肆独白

ひまでさびしい本屋のひとりごと

「分類はしない」

2022-01-29 23:29:01 | 日記

昨年末の毎日新聞に「語る・書店を開いた極地スペシャリスト、荻田泰永さん」
 という特集記事が載りました。新刊店なのでちょっと趣は違うけれど、記事の中に「ジャンルや著者別に整理せず」というのがあってその理由が「分けてしまうと興味のない棚は見ない、ばらばらにおくことで意外な本にも目が行く」そしてお客さんの評判も悪くない」と。
 全く我が意を得たり、同感です。新刊店でこれが通るのなら古本屋はもっと徹底してもいいのではないだろうか。
以前から書いているが、店に入ってくるなり「●●はないだろうね」というのが後を絶たない。「わかりませんのでどうぞご覧になってください」というと「探せというのか!分類はしてあるのか?」と。
 これまで小生の説明は、「分類というけれど仏教美術という本を宗教にするか美術に置くかはその店の個性です、あなたが確かめてください」「我が家は魚屋ではない、切り身はおいていません。釣り場です、タイが釣れるかヒラメが釣れるかあなた次第、ここにある本の中から見つけるのはあなた次第」「今あなたは探しているといったけれど、それは違う、あなたは尋ねているだけ。探すというのは手偏でしょ、自分でやるのが「探す」です」「あなたが探して、この棚の中にないのであれば相談には乗ります」と。 その本を知らない、と答えるとまず「無いのか」という、「無いかどうかもその本を知らないのだから答えようがない」「その本のことを知っているのはあなた、私はその本を知らない、知っているあなたが探すのが一番早道でしょ?」 まず初めの二言三言でさっさと出ていく人が多い。その間たった八坪強の狭い店の本棚を全くみようともしない。中には我店でまず扱うことのない分野の本を「無いでしょうね」と、この手の人は真剣に探しているのではない、ちょっと聞いてみることで「探したのに無かった」という自己安心を得るアリバイ工作に過ぎないのだとしか思えない。 これは誇張では全くないのです。月に2・3人はある。
 大牟田の人には店先の「百均の店」という認識しかないようで、たまに袋いっぱいの本を持ち込んで「売りたい」と。出してみると百均本ばかり「あんたん所でこうたっちゃけん」と。「処分品なので買い戻しはしません」
 また書き込みやヤケ、シミだらけの本を持ち込む人もある、「わが家にはそんな汚いものは置いていない」といっても怪訝な顔。これらの人たちはいずれも店内の棚や平台の本を一度も見たことも手に取ったこともない人たちで、「古本、即何でも金になる」と信じ、思いこんでいる。「綺麗・汚い 新しい・古い」の区別がつかない。「使用価値と交換価値」の違いの云々以前の「古本屋」についての認識が根本的に違うのだが、いくら説明してもわかろうともしない。先の例と共に自分の価値観と違う世界ではないかと思いいたることもない人が多いのは困ったことです。このところのコロナ騒動で 以前からの遠方からの来客がかなり減っている。それでも店に入ってくるなり黙って棚の本を眺める人が時々あるけれど、ほぼ全部「他所からの人」。
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読んではいけない!の第◎弾

2022-01-16 08:05:24 | 日記

 「日本の戦争」皿木嘉久 産経新聞出版。
 ある宅買いでかなりの量の整理の中で綺麗なので通販に使えるかと思って持ち帰った中の一冊。
 「日本が戦った本当の理由を伝えるのは大人の責任、そのための必読の一冊」
「子供たちに伝えたい」と帯などに惹句が並んでいる。 いずれ産経のものだから軽いものだろうと思って拾い読みしてびっくり!全編これ軍部の称賛・美化以外に何もない。50項目に分れた目次の表記も「おいおい一体これはなんだ?」と言いたい。この筆者は昭和22年生まれとあって小生と同い年、鹿児島の出で、京大卒という学歴。一体何を学んできたのだろうか?
 日清戦争から敗戦に至るまで全部軍部の擁護、すべて英米中ソほかが日本が戦争をせざるを得ないように仕組んだことで、やむなくやったことだと。
 そして軍部の政治を無視した先走りの越権行動も言葉を尽くして正当化している。 すべて権力者側からの「上から目線」で徹底しておりそこには庶民の視点が全くない。日本人と、朝鮮・満州・台湾の旧領の、そしてひろく東南アジアの人々に与えた苦難・屈辱・暴力には殆ど触れずいっそ善政を敷いたと自画自賛。
 すべて外国からの圧力・仕掛けによってのことだという論は、彼らが嫌う韓国 が 「空手は韓国発祥だ」がよく知られているが歴史的伝統に至ってまで「韓国・朝鮮が始まり、元祖だ」「製鉄・造船・自動車産業」も「自力で発展」と言い募るのと全く同じで、この著者に韓国を非難する資格はない。
 日清・日露の闘いも日本軍は首都どころか彼らの本領土まで攻め入ってもいないのだ。「戦闘」に勝っただけで「戦争」に勝ったわけではない。清国もロシアも「地方のいざこざ」という認識でしかなかったのを知らないのか。
 清国もロシアもこの「敗戦」が原因で政府が倒れたわけではない。日本は戦争に勝ったわけではないのだ。当時はともかく今になっても「勝った・勝った」と言い募る神経は殆ど気違い沙汰ではないか。
「戦争は政治の最後の手段、政治の失敗の尻ぬぐい」ということを全く弁えていない。 「日本は強国になったけれど大国ではない」と中国から言われたことを知らないか! 戦後、蒋介石の「以徳報怨」を知らないか!知っていて言わないのなら尚更、日本を再度戦争に向かわせる、いっそ「国賊」といってもよい。
 「石油を求めて」開戦したというけれどその前に機械工業製品、ほかの原材料の締め付けはすでにあっていて、零戦のエンジンを作る鍛造機もいざ増産というときにすでに輸出禁止のため追加入手ができず、日本のトラックが役に立たないのはシャフトの鍛造がやわだったこともよく知られている。その零戦の機関銃はスイス、プロペラはUSAのコピー。液冷エンジンを作り切れずドイツ人から「何でできないの?」と不思議がられても反論できなかった(戦闘機にとっては空冷エンジンより液冷の方が有利なのは英米独の例でよくわかる)。海軍の主力艦の主な鋼材は英国製で敗戦近くまで温存「大事に」使われていた。これらは現場の技術者はみな知っていたことなのに、「無視」したのは誰だ!精神論でしか対応できなかったのは誰だ。
 軍紀の乱れもひどかった、佐官クラスの連中の栄耀栄華、庶民は食うものに困っているのに毎度三菜の飯・チョコレート・ウィスキーも欠かさないというおごり高ぶりをなんと見るか! そして敗戦時に一番に逃げた連中を!
 敗戦時の記事の最後に阿南・大西・杉山・宇垣・本庄・近衛等の自決を潔しと書いているが、では 天皇の責任は? 将以下の佐官連中はどうだったのか? 翼賛会の連中は?政府の高官は? 戦争指導者の自決はいわば当然!武士道の云々を言い募ってきた連中なのだから。
 軍部のこともさりながら、戦わされた人々、巻き込まれた人々、そして満州・沖縄・グアム・サイパン・ガダルカナル・インパールなど軍の「戦略」に見捨てられた多くの人々、空襲で亡くなった人々のことは何と考えるのか。
 後藤新平が「台湾の古い習慣・制度を生かした」善政を敷いたとほめているがその一方で神社を建て鳥居に礼拝するように占領地全域に強制したのは何なのか?改氏姓名は一体何なのか? これらについて全く触れていない。この本を「子供たちに伝えたい」とは全くもって許されないことだ。
 この著者は「失敗の本質」「情報戦に完敗した日本」を読んでいない!この傲慢な態度は一体何だろう。
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変な初詣 正月2日の小旅

2022-01-11 22:53:27 | 日記

「去年今年、貫く棒のようなもの」という有名な句があります。文学的解釈とかは関係なく、わが家の年越しは「棒」のごとく同じ太さの日常が「貫いて」いるのが実感です、3日間の休みがあっただけ、初詣なんていまだやったことなし(隣は一応神社ですが)。もとより神社仏閣に「お参り」する習慣がない。社屋・伽藍についての「建築物的関心」はあるけれど、「信仰」とは縁がありません。
 実は2日、阿蘇神社に行ってきました。それは正月休みによくやる「ミニ鉄旅」
の一つです。大地震以来不通だった宮地へ行けるようになったことで、宮地の町と神社を見てみようというわけ。大津でディーゼル車に乗り換えるのですが、そこにいたのは何と「ハウステンボス」のラッピング! 聞けば大村線に「電チャ」が配備され、押し出された配備先が豊肥線、ほかにも「シーサイドライナー」も来ているとの事。今後、小倉の工場で全整備する時にしかラッピングの変更ができないのだそうだ。撮り鉄なら喜ぶ話だが小生には写真の趣味はない。
 久しぶりに立野のダブル・スイッチバックを通ったが、ずっと昔!蒸気機関車だった時を思い出し懐かしい思い、赤と緑の旗を持った駅員が後尾で手すりに片手でぶら下がって誘導していたのを覚えている。この日カメラ小僧は数人、思ったより少なかった。
 宮地の駅に降り立ったのは7・8人。初詣の人で駅はさぞにぎわっているかとの予測ははずれ、神社に向かったのは吾らを含め5人。しかし3・40メートル先の国道へ出てびっくり!大渋滞なのだ。駅から神社迄1.6㎞とあって、我らは当然歩くのだが、その方が断然早く、渋滞の車をしり目にドンドン先へ・・。
 途中あちこちに臨時駐車場が設けてあっても車の連中は一寸でも歩きたくないらしく神社真横の駐車場迄道路は隙間なしのびっしり。境内はそれなりの人出で賑わっていた。本殿他の修復はおおむね済んで、倒壊した山門?がまだ鞘堂の中。完成まではまだかなり時間がかかりそう、資金募集の看板も出ていた。ちょうど昼時でいくつかの食事の店はどれも順番待ち。あきらめて空腹を我慢することにした。一応周りを少し回ってみたけれど何も見るものはなく、駅へ引き上げて結局2時間強の滞在で済んでしまった。何もない普段の街をみたいとは思うけれどわざわざここまで来るかい?と・・。
 この度は「本」とは関係ない話ですみません。

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