大牟田は 明治半ば過ぎになって急激に工業都市として大きくなったので、いわゆる「歴史的遺産」と言われるものがほとんどない。しかも点在する「遺産」の大方は「企業関連」であって、純粋に大牟田住民・市民の財産と言えるものは存在しない。
市庁舎は明治以来の市の発展の戦前の頂点というべき昭和初期に、市の資金、市民の浄財、また当地の建築業者によって作られた、まさしく本市の発展の象徴というべき建物であることは論を待たない。 先の熊本大地震によって俄かに耐震基準が問題になって市庁舎も俎上に上がっているが、もっとも「危険度」の高いのは本館ではなく東新館である。まず建て替えるべきはまさに東別館であって本庁舎ではない。 このことはすでに指摘されているが、本庁舎東側に現在の中庭も使って多少高層化すれば今の本庁舎を含む事務床の面積は作れる。そこへ事務床を移転させ、その後に本庁舎の本体と内部空間の検討しても何も障らないのではないか。
さらに、人口減少と事務の電子化のをひかえ、事務床の必要面積がどの程度になるかの検討はどうなっているのだろうか、まさか今と同じ面積という事はあり得ないだろう。
庁舎の後の利用の検討は急がずに。事務床を移転し、補強工事が済んでから出来上がった空間を実見してから利用を考えればよいではないか、着手もしない先に空想でしかない議論で実りある計画が立てられるであろうか。
今や 昭和初期に建てられた庁舎は全国でも希少であり、しかもよそでは「県庁舎」。空襲にもあわなかった「市庁舎」の現役のままの存在はまさにまれである
建築当時、この建物はまさか百年もたたずに壊されるとは思っていなかったはずである。コンクリートを主にした今風の建物はどこにでもあり、60年たてばまた建て替えることになろう、新築はお金さえあればいつでもできる、古きよきものを次世代に残す知恵と努力こそが大牟田の「知的財産」になろう。 今建て替えようという人たちはなぜ保存に反対するのか、「歴史的遺産」「文化の継承」という事をどう思うのか、聞いてみたいと思う。
大牟田にとっては全くかけがえのない「文化遺産」であることは間違いなく、これからも末永く市民にとっての駅前・国道沿いの「大牟田の象徴」として見守らなければならないと考える。
これからは追記です
上記の部分は市に提出したもので字数の制限があって大幅に削ったもので、後になってやはり書き足りないと思うのはいつもの事ではある。
いわゆる名所旧跡などに なぜ人は行きたがる、見たがるのかといえば、先ず自然であり歴史だろう。これは幾ら金をかけても智慧を絞っても同じものはもとより、これらを超えるものは作ることはできない、故に「見てみよう」という気のなるのだ。
大牟田に「観光資源」がないという人たちの方が建て替えに熱心なのは何を考えているのかと言わざるを得ない。
市庁舎は観光資源ではないという人もいるようだが、我々がいうように残しさえすれば「資源」になりうる。壊してしまえば「機能的庁舎」はできるが、そんなものはどこにでもある。まさか有名デザイナーに依頼して日本中から見学に来るようなものを作るつもりではあるまい、またそうしたところで一過性の人気に過ぎなく次に別の建物ができればもう忘れられるだろう。 いま庁舎を残せば(何度も言うように)80年の歴史という大牟田ではほかにありようのない歴史の遺産をこれからの市民にも感じることができるのだ。それを失う事に責任を負うことができるのか? 自分たちで大牟田の歴史を継承していこうとは考えられないのだろうか。
「観光」というのがこの頃何にでも優先する風潮は賛成できない。
観光は所詮他人の懐をあてにした「水商売」に過ぎないことを知るべきだ。一方で魚屋・肉屋・八百屋をはじめとする生活物品販売の
店がどんどんつぶれていくのには対策をせず、観光にかかわる商売を優先・熱心に応援するのはどういう料簡なのか理解できないのだ。