あるお宅から本の整理依頼があった。久しく声のかからなくなっていたお宅で息子さんからの依頼である。そこは15年くらい前から年に1・2度処分を引き受けていた所で、伺ってみると以前と同じたたずまい。本の持ち主は6年前に亡くなっていた。 彼はさる結社に属していたけれど、ほかにも郷土史などにかなり熱心で地域の事に関する冊子などを書いていらした。本は堅めの筋の物がほとんどで古本屋としてはうれしいものだったのだけれど、問題アリ。彼は赤鉛筆・赤ボールペンでチェック・線引きをする癖があったのです。幾度か伺った際、何度も「線引きはやめてください」と言ってきて、だんだん少なくはなってきていたのだが・・。10年ほど前、小生の買い入れ価格が安いとご不満であった。それきり声がかかってこず、あきらめていた。このたび聞けば、遺言で「本の処分は古雅書店に」とあったそうである。見限ってはなく、最後に指名されるとは思いがけず、有り難い事だと思った次第。
もともと本の扱いは丁寧で、どの本も一見「程度は良」なのだけれど、開けてびっくり、という本が多いのです。 どんなよい本でも線引きや判子・名前の書込みなどがあれば評価減点は当然の事で 大方の本は半値以下になってしまう。それを説明しても所持者のとしては面白くないわけである。わが方は大変困る。店頭で見て買ってもらえるなら安くさえすればあるいはさばけるけれど、このような「傷もの」は通販・ネットでは説明のしようがなく、まず目録に載せられず販路は極めて限られる。それがなかなか理解していただけない。ズット以前も似たことがあって、その方は安い本ばかり買って、半分くらい線を引く・藏印はおす人で、「線びきなどあっても、内容の良い本は買い手はある」と言って譲らない。若い時お金がなくて安い古本で読んできたという方に多い話で、この時もいかにも「買い叩いている」という話になって喧嘩別れだったことをいまだに覚えている。昔は「多少汚くても安ければ売れた」であろうけれど、時代は変わった。今は「多少高くても綺麗でなければ買ってもらえない」「汚ければ安くても売れない」 さらに言えば、今回は全体量の7割くらいを引き取った。なぜ残したかと言えば、百円均一になるような本は今や引き取らないことにしているので、線引きがあるかもしれないような文庫・新書類は殆んど残して来たのだ。「どう処分しましょうか」と聞かれても申し上げ難し。それにしてもこの蔵書、ご子息は全く関心無し。別のすこし前伺った元大学教授というお宅でもそう。そこに我々業界の存在意義ありとはいっても、「蔵書二代」という「続かない」ことの代名詞を間のあたりにするのはさびしい。斯くいう小生もまた同じ運命にある。「目の黒いうちに」を切実に思うこの頃である。
もともと本の扱いは丁寧で、どの本も一見「程度は良」なのだけれど、開けてびっくり、という本が多いのです。 どんなよい本でも線引きや判子・名前の書込みなどがあれば評価減点は当然の事で 大方の本は半値以下になってしまう。それを説明しても所持者のとしては面白くないわけである。わが方は大変困る。店頭で見て買ってもらえるなら安くさえすればあるいはさばけるけれど、このような「傷もの」は通販・ネットでは説明のしようがなく、まず目録に載せられず販路は極めて限られる。それがなかなか理解していただけない。ズット以前も似たことがあって、その方は安い本ばかり買って、半分くらい線を引く・藏印はおす人で、「線びきなどあっても、内容の良い本は買い手はある」と言って譲らない。若い時お金がなくて安い古本で読んできたという方に多い話で、この時もいかにも「買い叩いている」という話になって喧嘩別れだったことをいまだに覚えている。昔は「多少汚くても安ければ売れた」であろうけれど、時代は変わった。今は「多少高くても綺麗でなければ買ってもらえない」「汚ければ安くても売れない」 さらに言えば、今回は全体量の7割くらいを引き取った。なぜ残したかと言えば、百円均一になるような本は今や引き取らないことにしているので、線引きがあるかもしれないような文庫・新書類は殆んど残して来たのだ。「どう処分しましょうか」と聞かれても申し上げ難し。それにしてもこの蔵書、ご子息は全く関心無し。別のすこし前伺った元大学教授というお宅でもそう。そこに我々業界の存在意義ありとはいっても、「蔵書二代」という「続かない」ことの代名詞を間のあたりにするのはさびしい。斯くいう小生もまた同じ運命にある。「目の黒いうちに」を切実に思うこの頃である。