ある以前の政治家の半切(箱は無いけど立派な表装)が以前からあって、少し調べてみようということになった。 主になった男のある出世といえる地位の就任に対して、旧知の人たちがお祝いに寄せ書きしたものと思われるもの。主人はもちろんわかるのだけれども、寄せた3人の素性が判然としないのだ。 一人は明らかに朝鮮の人だがいわゆる「号」らしくて、しかも達筆で読めない。一人は押印があって姓はわかるが名前は読めても人名鑑等に出てくる人ではなさそう。残る一人も漢詩と号で??? 書くに至った事情を書いてあるらしい和製漢文もほとんど読めない。わずかに主人公のある地位に就いたことへの知人たちの寄せ書きらしい、ということは分かった。その 末尾に 「大正協洽源秋」と或る。一般には十干十二支で書かれるものだがこの協洽とは何ぞ!
手元の角川の漢和中辞典を引いてもこの漢語は無い。さて店にある他の辞書をいくつか見ても出ない。これは一大事というところだが「あった!」
簡野道明の「字源」(角川書店)にありました。「協洽」とは羊歳のことでした。なんで?こんな言葉?という理由は今のところ判然としませんが、一応十二支に関する言い回しの一つであることは分かった。大正年間では羊歳といえば八年。内容とまさしく合致しました。ところでこの「協洽」はさる有力な歴史博物館の学芸員に見てもらったのだがその彼も 「全く知りません、このような表記は初めてですし、十二支の異名は聞いたことがありません」というのにはこれもまた驚いた。こんなんでここの学芸員が務まるのかい? 驚いたついでに、もしやと思ってインターネットで 「十二支の異名」とやったら「出ました!」 びっくりですね。手元の漢和辞典の本文はもとより付録にある中国の制度などの解説に見当たらないことが ポチポチと打ち込んだらサッと一覧が何のストレスもなくあるではないか! これは本当に驚きでしたね、ネット恐るべし。 もっとも、この軸に寄せ書きした当人たちは「漢詩・漢文」によほど馴染んでいたに違いないということも分かったわけで、ではこの人たちはいったい誰?。 今の政治家でこのような寄せ書きのできる人はまずいないと断言できよう。 以前、山口のある施設では歴代首相に色紙の揮毫をさせているというのを何かの折に見たけれど、すこし前の首相の野田某の字を見て吐き気がした覚えがある。 下手という以前の問題、「字」になっていない。こんな男が一国の「首相」であることに深く、深く落胆したことでした。 和製漢文の「讃」は読みにくいということはこれまでにも経験しているが、楷書で書かれたものであればまあ何とか判断は付く、しかし絹本に直筆でくにゃくにゃ仮名交じりで書かれては・・・。この主人公の政治家の記録としてはザラにはないものであることは間違いなさそう。 我家は小生の曾祖父がこの政治家とは因縁のあることでもあり、この軸一本くらいは家蔵してもいいかと思っている。それにしても、また「これはなんだ?どうして?」という問題が増えました。この十二支の「異称」についてもう少し知っておかないといつどこでまた 出くわすかわからないではないですか。「異称」ではなく言い方の正式名称があるはず、どこを調べればわかるでしょうかね。また これまで角川の貝塚・藤野・小野の漢和中辞典はいい辞典だと思っていましたが見直さざるを得ません、また辞書はいくつも必要ということも実感。本が減らないはずです。
手元の角川の漢和中辞典を引いてもこの漢語は無い。さて店にある他の辞書をいくつか見ても出ない。これは一大事というところだが「あった!」
簡野道明の「字源」(角川書店)にありました。「協洽」とは羊歳のことでした。なんで?こんな言葉?という理由は今のところ判然としませんが、一応十二支に関する言い回しの一つであることは分かった。大正年間では羊歳といえば八年。内容とまさしく合致しました。ところでこの「協洽」はさる有力な歴史博物館の学芸員に見てもらったのだがその彼も 「全く知りません、このような表記は初めてですし、十二支の異名は聞いたことがありません」というのにはこれもまた驚いた。こんなんでここの学芸員が務まるのかい? 驚いたついでに、もしやと思ってインターネットで 「十二支の異名」とやったら「出ました!」 びっくりですね。手元の漢和辞典の本文はもとより付録にある中国の制度などの解説に見当たらないことが ポチポチと打ち込んだらサッと一覧が何のストレスもなくあるではないか! これは本当に驚きでしたね、ネット恐るべし。 もっとも、この軸に寄せ書きした当人たちは「漢詩・漢文」によほど馴染んでいたに違いないということも分かったわけで、ではこの人たちはいったい誰?。 今の政治家でこのような寄せ書きのできる人はまずいないと断言できよう。 以前、山口のある施設では歴代首相に色紙の揮毫をさせているというのを何かの折に見たけれど、すこし前の首相の野田某の字を見て吐き気がした覚えがある。 下手という以前の問題、「字」になっていない。こんな男が一国の「首相」であることに深く、深く落胆したことでした。 和製漢文の「讃」は読みにくいということはこれまでにも経験しているが、楷書で書かれたものであればまあ何とか判断は付く、しかし絹本に直筆でくにゃくにゃ仮名交じりで書かれては・・・。この主人公の政治家の記録としてはザラにはないものであることは間違いなさそう。 我家は小生の曾祖父がこの政治家とは因縁のあることでもあり、この軸一本くらいは家蔵してもいいかと思っている。それにしても、また「これはなんだ?どうして?」という問題が増えました。この十二支の「異称」についてもう少し知っておかないといつどこでまた 出くわすかわからないではないですか。「異称」ではなく言い方の正式名称があるはず、どこを調べればわかるでしょうかね。また これまで角川の貝塚・藤野・小野の漢和中辞典はいい辞典だと思っていましたが見直さざるを得ません、また辞書はいくつも必要ということも実感。本が減らないはずです。