閑寂肆独白

ひまでさびしい本屋のひとりごと

知らないことがいっぱい

2016-02-27 20:11:51 | 日記
ある以前の政治家の半切(箱は無いけど立派な表装)が以前からあって、少し調べてみようということになった。 主になった男のある出世といえる地位の就任に対して、旧知の人たちがお祝いに寄せ書きしたものと思われるもの。主人はもちろんわかるのだけれども、寄せた3人の素性が判然としないのだ。 一人は明らかに朝鮮の人だがいわゆる「号」らしくて、しかも達筆で読めない。一人は押印があって姓はわかるが名前は読めても人名鑑等に出てくる人ではなさそう。残る一人も漢詩と号で???  書くに至った事情を書いてあるらしい和製漢文もほとんど読めない。わずかに主人公のある地位に就いたことへの知人たちの寄せ書きらしい、ということは分かった。その 末尾に 「大正協洽源秋」と或る。一般には十干十二支で書かれるものだがこの協洽とは何ぞ!
 手元の角川の漢和中辞典を引いてもこの漢語は無い。さて店にある他の辞書をいくつか見ても出ない。これは一大事というところだが「あった!」
 簡野道明の「字源」(角川書店)にありました。「協洽」とは羊歳のことでした。なんで?こんな言葉?という理由は今のところ判然としませんが、一応十二支に関する言い回しの一つであることは分かった。大正年間では羊歳といえば八年。内容とまさしく合致しました。ところでこの「協洽」はさる有力な歴史博物館の学芸員に見てもらったのだがその彼も 「全く知りません、このような表記は初めてですし、十二支の異名は聞いたことがありません」というのにはこれもまた驚いた。こんなんでここの学芸員が務まるのかい? 驚いたついでに、もしやと思ってインターネットで 「十二支の異名」とやったら「出ました!」 びっくりですね。手元の漢和辞典の本文はもとより付録にある中国の制度などの解説に見当たらないことが ポチポチと打ち込んだらサッと一覧が何のストレスもなくあるではないか! これは本当に驚きでしたね、ネット恐るべし。 もっとも、この軸に寄せ書きした当人たちは「漢詩・漢文」によほど馴染んでいたに違いないということも分かったわけで、ではこの人たちはいったい誰?。 今の政治家でこのような寄せ書きのできる人はまずいないと断言できよう。 以前、山口のある施設では歴代首相に色紙の揮毫をさせているというのを何かの折に見たけれど、すこし前の首相の野田某の字を見て吐き気がした覚えがある。 下手という以前の問題、「字」になっていない。こんな男が一国の「首相」であることに深く、深く落胆したことでした。   和製漢文の「讃」は読みにくいということはこれまでにも経験しているが、楷書で書かれたものであればまあ何とか判断は付く、しかし絹本に直筆でくにゃくにゃ仮名交じりで書かれては・・・。この主人公の政治家の記録としてはザラにはないものであることは間違いなさそう。 我家は小生の曾祖父がこの政治家とは因縁のあることでもあり、この軸一本くらいは家蔵してもいいかと思っている。それにしても、また「これはなんだ?どうして?」という問題が増えました。この十二支の「異称」についてもう少し知っておかないといつどこでまた 出くわすかわからないではないですか。「異称」ではなく言い方の正式名称があるはず、どこを調べればわかるでしょうかね。また これまで角川の貝塚・藤野・小野の漢和中辞典はいい辞典だと思っていましたが見直さざるを得ません、また辞書はいくつも必要ということも実感。本が減らないはずです。
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掲載された・・そして日フィル公演

2016-02-17 08:07:03 | 日記
12月28日のブログの書き出しの部分を 思いついて書き直し、毎日新聞・筑後版の「はがき随筆」に送ってみたら 採用・掲載された。 250字という制約があって短めるのは結構な手間がいる。この欄はそもそも 「投書」ではないので政治・経済・社会のものはダメ。身辺の感想に限るというので、これまで時々目にしてきたものの友人・孫のことほか、いわゆる花鳥風月のことばかりで小生の柄ではないと思っていた。前回は庭の木々のこと、今回は自身のこと。2度の投稿がいずれも採用、打率10割ということになった。要は文章の訓練のつもりなのでまあ「よかったね」というところだろうか。これを知ったある人が「いっそ小説ば書かんですか」といったけど そうは問屋が卸すものか。元よりそうたくさんの本を読んでいるわけではないし、これからも「小説」はたくさん読むとは思えない、要するに「これなら書けそう」という風にはならんだろうと思われる。 ところで13日、日フィル大牟田公演をきいた。ドヴォルザークのチェロ・コンは宮田大。指揮は下野竜也。チェロは素晴らしかった。腕前に関してはあれこれ言う余地もない演奏は当然のこと、加えて楽器の音色のいいこと! 穏やかな響きで 派手な音ではないけれど少し遅め?のテンポと相まって実によかった。指揮の下野もこれもいうことなし、以前久留米オケで出会って以来の「ファン」である。無用な動きのない正確な指揮、膝を曲げることなどほとんどない。有名な「コバケン」の指揮は小生に言わせると、自己陶酔の単なる踊りでしかない。小生はもともと指揮台の上で飛んだり跳ねたりをダメだという立場で、コバケンのように唸り声をあげてじたばたする指揮のどこがいいのか全く理解できないでいる。ブラームスの2番、金管が少しうるさいなあという印象、木管のアンサンブルが綺麗だと思った。1楽章、通して3ッ振りだったのは意外、要所要所はともかくも大きく一つで振った方が小生の好みではあります。 宮田の使っている楽器と共にコンマスの扇谷の音も素晴らしい。彼の室内楽での音をきいてみたい。このドボコン、チェロでたとうというくらいの人は、チェロ・コンは古典の曲が少ないこともあるが、早ければいまや中学生でもやるようだ。音大レベルでは弾けて当たり前、まずなん百回、いやもっと弾いているはずで 練習の途中でとまっても全部完璧に暗譜しているからたちどころに再開できる。「修練、紙背に徹す」を目の当たりにできる、これは文章でも同じこと、ちょちょろと書けるものではないのですよ ねえ。また「本」のおことから離れてしまったけれど、書くことがないわけではない、まとまらないだけです。いずれ出てくるでしょう。
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トンだことで有名に

2016-02-05 08:09:24 | 日記
 先だっての「寒波」で大牟田は全国版に知られてしまった。水道管の破損での漏水がひどくて市全域で一斉断水をし、自衛隊や海保の救援を頼み、しかもその全面回復に3日以上もかかるという大失態だった。周辺の市町村では多少の水道管破裂はあったが、配水池が空になるなんて聞いたことがない、という「事件」である。わが家は幸いに市の中心部であり全体から見れば低いところにあって、ちょろちょろながら切れることなく、また夕刻には回復した。 なぜこうなったか、という理由の大きなのは、空家野存在だそうである。誰も管理していないのでっ水道管が破裂しても止める人がいないし、それとわかっても様子が分からないし他人が勝手に手出しはできない、その数が半端ではなかったということだそうである。 もとより市内には千戸以上の空家があるという。当然水道代を払っているわけはないので元栓を閉めておく措置を水道局がやっておくべきだったというのだ。 要するにお役所の手抜き、怠慢が原因の「人災」だということが分かってしまった。損失した水道代は相当な金額になるだろうが誰が負担するのであろうか。 またこの事件の後始末にも面白い話を聞いた。当局の記者会見に於いて、市長は「災害対策本部」を設置しておればその責任者は市長だが、今回はそうしていないので水道企業局の管理者(水道局は市の外部団体になっている)の責任である、と発言したそうである。なんということか、部下の責任をかばうのが最高責任者の仕事だろうに。市長は市職員からの成り上がりである、市長候補だとわかったときこの人は「何をしてきた人か?実績は何?」と聞いても誰も答えられなかった。市役所の中で高学歴をバックにするすると成り上がった人でいわゆる「組織人」何でもそつなくこなすタイプで周りの経済・政治団体にとって使い勝手の良い人だとの評判であった。この会見の話を聞いて本当につまらないどうでもよい人だということを改めて思った次第。大牟田の行く末は暗い。  またしても「本」から離れてしまった。 変体仮名を何とかしなければと稽古用の本を買った。一からオサライしなおす所存。しかしながら、漢字に楷行草という区別があり、カタカナも有、ルビを振ることも知っておきながらなんでこのような読みずらいのを守り続けたのであろうか。版本はもとより、写本・手紙に至っては本当に読みずらい・よめない。しかもどうかすると当て字というのも少なくはない。個人的な・文学的な範囲であれば多少間違っても大事には至らないかもしれないが、経済・流通・政治という分野ではこれでまともに伝わるのか、と心配せざるを得ない「書き物」は実に多い。先に言ったように、楷書を知っており、活字もないわけではなかった、のに、である。物事を正確に伝える ということに思いが至らなかった「理由」はいったいなんだろう。と「なんでも疑問」のヒゲコガは悩みの種がまた増えるのです。  一方、日本中で江戸時代の書物・書き物を自在に読める人は2千人くらいだろうという中野三敏氏の指摘、危機感はよくわかります。英語はともかくも外国語を学ぶより先に日本の文化を理解するためにもっと「読める人」を増やさなければ、と・・・。
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本屋の行く末

2016-02-02 10:46:30 | 日記
同業者が たて続けになくなった。一人は 小生と同年。ほぼ同じころ同業になりつかず離れずのつきあいではあったけれどやはりさびしい。 いわゆる団塊世代ですでになくなったのが2・3人。 2・3歳違いが九州でもほかに5・6人いる。「順番通り」とはいかないのはわかっているけど 身近になくなられるとそれなりの感慨がある。 葬儀場での話で、古本屋がこんなに「衰退業」になるとは思わなかった、という話が出た。 かつて大御所と言われた弘文荘・反町氏が「日本の古本屋は半分以下になります今のような「駄本」を扱う店は消滅します」と言っていた事が本当になったといえる。彼は「古典籍を扱うようにならなければだめ、生き残るのは古典籍だけです」と。小生についていえば古本屋を継いだころに似たようなことを言われた覚えがある。それは「若い時は多量の「新本(あらほん)を扱っても平気だろうが 年をとるとそうはいかない、和本・書付の様な軽くて風呂敷で持ち運ぶようなものを扱うことを心がけなければならない。今のうちから勉強すればおのずとそういうものを見る目ができてくる」と。 まさにおっしゃる通り。反町氏の「六法やハウツーものを扱う店はだめです」というのは早速実行したのだけれどほかはやはり日日の店売りにかまけていたといわれても否定はできない。小店の看板の一つの「炭坑もの」については閉山以降は売り・買い共にほとんど動きがなくなってしまった。 書道の本もかなり大きい比重であったけれど、これもある書家がなくなってその一統の人たちが来なくなったらまるで死に本になってしまっている。また、かつて限定・特装本や版画の入った本を扱っていた時もそう、ある熱心な方がいるときはそれにつられる人もいて品物が動いていたけれど、その人が欠けるとまわりに人もいなくなってしまってまったく商売にならなくなってしまった経験がある。ここが田舎の田舎たるところで お客の層がきわめて薄く、入れ替わって顧客になる人がいないのが現実。それでも まったくときどきではあっても処分の話が我店に持ち込まれ、九州の本屋の中では一応「和本」を扱う店、といわれているのは 本当に幸い。 そこで「読めない」という大変厳しい現実に突き当たって 困った状況にあります。我店の商いがほとんど大牟田を相手にできないことは縷々述べている、この状況は変わるはずもないが、これまでに培った(というほどでもないか)大牟田周辺の歴史や文化に関する知識の蓄積を継承させたいという思いは小さくない。 あと数年で我店も消滅するはず。その後のことまで小生が思うことではないか・・。
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