閑寂肆独白

ひまでさびしい本屋のひとりごと

徴兵について 思いついたこと

2019-05-30 22:42:38 | 日記

「生命を捨てやすいのは若者の時だけである。若者は一身上のさまざまな関係に束縛されず、まだ家庭に煩わされることを知らない。自分の人生の将来をみずから切り開こうと熱望していても、その結果に失望するかもしれないと考える分別がない。山を登ることをいそぐあまり下り道の長短を考えることなく、高い山をめざす冒険を好む。この好奇心が若者を好戦的にする。年長者は努力の結果を蓄積して平安をたのしもうとするが、若者はそんなことに頓着せず、深い思慮もなく勇んで戦争に行く。これは残酷な職務をはたすに必要な資質である。だから、一国の兵力を組織するのは青年の男子に限る。」フォン・デル・ゴルツ。(「日本の参謀本部・大江志乃夫より」
30年よりもっと以前、ベトナム戦争のころ、日本も再軍備をせよという風潮があった時「あなたがお先にどうぞ」というポスターが作られた。戦闘服を着た男が、左手で先を差し「どうぞ」と言っているポーズだった。数年前に「老人が始めた戦争で死ぬのは若者」というムックが刊行された。
 ずっと以前から、漠然と疑問に思いながらはっきりしなかったこと、そしてそれが当たり前という世間の雰囲気を「何か変」と思っていたこと。
例えば、特攻で死んだのは若者ばかりで、立案・指揮・命令した上官連中は生き残ったのは一体何だろう、その責任を積極的に問わないのはなぜだろうという思い。
 明治政府が近代軍隊を組織するとき、海軍は英国式を選んでぶれなかったが、陸軍はドイツ式とフランス式の選択に逡巡した。結果としてドイツ式を選び、指導者を派遣するようにドイツに依頼、幾人かの候補者の中からメッケルが来た。ドイツはもともと理屈に強い国で、クラウゼヴィッツ・モルトケ・シュリーフェンなど当時の「軍隊理論」を独占していた。日本の陸軍を構築する際にそのもとになったのがメッケルと並んで日本へ派遣される候補の一人だったゴルツの軍事論だった。明治以降これが玉条とされ、日本中の人々に刷り込まれた「思想」だった、いや「だった」という過去形ではなく現在も誰も疑うことなくほぼ「常識」となっている。
 これを覆す理論を小生のごときが持っているわけではないが、150年前に取り入れられた「思想」に今なお誰も疑問・批判がないのは 少しおかしいのではないかと思う。「原爆をもってロシアと戦え」なんぞという妄言を国会議員が発言し、それを「よくぞ言った」という輩も少なからずいるというのは本当に怖い。昭和10年のころの世論誘導とそっくりであって、「敗戦」を終戦とごまかし、反省の色なしの風潮を相当警戒し、打破する理論武装をしなくてはいけない。そしてマスコミを信用してはいけない。マスコミ自体も戦前の前科を本当に反省しているとは言えないし、現に世論を煽る報道ばかりなのだから。
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天神・丸善ギャラリーの即売会が終わった。

2019-05-25 22:51:25 | 日記
 
 毎年5月と11月の恒例になっている即売会が終わった。 約2週間の成績はほぼいつもと同じでちょっと安心、しかしもっと売らねば!と思う。販売目録を出さずにやるので中心になるテーマのようなものが無く、いわば行き当たりばったり、来てくださるお客様頼りになってしまう。印刷・郵送の経費が掛からないのはそれとしてやはり面白くないことではある。前回くらいから「買いやすさ・日銭稼ぎ」を狙って新書版を出し、また動きの止まっていた千円前後のものを五百円均一にして出してみたら、これが結構売れてくれて、売り上げに貢献していることもさることながら「嵩・冊数」が減ってくれたのはありがたかった。新書版が2週間に数十冊も売れるなんて、大牟田ではまずありえない売れ方、全体でわが店の何か月分かを稼ぎだしている。この会の度に福岡と大牟田の客層の違いを痛感する。したがって肉体的に負担は大きいけれど止める訳には行かないのが現実です。 ところで、数日前3日間続けて大阪からの来客あり。それぞれに別個で、いずれも少し話ができたのだが、わざわざ古雅書店を目指してきてくださったのはありがたかった。中で某大学の教授の態度はうれしくもありがたかった。「旅先ですのでわずかしかいただけませんが、この2点を分けていただいてもよろしいでしょうか。」というその態度と言葉使い。「古本屋を馬鹿にしては良い論文は書けない」とは某有名教授の言いだけれど、わが店にかかわってきた複数の「教授・先生・役人」方々にこのお客様の言葉を聞かせたらなんというだろうか。古本屋の社会的・学問的立ち位置を知らない田舎侍を相手のやり取りは本当につまらぬストレスを余儀なくされる。
 一組の方は、炭鉱の文化、ことに映画に関して興味ありという人で、大牟田は初めて来たということだった。小一時間話したが、小生の話を興味を持って聞いてくださった。
本やパンフの記載は公式で小生の話はいわば野史。庶民の下からの目線の歴史ということに共感してもらえたのはうれしいことでした。
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またしても 小説の話。

2019-05-12 09:05:05 | 日記

 普段は主に「歴史」にかかわるいろいろな本を「読む」というより「目を通す」ことが多いということを全回も書いた。まあ時々違ったものを読みたくなることもあり、です。しかし新刊を求めることはなく入手した物の中から目についたものを手にすることになります。この度買い受けた新品同様の文庫。池波正太郎や松本清張などに交じって「活版印刷三日月堂」という4冊揃があって、活版印刷に愛着を持つ小生としては読んでみよう、ということになりました。読んで「良かった」。良い作品だと思います。活版印刷の蘊蓄もあまりくどくなく(興味のない人にとっては如何かわからないですが)メインテーマ?をめぐっての舞台回し、印刷物・印刷屋をめぐっての登場人物の配置も素敵。配慮の行き届いた感じで、上手だなあと思った次第。それぞれの性格や状況・環境もよくかけていると思うし、16話も繋いでいく構成、良くいろいろと思いついたものだと感心しました。 小説を書くのに一人称のもの、複数称のもの、あるけれど、登場人物それぞれをかき分けるのはなかなか難しいと思う。文庫版4冊を足掛け6日、実質7時間くらいで読み終わった。次の章を「読みたい」と思わせる作品でした。
 活版印刷は小生も好きで、少し厚めのざらざら感のある紙で活字のへこみがわかるのは字を刻み込んだ感があってよろしい。上記の本には活版と悟られないように平滑に刷るのが「技術」だと先代経営者は言っていたとあったけれど、小生はそうは思わない、伝票などは手触り感は不要であろうけれど、作品である「本」は手触りも必要ではないだろうか。今の印刷はつるっとした感触で「字を刻む」感がない、しかもそれしか印刷の手段がなくなってしまったというのはやはり良くない。第一書房の本など今にして思えば売らずに取っておけばよかったと思う。谷崎の単行本は手元に残すようにしていている。ベストセラーだった棟方志功の装丁の本は結構あるのでよほど状態の良いもの以外は手放すけれど。ARSの本も捨てがたいけれど全体に造本がいい加減のものが多くまた紙質もあって埃を吸って汚れたものがかなりあって保存する気にならないものが多いのは残念。
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