「生命を捨てやすいのは若者の時だけである。若者は一身上のさまざまな関係に束縛されず、まだ家庭に煩わされることを知らない。自分の人生の将来をみずから切り開こうと熱望していても、その結果に失望するかもしれないと考える分別がない。山を登ることをいそぐあまり下り道の長短を考えることなく、高い山をめざす冒険を好む。この好奇心が若者を好戦的にする。年長者は努力の結果を蓄積して平安をたのしもうとするが、若者はそんなことに頓着せず、深い思慮もなく勇んで戦争に行く。これは残酷な職務をはたすに必要な資質である。だから、一国の兵力を組織するのは青年の男子に限る。」フォン・デル・ゴルツ。(「日本の参謀本部・大江志乃夫より」
30年よりもっと以前、ベトナム戦争のころ、日本も再軍備をせよという風潮があった時「あなたがお先にどうぞ」というポスターが作られた。戦闘服を着た男が、左手で先を差し「どうぞ」と言っているポーズだった。数年前に「老人が始めた戦争で死ぬのは若者」というムックが刊行された。
ずっと以前から、漠然と疑問に思いながらはっきりしなかったこと、そしてそれが当たり前という世間の雰囲気を「何か変」と思っていたこと。
例えば、特攻で死んだのは若者ばかりで、立案・指揮・命令した上官連中は生き残ったのは一体何だろう、その責任を積極的に問わないのはなぜだろうという思い。
明治政府が近代軍隊を組織するとき、海軍は英国式を選んでぶれなかったが、陸軍はドイツ式とフランス式の選択に逡巡した。結果としてドイツ式を選び、指導者を派遣するようにドイツに依頼、幾人かの候補者の中からメッケルが来た。ドイツはもともと理屈に強い国で、クラウゼヴィッツ・モルトケ・シュリーフェンなど当時の「軍隊理論」を独占していた。日本の陸軍を構築する際にそのもとになったのがメッケルと並んで日本へ派遣される候補の一人だったゴルツの軍事論だった。明治以降これが玉条とされ、日本中の人々に刷り込まれた「思想」だった、いや「だった」という過去形ではなく現在も誰も疑うことなくほぼ「常識」となっている。
これを覆す理論を小生のごときが持っているわけではないが、150年前に取り入れられた「思想」に今なお誰も疑問・批判がないのは 少しおかしいのではないかと思う。「原爆をもってロシアと戦え」なんぞという妄言を国会議員が発言し、それを「よくぞ言った」という輩も少なからずいるというのは本当に怖い。昭和10年のころの世論誘導とそっくりであって、「敗戦」を終戦とごまかし、反省の色なしの風潮を相当警戒し、打破する理論武装をしなくてはいけない。そしてマスコミを信用してはいけない。マスコミ自体も戦前の前科を本当に反省しているとは言えないし、現に世論を煽る報道ばかりなのだから。