先に古本屋のなくなることを書いた。 ここ数年で 北九州・福岡・大分熊本の各組合に十軒以上の組合への新規参入があったようだ。ようだというのは小生は同業者との付き合いが少なく、またほかの業者の消息にあまり興味がなくそれとなく聞こえてくる範囲でしか情報がないという事なのだ。そのうち数人は「市場」で見かけるのでそれとなくどんな風なのか見えてくる。
ある新規参入者は どんな事情か知らないがマスコミにかなり紹介され新聞数社のほかTVの報道もあったそうだ。元、あるいは本職?はデザイナーらしく其転身もマスコミの興味を引くらしい。「新しい古本屋が開業」というのでどんな本を扱うのかにはわが方も関心あり。ところが、熱心に見たり入札したりする品は何と雑誌ばかり。それもまさに今はやりの半裸・全裸の写真満載の「ムック」類ばかり。台車一杯買って意気揚々である。これが「古本屋」と言えるのかとこちらが顔が赤くなる。 50年ほど前この業界に入ったころ、同世代の者が福岡・北九州で7・8人いた。それぞれ店の立地や様子は違っていたが、市場に出てくる品をまさに「満遍なく」見、触り、先輩に聞き、今の自前の店にすぐ役に立たなくともまず「古本の世界」を知ろうと努めていた。身の程知らずの品を買って笑われた(好意的に)ことも珍しくなかった。明治物・和本・紙物・文書・肉筆もの、なんでもとりあえず触ってみようとしたように思う。
しかしながら このごろの参入者で古いものに関心を持つのは殆どいない。何かの折に品物を「これは○○だ」とか品物のことを触れると「何でそんなこと知ってんですか」「よくわかりますね」という。しかし自分で知ろうとはしない上に関心がないと本を捨ててしまうのだ。福岡の市場は不要の本を捨てていく場所を用意してあるが、ここが危ない。朝、市場の開始前にすでに捨てる者がいるのだが、ある時、「赤毛のアン・村岡訳」の綺麗なのが数冊あった、拾ってあたりを探ると10冊揃っている!しかも最初の版。せめて市場に出すくらいの「本」に関心を持てないのかとあきれてしまった。持って帰っての結果、半年を待たず一万円で売れた。今の業者はネットを知らない者はいない。積極的な関心はなくとも入手した品がどんなものかくらいは調べろよ、そして価格が判れば自分で売ればよいではないか、と思うのは「古い人間」。自分の関心がないものはまず眼中にないらしい。まさにタコ壺人間。 今福岡の市場で古いものに関心を寄せるのは小生を含め4・5人しかいない、しかも皆60歳以上。会場の8割は今はやりの半裸・全裸の写真満載の「ムック」類、アニメ・漫画・CDなどで埋め尽くされている。
これらの品は今は大人気だが おそらく十年くらいしか続かないだろう。単なる「流行」に過ぎないと思う。されば、今のような出版業界を見ていると「古本業界」そのものが相当淘汰されるに違いなく、その時になって「不易」なる物に関心を持っても間に合わないだろう。「古本屋・背文字ばかりの学者なり」と言われていたが、今や背文字のある本が捨てられつつある。 新刊や娥なくなりつつあるのを嘆き、心配する記事は多いが、古本屋の現状を知る記者はいない。
「本を読む人間がいないから売れない」こんなにはっきりしたことはない。
今更嘆き節をいくら並べても時すでに遅し、少子化・人口源も同じだ。
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