閑寂肆独白

ひまでさびしい本屋のひとりごと

「国を守る」とは

2024-02-20 07:57:01 | 日記

桜井某という元テレビ関係の老女が「国の為に死ぬ覚悟のある若者」がいるか?という発言をしたらしい(小生は直接には知らない)もと

より右派の発言をしてきていることは知っていたが、もはや老残、妄言としか言いようがない。 国民に死を覚悟した滅私奉公を呼びかけるより先に 権力の側に「若者が死地の赴かなくて済むような政治」を求めるのが「スジ」。これが最優先ではないか!

 今の政府に仮想敵国と明言している中国・北朝鮮・ロシアについてどれだけの「外交努力」をしているのか?拉致のことを言うまでもなく「無策」でしかないではないか。

 何度も言うが、「戦争は政治の失敗の尻ぬぐい」 権力者・政府は税金という国の資金を収めてくれる国民を守ってこそ「正当性」を謳えるのであって、その逆ではない。

 自衛隊の募集ポスターに「国を守る」とあるが、国の「何」を守るのか?全く示していない。日本語の曖昧さに付け込んだある種の詐欺行為である。国民・住民?国土(主権)?永田町・霞が関? あるいは天皇? 漠然としたいわゆるプロパガンダ、精神論を呼びかけているに過ぎない。これが日本を敗戦にした元凶であることを思わなければならない。

 國は国民・住民は守ってくれない。このことは明治以来日本の歴史にはっきりと示されている。「国家のため」という殺し文句に異議を唱えても圧殺されてきただけの歴史であって、国家が国民・住民を守ったという「結果」は全くと言っても過言ではなく「存在していない」

 右翼という連中の思想構造は小生には全く理解できないでいる。

軍隊・武器にあこがれる種類の人がいることは「趣味」の問題で小生が否定するわけにはいかないが、「平和のための」という冠がなければただの「やんちゃ坊主の趣味」の延長ではた迷惑でしかないだろう。

幼児性の現れといってもよいと思う。子供は誰でも「良いいおもちゃ・高価・高性能のおもちゃ」を欲しがるものだ、その性能が自分自身に本当に役立つかどうかは考えもしない。身近なところでは使いきれない機能満載の高級・高価時計、どこで走るのかという高性能車、

機能無視し見てくれだけの高価な服、使いきれない広さの住宅・あるいはホテル、いずれも自己満足だけならまだしも人に見てもらいたい自己顕示欲の結果に過ぎなく「幼児性」そのものである。

 自衛隊の装備に関しても同じようなことが相当みられる。安保協定という「縛り」があったとしても日本独自の発想・要求があってしかるべしと思う。トマホーク・LCAC・AAV・オスプレイ・戦闘ヘリ等(小生に言わせれば)US陸海・海兵の追随でしかなく日本では要らない。いずれも本場で生産が終わりつつあったり、見直しで打ち切られる装備の在庫整理でしかない。トマホークは幾人かの反対意見が見られた様に日本にとって有用なとはとても思えず、かえって危険なことになる。 トマホークが実用化され、横須賀に寄港する軍艦に搭載されるとき反対した人々がいたがマスコミはまともに応じなかった。トマホークのどこが危険でなぜ日本に不要かは別記しよう。言いたいのは「日本を守る」についてもっと真剣に考えなければならないという事だ。不勉強極まりない「利権」屋の議員に任せては「国を誤る」。

コメント
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