閑寂肆独白

ひまでさびしい本屋のひとりごと

倉庫の整理 2

2012-09-16 19:43:27 | 日記
 先に ちょっといい本を見つけたといってしまったのを 後悔している。
舌切雀や花咲か爺いではあるまいに、マダある品々のゴミ的様相 と山のような量は尋常ではない。「先で何とか売れるだろう」という思いが いかに実らなかったか 現実の「重量・質量」として実感させられている。 
 思うにこれらの あるいは「資料」として活きたかも知れない山のようなものは、かつて来客があって、面談できていたころはあれこれ話した後、先様の様子がわかって「こんな資料もありますが?」という様な話を持ちかけて「お嫁入り」させていた類の物である。これまでの いくつかのまとまった納品はみんなそういう「話」から始まった。 然るにそういう「顔を見ながらすこしずつ相談を・。」という場面が全くなくなって、「ひょっとしたらこの人の”向き”かもしれない」というような「お話」をする場面・機会がないのだ。 大牟田という片田舎での営業を続けてきた 成れの果てとしかいえないが、さればとて先祖伝来の家土地をほおって行くわけにも行かず。
 倉庫の品は報告のとおり「いったいいくらになりうるか?」と本気で心配するものだが その根拠は市場にある。先の博多の市場に出された本の落札価格の「目を覆うばかり」という安さは如何だろう。新刊時の定価で計算すれば 100万円のものが それなりにいいものでもざっと1万円くらいだろうか、ひどいものは5万円のものが100円である、また同じくらいの量の本が「値」が付かず捨てられる。
「如何でも良い」本が多量に印刷されて広告に乗せていかに売られているか、如実に判る。これらについて言うことはまだある、しかし小生にとっての 問題は、移転作業で肉体の衰えを実感させられていることだ。二の腕 が 疲労困憊、握力の低下どころか 痛みを伴って傘も長くはもてない。針を打ってもらったが、要は「安静」とのこと 今月いっぱいの作業、何とか乗り越えなければならない、楽器を触るなんてとても無理無理。残った大きなスチールラック、どうやって運ぼうか。
 
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閉店セール

2012-09-04 21:52:57 | 日記
我が店は 地方に良くある「○○銀座」という名の商店街の真ん中というところにある。 ごたぶんにもれず、いまやシャッター通り化しているが、このところさらに激しくなり、またもや閉店の知らせ。今年に入って、婦人洋品点が2件、呉服が2件、紳士物1件という具合。商店街の消長に関してはここでは触れない。問題は「閉店セール」。 大型スーパーやデパートの「閉店セール」といえば、お客が殺到して普段の数倍の売り上げで、早くからきてくれてれば止めなくてすんだのに、というような話まで出るもの、と普通は想像しますよね。ところが、あにハカランヤ! どの店も誰も来ない!全く閑古鳥。 古いお客さんに挨拶状を出して やっとボツボツきてくれる、という程度。ある店は「閉店します」と声は出したものの誰も来ないので在庫処分が出来ず、ずるずると半年も「閉店セール」を続けている。かつてはそこここに活力のあった店であってもこの様子。
 ところで、では我が店を止めるとなるとどうなるか?
 以前、大分のF書店が止めるとき、全商品のだんだん割引セールをして処分したケースがあった。この店の品はいい品物が多く、大学の関係者などに知らせて安く売ることで「うまく」処分した例である。但しそれは二十数年まえのことでマダ「古本・古書、そして郷土史など」が売れていたころ、しかも大分という県庁の所在地、大学もあるというところの話し。さてしからば、我が店が「閉店セール」の看板を掲げて、いったいいかほどの人が関心を持ってくれるだろうか。小生の「コレクション」とは言いがたいが、といういくつかの大牟田関連の「まとまり」もいったい誰が評価してくれるだろうか。図書館に寄付して活用される見込みのあるものは限られたものでしかない。たとえば音楽会のプログラム。ある写真好きの残したもの、名も知れぬ詩集、同人誌、マッチのラベル、パンフレット、チラシの類。大牟田の文化財の監督する連中の眼中に入らない数々の「記録」。さてはて どうなるやら。
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