閑寂肆独白

ひまでさびしい本屋のひとりごと

 世代の違いではあろうけれど。

2019-03-28 10:01:46 | 日記

 先日、小生の保存している(コレクションとは言い難い)古い音楽会のプログラムを 若い(30歳台)の3人に見てもらう機会があった。 あれこれ話を、というより説明したのだけれど、互いに驚きのひと時。 小生としては「ええ!これを知らないの?!」「これは?あれは?」の連発で、 例えば「ダークダックス」。まさかと思ったけれど3人とも本当に知らない。「デュークエイセス」ももちろん「ボニージャックス」なんて。  なぜこの話になったかといえば、「ゴールデンゲートカルテット」のプログラムで このコンサートの面白かったことをはなし、彼らのUSAでの評判が伝わって、その日本版として「ダークダックス」が生まれた。これは早稲田大のOB。続いて青山大のOBで「デュークエイセス」、さらにカルテットブームに乗って「ボニージャックス」が出てきた。この話が全くかみ合わないのだ。 「ゴールデンゲートカルテット」は黒人のコーラスで演奏技術が高いばかりではなく、USAのショウで大人気だけあってコミカルな所作なども日本では見られなかった実に楽しいステージだった。ただ彼らは自分たちの特定の「持ち歌」というのがなかったのでレコーディングされたアルバムも一般的な流行り唄であり黒人霊歌などだ。 其の数も少なかった。しかし日本のコーラスカルテットのモデルであったことはもっと記憶されていてしかるべきかと。
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大変珍しいことが起きました。

2019-03-23 22:44:20 | 日記
  
わが店の「日本の古本屋」への出点数は、全参加店の内では少ない方から数えたが早いくらいしか出していない(そのわけはまず我が家が狭くて置き場がない)のだけれど、その多くはない出品で 面白いことが起きました。 
 まず、ある機関から在庫の問い合わせがあり、お送りできると伝え、数日後、正式発注の返事が来たその直後に、その品に別の個人からの注文が来たのです。前の発注が日本の古本屋を経ていないので、正式発注を待っていてまだ削除していないままだったのです。なんという間の悪さでしょう。あとの注文の方にはお詫びのメールをしましたが、「言い訳」めいていて後味は良くないです。
 2件目はある機関紙の争議に関する特集号ですが、日本の古本屋に登録した5・6時間後に注文が入りました。かなりマイナーなもので当然日本の古本屋にほかの出品はなかったのですが、それにしても「早い!」よほど熱心に日本の古本屋を監視していらっしゃったのでしょう。
さて3件目も似たことで、昭和の初めに出たある叢書の中の一冊。取り立て珍しい本ではないと思うのですが、日本の古本屋にほかに出品がなかったし、わが店の店頭で2年くらい売れずに居座っているからと思って出してみたら、これもまた翌日!おそらく24時間は経たないのに注文がきました。
 この3件、たった4日間の出来事です。いままでに経験のない「珍事」でありました。こんなペースで登録品が売れてくれたらわが店は蔵が立つわい、と。 それに引き換え、日本の古本屋に参加した当初のころからずっと売れずに残っていて、ほかの登録は少なく、売れそうなものだとは思うものの、いっかな動こうとしない品も多い。さればとて安くしたからとてそれが理由で売れるという訳でも無し、そのような品の処分には頭が
痛いです。

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顧客が減ってしまった。

2019-03-09 23:26:02 | 日記

 昨年の夏ころから 月に1・2度来店のまだ若いお客様があった。分野は違うけれどいずれも文芸関係を来店の度に数冊買っていただいていた。こちらから話しかけたのは数回来ていただいた後で二人とも物静かで積極的な会話ではなかった。そのお二人がこの2月でそろって大牟田から離れることとなった。勤務と家庭の事情なのだが、ともにも他所から来た人で大牟田に古本屋があると知ってやって来た、「面白い本があってココヘ来るのは楽しみでした」という別れの言葉であった。ありがたいお客様がいなくりました。この町にこのような感想を述べてくださる「お客様」は全くない。 前にも書いたように、店に入ってきて、黙って棚の本を見てくれるのはまず例外なく他所からの来客。大牟田にはそのような人は存在しない。都会であれば一人や二人の入れ替わりは大した問題ではなく、代りは次々とあるでしょう。しかし!この町では望めないのです。
 たった一人の顧客でもろに左右される、悲しい店です。ずっと以前、わが店は「限定本と版画をよく扱う店」という紹介記事が出たことがありました。当時、「季刊・銀花」の始まり、民芸ブームの真っ盛りでしたが、ある熱心な顧客があって、明治古典会で扱うような品をよく買っていただいていた、その為に店頭に品物が展示されたわけだが、それが売れていくのをみて、他にも買ってくださる人がぽつぽつあったのです。ところがその顧客が病を得てなくなると、つられて買っていた人たちは買わなくなってしまいました。本当に自分が好きで買っていたのではなかったということです。その後全くその方面の需要を掘り起こせず、今や限定本や版画を店に置く状況ではありません。また書道の本もそうです、ある書家で懇意になった方がわが店で買ったというとそれを聞きつけて「同じもの」を欲しいという程度の人たちが次々来店し、彼の助言でよく売れていました。しかしこれも彼の死去によって終了。その後は誰も来なくなってしまいました。その代りになる人はこの町にはいないのです。全く底が浅い。しかも「自分の意志で本を探そう」という人がいない。その証拠にわが店に来て「〇〇はないでしょうね」といって書棚に一顧だにせず、要するに何かで聞きこんだ本を「安く」手に入れようというので「古本屋」に「わざわざ来た」というのが大牟田の人の実情です。これではまともな相手はできませんね。この手の恨み節は実例を挙げるとまだまだある、しかし書いていて厭になってきました。
 
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