閑寂肆独白

ひまでさびしい本屋のひとりごと

接客態度 ということで

2013-07-31 10:14:20 | 日記

小生の接客態度について お申し出がありました。要するにお前さんは 「知ったかぶりの、高目線、謙虚さが無い」と。

穏やかながらかなりきつく よほどお気に召さなかったと見えます。 すぐに思い出したのは10年程前、ほぼおなじような経験をしています。ある大学の教授から「生意気な古本屋だ」と捨て台詞をいただいたことがあります。このときも ありそうに無い本(其のときは資料でした)を「探せば買ってやるから」という話で、即 「そんな資料あるわけ無い、どうしてもというなら××文庫でもひっくり返して探すほかは無いのでは」と言ったら 怒気を含んで発せられた言葉です。

 「そうですね 出てきたら良いですね」でも言って内心では舌をだして、というのが「スマートな接客」なのでしょうが、小生は出来無いですね。もしそうしたらその教授は満足して帰ったでしょうが、「資料」を基準に思えばこんなに馬鹿にした話は無いわけで、小生は資料の代弁をしたに過ぎないと思っています。まだ言えば我店では お客様に本をお勧めするヨリも「こんな本は買わないほうが良い、他にこんなものがある(我店の商品ではない)から」「図書館でコピーしたほうが安上がりです」と言って買ってもらわず済んでしまうことも多いです。 自慢話になるのはいやだから言わないけど、我店の情報を元に欠かれた小説・論文・報告書は かなりあるし、修士・博士論文の手伝いも結構やってきて、お礼状、お土産はもとより あとがきなどに店舗名明記で協力者として紹介されたこともあるのです。 小生の「知ったかぶり」はそういい加減なものではないのではないかと・・・。 古本屋は単に物を売るだけとは思っていません。ことに地方の場合尚「情報屋」でしょう。 これらに関しては いずれ又書くことがあるでしょう。  もう一点。 小生はホームズではないので 何処から来た人か見ただけで判るわけは無い。自ら名乗ってもらわない限り判りません。「わざわざ遠くからこんな田舎の古本屋まで来たのに」とは結構なご挨拶ですね。我店のお客様は殆どが「わざわざ田舎の古本屋」に来ていただく方ばかりです。こと「資料・古書」に関しては大牟田でお客様と言えるは片手の指ほどもないでしょう。年に1・2度くらいという頻度なら九州どころか広島・京都・ほか・・。 「折角来たのに(自分の思う本が)無いとは何事か」という御仁は他にもよくあります。 本探しとは自動販売機ではない!コインを入れれば下から出てくるものではありません。 というわけで 「知ったかぶりの、高目線、謙虚さが無い」ということに関しては 「はい 承知いたしまして 今後は改めます」とは 言いません。小生の個性 ということで ご理解いただきたい。 

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知らざるを・・・。

2013-07-28 09:17:30 | 日記

 少し前、あるコラムで 山口昌男「本の神話学」を紹介し、そのコラムの著者が、この本を読んでそれまでいっぱしの読書家であると思っていた「鼻」を見事に折られた顛末を書いていた。もちろん?小生もその一人、というよりは世の中にこんなに多量のハイレベルの本を読んできちんと記憶にとどめ、その薀蓄を人に語って見せることができるのがちょっと信じられなかったという感想でした。「量書狂読」という本があったがそれとはまた違う様相(うまく言えないのがすでに小生に筆力のない証明)である。 なぜこのような「差」が発生するかについて愚考するに、読書記録を取っているかどうかが一つのメルクマールのように思う。書く・記録することでその時の感情をより正確に(頭の中にも)残せるのではなかろうか。小生のつたない経験からすると、かつて読んだ(はずの)本を覚えていない。何らかの理由で読み返してみると以前とは違った印象、どころか違ったことを覚えていることが多い。よく名作は時間をおいて読んでその時ごとに違う感銘受けるものだというけれど、それ以前に、間違って記憶していることがあるのだ。なんでもない小説ならそう問題はないけれど、引用しようと思っていると、トンでもない間違いをしでかすことになる。小生の周りには 学者・研究者・小説家の卵、雛・詩人・歌人・俳人が結構いらっしゃる。中には「なんだ、この程度でいいのかよ」という方もあり、それなりに一人前で通用している方もあるけれど世の中結構甘いものだと思わざるを得ない。小生の話に戻ると、このごろ自分の浅学菲才ぶりがあちこちで露見!こまったなあ、という次第。 日頃、定価に縛られない「古書」を扱うことを目指してきた。明治以降の洋装本でももちろんだが、「和本」について、これまでの知識では歯が立たない「物」が目の前にある。昨年仕入れた一山がそれ。小さな俳句の本の連綿体の大和言葉・ひらがなが読めない! 普通の戯作や漢文混じりの教養書などであれば何とか前後の様子でわかることも多いのだが、全く知らない俳句、狂歌、狂句とその俳号とあっては手に負えない。まして題箋の欠けた本となると「国書総目録」を調べることさえ覚束ないことになる。 いまや立ち往生、という状況で本当に困った。もっと和本に真面目になじんでおくべきだったと「後悔先に立たず」。 一方、そんなに古くなくとも「これはなんだ?」という本は多い。初めて見る著者・題名。「日本の古本屋」に出てこない。捺された立派な臧書印、これはどこのどなたなの? 地方の古本屋として、この近辺に関して出された刊行物は可能な限り確保しようと思っているのだが、正体を確かめようのないものもあるし、中を見てみれば「えっ!」ということは枚挙のいとまがないといっても過言ではない。そんな本のいくつかは先で紹介する機会もあることだろう。本当に「知らざるを知る」毎日です。

 このブログでは、本のことに限っておこうと思っていたのだが、「204号」電車に絡んで小生も「鉄ッチャン」とみられるようになった。自分ではさほどとは思っていなかったのだが色々話しているうちに、小生の「働く道具」とのかかわりを記録・書留しておいたがよく、ブログは多くの人に伝わるからぜひ書いておけ、というお奨めをいただいた。別のブログを作るほどのことはなかろうから、「産業技術変遷実地体験談」とでもいう経験を記しておくことになるかもしれません。それに関した「本」のことまで書けるかどうかは自信がないです。

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ある授賞式の印象

2013-07-03 10:31:40 | 日記
5月半ば、久留米の丸山豊賞の授賞式に行った。 第22回とあるけれど小生はその3割くらいしか参加していない。 その中では森崎和江、文月悠光氏が印象に残っている。 今回はおそらく忘れることはないのではなかろうか、それはちょっと変わった印象を持ったからだ。
 およそこのような「式」では選者は受賞者を褒め、受賞者も受けられたことに感謝しその気持ちを伝えようとするものと思うが、今回は全くダメ。
 先に選考過程をのべた高橋氏は「理由は清水氏がパンフレットに書いているから」といって触れることはせず、「名前(筆名)からして女性ではないかと思った」「あざといような用語がある」「長年にわたっての作品を一つにまとめられ、その感性の維持は並ではない」といった具合で、受賞「詩集」をまるで褒めない。どの点を評価したのも触れないで終わった。清水氏はもっと簡潔?で 何でも無い「枕話」で終ってしまった。一方受賞者・秋氏の挨拶も似たようなもの、一応の感謝の表明はあったものの熱のこもった言葉は無し。人柄・年齢によるものだとは判るけど「なんでくれたか判らない」とでも取れるような言いようは正直といえばそうだが、やはり「サラリーマンさえ勤まらない人」とだと 知らしめてしまった感があった。
 このように三者ともども「褒めない」授賞式とは珍しいのではないか。選者の二人の話を聞いていっそ「該当なし」にできなかったのかと思ってしまった。
 ただ、秋氏の話そのものは小生にとって少し興味を引くものがあった。彼は高校生くらいの演劇サークルに関わっているとのこと、それで宮城県の文藝コンクールの受賞作、あるいは目に付く作品に演劇をする生徒の作品が多いといい、いわゆる「文藝部」員の作品はパットしない。それは「文藝部」では作文法・作法を習うが、自分の感性を表現するにはかえって文章「作法」にとらわれない 演劇をやっている生徒の方が優れている(文章の上手・下手は別)のではないか、という話は「さもあらん」と小生も納得したことだった。 
 もう一点、これは納得できなかった方。彼は「詩」は書かれ、印刷された紙の上だけに存在するのではなく いたるところに「存在」するといい、いくつかの例を挙げて説明した。「詩」は心の動き、あや、ひだがすでに「詩」たりうる。というような主旨だったと思う。しかし、そうは思わない。
 彼の話にもチラッと使われた「詩情」という言葉がある。彼の言う いたるところに存在するのは「詩情」であって「詩」たり得ないのではないかと思う。「詩」は紙の上にかかれこそ、ではないか。「思い」は誰にでも何処にでもあるだろう。しかし、それを空に向かって「言葉」として発しても また即興で思いつくママに言葉を連ねたとしても、記録されない限り「詩のようなもの」ではあっても「詩」にはならないのではないかと思うのだが・。
 授賞式・受賞者の印象を薄くしたのは 他にも理由がある。市内のある児童合唱団が近々解散するというので式の半ばに 丸山氏の作詞の校歌を数曲歌った。此れが長すぎた。その後の氏の作品の朗読に際しては、ギターの伴奏と即興舞踊が合ったのだが、小生にとってはこの舞踊がはなはだ目障りでしかなかった。氏の仲間ではるばると仙台からこのために来たそうだが・・・。
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