11日 九州産業考古学会の年次総会が佐賀であり、その後の見学会にも参加した。
昨年はちょうど当方の夏祭りにかぶって参加できなかった。
総会の後の見学会、これが楽しみなのです。今回は主目的は三重津の海軍遺跡。
この会の見学には説明に当地の専門家が当たるし、見学する側もそれぞれに専門的な人ばかりなので一般の見学会とはかなり違った雰囲気になる。 最初に行った大隈重信記念館、これまで関心を持っておらず何も知らずに行ったのだが、その建築の面白さにちょっと驚いたし、思いがけず面白かった。
随所に実用とは離れた「遊び」の部分があって、良き時代を感じることが出来る。
「普請道楽」という言葉が死語になっているのは本当におかしなことだと思わされる。
建築は総合芸術と言えるもので、いまに残る名建築を見ればわかる事だが地面の取り方から始まって設計、基本構造、建築材料、木取、家具、部材などのどれをとっても「美意識」を表現できる、凝ろうと思えばどれだけでもやれるものだ。この頃はアパート住まいが増えたのと、「工務店」仕様のあてがいぶちの標準建築ばかりで、個人の好みを活かすという場面がほとんどなくなっている。 以前あるところで家を建てる話で、いわゆる大手建設会社の宣伝の建売、家を建てると言えばこういうものを買うものだと思っている人が多いということにびっくりしたことがある。我が家は二度大きな改造・改装をしたけれど、セキスイだの大成建設といった「大手建設会社」のパンフレット仕様のようにすることは全く考えなかった。まず近所の金物屋に相談して大工を選び、2度目は知り合いの材木屋の主人に相談して建前大工を紹介してもらった。いずれもこの町の職人である。わが方の要求・希望が優先で広告にあるような標準仕様では全く合わない、そこは大工と相談しながら決めていった。一般的に家はそう簡単に建て替えないし、一生の内に二度三度ということはまずない。また生活の様相も全く個人的な物であろうからそれぞれに違った家が建つのが当然と思うのだが・・。 展示場にあるような家に自分の生活をはめ込む、それに疑問を感じないということが不思議である。何か昔軍隊でいわれていた「靴に自分の足を合わせよ」という光景と同じに見えるというのは言い過ぎだろうか。鉄筋の中の「箱家」ならともかくも、地面に立つ独立一戸が同じような姿・規格で並んでいるのをおかしい、気味が悪いと思うのは 「変」なのでしょうかね。コンビニの隆盛もおかしい。他人と、あるいはどこでも「同じ」ということに「安心感」を持つか「違和感」を持つか。この日本はおかしな国になりつつある、とこんな場面でも実感させられます。
ほかの見学については 又別の機会に。
昨年はちょうど当方の夏祭りにかぶって参加できなかった。
総会の後の見学会、これが楽しみなのです。今回は主目的は三重津の海軍遺跡。
この会の見学には説明に当地の専門家が当たるし、見学する側もそれぞれに専門的な人ばかりなので一般の見学会とはかなり違った雰囲気になる。 最初に行った大隈重信記念館、これまで関心を持っておらず何も知らずに行ったのだが、その建築の面白さにちょっと驚いたし、思いがけず面白かった。
随所に実用とは離れた「遊び」の部分があって、良き時代を感じることが出来る。
「普請道楽」という言葉が死語になっているのは本当におかしなことだと思わされる。
建築は総合芸術と言えるもので、いまに残る名建築を見ればわかる事だが地面の取り方から始まって設計、基本構造、建築材料、木取、家具、部材などのどれをとっても「美意識」を表現できる、凝ろうと思えばどれだけでもやれるものだ。この頃はアパート住まいが増えたのと、「工務店」仕様のあてがいぶちの標準建築ばかりで、個人の好みを活かすという場面がほとんどなくなっている。 以前あるところで家を建てる話で、いわゆる大手建設会社の宣伝の建売、家を建てると言えばこういうものを買うものだと思っている人が多いということにびっくりしたことがある。我が家は二度大きな改造・改装をしたけれど、セキスイだの大成建設といった「大手建設会社」のパンフレット仕様のようにすることは全く考えなかった。まず近所の金物屋に相談して大工を選び、2度目は知り合いの材木屋の主人に相談して建前大工を紹介してもらった。いずれもこの町の職人である。わが方の要求・希望が優先で広告にあるような標準仕様では全く合わない、そこは大工と相談しながら決めていった。一般的に家はそう簡単に建て替えないし、一生の内に二度三度ということはまずない。また生活の様相も全く個人的な物であろうからそれぞれに違った家が建つのが当然と思うのだが・・。 展示場にあるような家に自分の生活をはめ込む、それに疑問を感じないということが不思議である。何か昔軍隊でいわれていた「靴に自分の足を合わせよ」という光景と同じに見えるというのは言い過ぎだろうか。鉄筋の中の「箱家」ならともかくも、地面に立つ独立一戸が同じような姿・規格で並んでいるのをおかしい、気味が悪いと思うのは 「変」なのでしょうかね。コンビニの隆盛もおかしい。他人と、あるいはどこでも「同じ」ということに「安心感」を持つか「違和感」を持つか。この日本はおかしな国になりつつある、とこんな場面でも実感させられます。
ほかの見学については 又別の機会に。