何の気なしにラジオをつけたらFMで聞き覚えのある曲、途中からだったが「春の祭典」とすぐに分かった。と同時に1968年の夏のことを思い出した。 この夏、オケの同期の者で中禅寺湖畔にあったソフィア会のロッジに遊びに行った。そこの管理をしていた男がクラシック音楽ファンで夕食の後、彼の部屋に誘われた。彼は「春の祭典」オタクだった。当時発売されて間もなかったマルケビッチの版を気に入っていて「ぜひ聞いてくれ」というのだったけれど、それにとどまらず当時出ていた全部のLPをもっていて、聴き比べをしようという。アンセルメ・スイスロマンドは覚えているが他はワルター、セル、だったかはっきり覚えないが、カラヤン・フルベンでなかったことは確かだ。結局4枚まで聞いてギブアップしてしまった。おかげでいまだに途中から聞いてもすぐにわかるほど「刷り込まれ」てしまったといえる。 音楽は(基本的にクラシックに限る)好きだけれど、いつも聞いているという訳ではないし、レコード・CDを集める趣味もない。朝のFMのクラシックカフェを車の中でなど時々聞くし、夜の7時過ぎの番組も時々聞く程度だ。先の管理人のように指揮者の違う演奏の全部揃えるという趣味はない。レコード・CDは結局はいつ何時聞いても同じ演奏・同じ味の「缶詰食品」でしかないと思う、音楽は「生」でなければいけないと常々思っている。だからFMでの実況放送は楽しい。自分の好きな曲はスコアを持っていて、時々開いては自分なりの指揮・演奏を空想するのが楽しい。古本の世界でも今やCDを扱うのは当たり前になっていて、結構な量のCDを目にするが、いまだにワルター、フルトヴェングラー、ベーム、セル、クーベリックなどの演奏の復刻が「新発売」されている。こんなやがて一世紀にもなろうという前のものをなぜ今「売るのか・売れるのか」不思議で仕方がない。演奏は「生もの」その時代にあった解釈・演奏がしかるべきであって、いくら原版が残っていてそれを最新の技術で綺麗にした、といっても「音」と「演奏」は一緒ではない。
それにしても、もう50年以上たったのだなあと ちょっと感慨を覚えた次第。 今回は「本」とは離れたことですが一言。