閑寂肆独白

ひまでさびしい本屋のひとりごと

 ちょっと驚きの買い物。

2019-06-27 22:07:06 | 日記

先日電話で本があるから来てほしいという依頼。遠くではなし、ご高齢だし「100冊以上はある」ということだったので出かけました。「さあさあどうぞこちらに用意しています」というので見て「あれれ!?」缶飲料の函が三つ。100冊もあるのかなあ、と思いつつ中を取り出してみると、見覚えの本がちらほら! なんと我が家の100円均一、あるいは特価本が約半数。ほかも今風の経済や政治の「流行り本」ばかり。50冊もあるのかい?この方は以前韓国に駐在していてずっと以前に買い受けた際はそれなりの「踏める」本があったのでこの度もいくらか期待して出かけたのだが全くのOUT! 時々均一を見ていらしたのは覚えているけれど、それを丁寧に値段を消して保存してあったとは!しかもそれをまた「本があります、買って下さい」という。 「百均と特価は我が店の処分品であってわざわざ買い入れるものではない、よってこれらの品は評価できません、どうぞそちらで処分なさってください」と。 「値段はいいです、いくらでもいいですよ、持って行ってもらえば」という表情にはありありと不満が見え本心は決してそうではなく「なんで買わないのか?」という意思がうかがえる。
 以前から均一と特価の台をやめようかと思ってはいるのだけれど、3日も4日もだれも店に入ってこない現状であり、なおかつ100円あるいはプラスという本は本当にたくさんあって、全く捨てるには忍びないという事情。しかし百均のお客さんで店の中の棚に目を配る人は30人中一人くらいかな、逆に店に入ってきてまず丹念に見てくださる方々は百均など全く目もくれない。 百均を出しているからこそそんな店と思われ、その本をまた「売れる・買い戻す」と思われていることが如実に分かった次第。大いに考えさせられたことでした。  大牟田の人はなぜ店の中の棚の本を見てくれないのでしょうか。
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或る骨董市に行ってみた

2019-06-07 07:29:22 | 日記

 思いかけず出会った人に紹介されて案内をもらったのである骨董の(同業者のみの)交換会に出かけました。 紙物を主にする市場というのでどんな様子なのかなあ、という感じです。一体に骨董屋さんは朝が早いと聞いていて、9時開始というので8時すぎなら何とかなるだろうと思って出かけたらなんと全員そろっていて、40分には「始めようか」という。聞けば6時には数人は集まっていて出品物の下見をしていて、それが普通なのだそう。参加者は小生を含む古書組合員が6人、古物商が15~17人に帳場・手伝い。狭い会場に人間だけでなく出品物がぎゅうぎゅう詰め、落札品の捌きを見ているとよく間違えないものだと感心する。結構な量と変化に富んだ出品で面白い。    
3・4人の主な買い手の競り合いも面白いのだけれど、小生としてはその価格の高いことに驚いた次第。思えば先の丸善ギャラリー展でわが店の絵葉書をごっそり買った人がいて、店の者に「安い!」と言って帰ったそうである。この交換会での様子を見るとさもあらんと思い至ったことでした。 わが店には売れ残った、あるいは売り切れずにいる紙類(ことに久留米周辺の)があるので 先ではこの市場で捌くことになるだろう。わが店は久留米には良い接触場を持っていない、先の青木島の鳥観図にしても何年もかかって、しかも値切られてやっと捌けた。ほかにも久留米には恨み事はあるけれどここでは書かない。
別のことだが、一般に骨董市の席料には弁当も含まれている。開始時間の早いことなど、これらは古本屋の市場も考慮してしかるべきではないかと思った次第。
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