閑寂肆独白

ひまでさびしい本屋のひとりごと

一事に・・・。

2012-02-13 15:25:58 | 日記
久しぶりに福岡から来客あり。 地図や絵葉書、そして鳥瞰図という世界でこの人を
知らなきゃ間違いなくモグリ! というMさん。開口一番「イヤーひどいですね!」と
は商店街の寂れようのことである。我が家は其の真ん中にあって孤軍奮闘中。
 彼と話し出すと話題豊富できりが無い。あれこれやっているなかには「西鉄ライオン
ズ」の会みたいなのがあって其の事務長だそうな。小生はそっちにはあまり興味は持っ
ていない。西鉄ライオンズなんて「何時まであったっけ?」くらいなもの。ただし
 かつて大牟田がスポーツの世界でも輝いていたというような話になると別である。
たとえば東洋高圧の野球部はノンプロ全国クラスだった。小生は小渕という選手を知っ
ているのだが、彼は一昨年なくなったそうだ。このようなだれそれがどうしたといった消息
も実に詳しい。小渕はかつて平原の社宅にいて、其の庭に「バッティングケージ」があった。
小生はそれがなんであるか知らず「鶏小屋にしては変な網の張ってある庭だ」と思った
記憶があるのだ。昭和30年頃の話。
「いろんな人と会いますよ」とは彼の言い。一方本職の方で初三郎にかけてはまさに
天下一、色々な伝手を求めて東奔西走、次々と新発見をやっている。其の派生である筑豊石炭主
の誰とかの伝記を書くことになったとか。「一芸に秀づれバ・・」という言葉があるが、
「一事に通じれば」のあとは普通は「二兎を追うもの」「弁慶の糊つくり」とか とかく
大雑把になってどれもだめ という風になるものだが 彼は違うようである。 また、小生も
他人に比べればあれこれやってきたのだが、まず手弁当のことばかりで「利益」を生んだこと
が無い。其の点彼はしっかりと「商売」につないでいるところが 小生としては「さすがだなあ」
と思うばかり、そこが大いに違う。
「天はニ物を与えず」というのも嘘、「二物」も「三物」もという人も居る。「一事に通
じれば、何事も通ず」という「現物」を見た思いで頼もしく、楽しい。あっという間の如
何を忘れる会話でした。小生に向かっても「あれやりませんか」とあることを嗾けて
いったのだが はてさて 其の話乗るべきか乗らざるべきか?
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

連綿体のこと

2012-02-03 15:58:13 | 日記
 昨年中野三敏氏と お会いすることがあった。和本に関する本を新書で出され平行して
「連綿体」を読もうとあちこちで盛んに言っておられる。其の例に引き出されるのが福沢諭吉の
「学問ノススメ」他の初期の著作で、これが今は皆活字で読まれており、そういうものだと
思っているが、本来は江戸の書物とおなじく「連綿体」で書かれた物で、それで読まなければ
本当のことはわからんのではないか、というのである。
 よく「崩し字辞典」というものを見かけるが、江戸期のくにゃくにゃ字は「続け字」であって「崩し」たもの
では無い。百人一首(和歌)をみればよくわかるが 「続け書き」であって「崩し」ではない。
 漢字の楷書を知り、仏書などで木活字を知っていた日本人が なんで平仮名の「つづけ字」にこだわって
使い続けたのか また「変体かな」まで生み出して余計に読みにくくしたか、は 大変興味深いことだが、
それは置くこととして、明治初期以前のことを調べる人、ことに
文学や思想に関して当時の本や著作を当時の形のままの姿でみることなく「読んだつもり」では困るのは当然。
 さて古本屋はここに「仕事」がある。わが店には100年以上たったもの、あるいはそれに近い本が結構
あるのだがここ数年来店者でこれらに興味を示してくださるのは皆無である。昨年は江戸中期の仏書を商ったが
一度も店頭に顔を出すことなくメールのやり取りで遠方の方にお買い上げいただいた。今後は
HPを活用していくと なおこの傾向が強くなることになりそうだが・・・。
 今読める本を「安く」買える「古本屋」ではなく「新刊店」ではお目にかかれない本を扱う「古本や」
 であり続けたいと思うのだが 食扶持を稼げなくては話にならない。「古書」にもっと関心を持って欲しい
と願うばかりである。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする