閑寂肆独白

ひまでさびしい本屋のひとりごと

帰省した人たちがいるはずなのに。

2018-08-15 07:59:47 | 日記

 火曜日、お盆の最中ですが店を休みました(一応定休日なのです)。暑いし誰も来ないだろうと思ってのことでしたが、案の定、通りに人影無し。ずっと以前はお盆と暮・正月は書き入れ時でした、また来客から他所の情報をもらえる楽しい時期でもありました。それが潮が引いたようになくなって久しい。もとより大牟田の人で「暇だから古本屋を覘いてみよう」という輩は皆無であることはすでに述べた。帰省客を望んでもそれもダメ。
 休んではみたものの我が方も暑くてどこに行く気にもならず、日本の古本屋の登録品の整理ということにした。足掛け5年くらい高々二千数百点の在庫だけれど、もともと狭い家の中に詰め込んでいるので鬱陶しいこと甚だしい。 明治・大正そして終戦後くらいまでの品であれば多少足は遅くても我慢するけれど、3~50年前の一般書が動かないのは面白くない。わが店の均一・特価台のお客は 大きい・厚いというのが基準で「内容」は二の次・三の次というより関係ない。よって、日本の古本屋でも沢山だされている四五百円から千円くらいの品を特価台に出して、「この本は本来もっと高くてもよい本です」といってもまず関心を持たない。我が方にしても百円で売るとは肯んじがたい、したがって倉庫の肥やしということになる。
 先日ある処分の話が舞い込んで行ってみました。軽のバン3台分くらいあったのだけれど一見「新本(アラホン)」ばかり。 理系の教師だった人の遺品でそれなりに拾えそうで、抜いてもいいというので片端から見ていった。本を知らない人が片端から紐でくくって持ってきたもので揃ものもバラバラ、で結局1割くらいの量を抜いたのだけれど、ISBNやバーコードのついた新書・全書や軟表紙の本がかなり残って「なんでこれを持ていかないのか」という表情が読み取れた。そこで「ISBNとバーコードのついたものはブックオフに持っていかれるといくらかにはなると思います」と。早速実行したそうで 数回に分けて〆て一万数千円になったそうで、彼らも我が方もそれでめでたし、めでたし。の一幕。
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 お触書 について・・承前

2018-08-04 08:20:28 | 日記

「慶安のお触書」が諸事の発展を妨げた というようなことを書いたけれど、これこそ孫引きの根拠不足の妄言?でした。訂正します。今や「慶安のお触書」という用語も存続が怪しいことのようです。 そもそも「慶安のお触書」というものは存在しないようである。根拠になったのは甲府かどこかの天領支配地で出された百姓以下(武家以外)に出した「分際」をわきまえろという身分制度の徹底のための触書であったらしい。それがいつの間にか「お手本」のように見られほかの支配地や大名も真似るようになりのちに「お触書集成」にもくわえられることになったようである。下がって享保六年の触書に「新規に巧出し候こと自今以後堅く停止たり」と そして「新しい考案したものは役所へ届け出て許しを受けよ」と。続いて「古来の通にて事済候處近年色品を替え、物数寄にも仕出し候類は追って吟味と遂げ停止申しつくべく候間、兼々其の旨心得べき事」これらは基本的に衣類や諸道具・書物・菓子類の諸商売ものが対象で、要するに三都や大藩の城下などそのようなものの購買層が発生していたところの取り締まりではあるのだけれど、いわゆる「忖度」をして方々の支配地に広まったことは容易に想像がつく。
 一方で食料の安定供給は死活問題であり財政の維持のためにも、殖産興業もまたやかましく言われていた。こちらの方はうまくいかなかったことは江戸期を通じて人口が増えなかったことでよくわかる。で、産業考古学ないしは産業技術史の方から見たらどうなるだろう。前にも書いたけれど 鉄砲が外国では進歩していることは知っていた、バネが「鋼」であることも、雄ねじ・雌ねじも知っていた、なのに「なぜ!?」謎探りはまだまだ・・・。
 

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