久々に ちょっと興奮気味に読み終えた本がありました。ある新聞の読書欄に紹介されていて、これは面白そうと思ったのですが、ちょっと値の張る本で、いきなり買うのは如何かと思って市立図書館に希望図書として買ってもらって、読んでみたものですが、今回は大当たりといっていいと思います。
「メディアとしての紙の文化史」という本です。小生は以前から「紙の歴史」に興味を持っていました。これまで和紙に関する本はそれなりに見ているし、paperがパピルス(papyrus)に語源を持つこと、perchmentやvellumそして麻紙と呼ばれる「紙」があったことは知っていた。しかし、です。紙の始まりは「記録・保存」のためと基本的に認識されていた、すなはち「手書き」で始まったのが、時代を追うにしたがって、「通信・流通・消費」(それも多数相手)の素材となって機械印刷され消え去る物ともなっていったこと、その間の文化・技術の変遷をこれほど明瞭に簡潔に多量の証拠とともに示した本を初めて知りました。もっとも小生は専門家ではないので断言できるわけではないけれど、書評に載るくらいだからそれなりに評価されているものでしょう。 それにしてもこの本は!
後に「マスコミ」と呼ばれるものが世間に登場するのはフランス革命からでしょうか、ポスター・チラシが配られ、新たな方法が生まれました以後、製紙や印刷の技術革新にとって、大衆への意志の伝達という需要と紙の生産・供給、これは卵が先か鶏が先かという論に似ています。そしてこの本にはあまり詳しくは触れていませんが、いわゆる「産業革命」が大きな要素にあることは忘れてはなりません。製糸・紡織などと同じく人力、あるいは水力であったのが蒸気機関に変わったことで力のムラなく、無期限に機会を動かすことができるようになった、これが紙の生産にも大変化をもたらし、新聞の発展を支えてきたことを初めて知ることができた。カルタについても触れてあって、これも新たな知見を得ることができました。
本の紹介からはずれますが、いま大牟田では「産業遺産」の指定をめぐって政・財界があれこれやっているけれど、この「産業革命」が何たる哉、蒸気機関の燃料としての石炭、そして炭鉱が果たした意味は何かなど、近代化の意味を真面目に歴史に目を据えて考えている人がどれだけいるだろうか?
産業遺産に限らず、こういう「遺産・遺跡」は地元が自主的に守っていく、その結果世間の認知を得て「指定・保護」の対象となる物ではなかろうか。
今大牟田では(隣の荒尾もそう)上の方で騒動になっているから「この機を逃すな」とにわかに走り出した、という他はなく、つい昨日まで「知らん顔」であった面々がしたり顔であれこれ宣のは堪えがたい、背筋の寒くなる感じさえします。彼らどの程度「産業革命」の意味を把握・認識しているだろうかお寒い限り。今回の指定にもそれが表れているといって過言ではない、石炭の「流通の施設」として三池港を含めて、とあるけど、産業革命・近代技術という観点からすればそれよりなにより宮浦坑を起点とした「石炭コンビナート」を形成したことの方が圧倒的に評価さるべきものです。教科書に「石炭コンビナート」と書かれたのは、ソ連以外では日本のこの三池しかない(当然ながら日本でも唯一)。このことが全く看過されているのは、彼らに「産業革命・近代化」とは何であるかの認識が全く欠如していることの証左といえる。人力、馬、牛のほかは風と水しか「動力」を持たなかった人類に「何馬力」という単語を発生させたのはまさしく蒸気機関に他ならない、この技術がなければガソリン機関もあり得ない。原発問題のさなか、では自分たちのエネルギーはどこから という問いのためにも、「産業革命」の意義を問い直すのも大事なことではないか と思うものです。
本の紹介からずれてしまいましたが、この本の中には、ほかにも考えさせられる、常識を見直す記述がたくさんあると思います。ご一読をお勧めします。
もう一つ 文庫の「ものづくりの科学史」これも一気に読みました。大変面白いです。紙の大きさなど、生活の中の「標準」についてわかりやすく書かれています。これについては別の機会に・・・・。