久しぶりなので何か良い話を と思っている矢先に本日、先ほどご来店の方のお話。
かなりお洒落なご婦人、入ってくるなり「オノヨーコの本ありますか」と 「オノヨーコの本 とは何のことでしょう?彼女の書いた本でしょうかね、どんなものをお探しで?」 という途中をさえぎって、「あるの、ないの?」「「いきなり言われてもドンなものか・・・」「ないの!ここにくれば有るって聞いたからわざわざ来たのに!」 と言うなりさっと 出てゆきました。その間せいぜい十数秒。 店の中を見渡しもせず、本には一瞥もくれず!一体何ナノなのか訳がわからん。 「ホテルで聞いた」とも言ったたようだったが、それで 有る程度思い至ったことがある。オノヨーコの先祖は柳川藩の家老であった家で 市内の有るお寺の境内に墓がある。先だってその墓所に案内板が設置された。其のことを書いたパンフレットがホテルのフロント前の郷土資料などを置いた案内テーブルに置いてあって、我店の出版物もそこに置かれている。多分そこで話が出て 我店に行けば何なりとあるかもしれない ということになったのだろう(推測です) しかし 行けば自分の思うもの(本)が必ず手に入るというのはどういう神経か?我店は貴女のための自動販売機ではない。
実はこの手合いの人は多いのです。ありようのない本を「探している」と言いながら、自分では決して本を手にとることもせず、棚に目をやることせず、「有るか、ないか」「折角来たのに無いんですか」とノタマウ。本屋に来るのがそんなに「大仕事」だとは。 本日のある新聞にも「古書街めぐり」の特集記事がでかでかと出ていた。ここに紹介された「本探し」の人たちは 店先に立ったなり「××はないかね」といって本を手にもしない「本探し」をしているだろうか。何か目的の本があったとしても、本屋にとっては全く今の今まで考えもしなかった本をいきなりあれこれ言われても答えようのない ということがわからない人というのが 小生にとっては判らない。「よかったらご自分で見てみては如何ですか」というと 大方の返事が「分類はどうなってる?」「××関係はどこにあるかね」と・・。 以前から言う様に、我店はたった8坪強のひと見渡しの店である、「自分で探すのか!?」と怒る人も居る。 「探す」とは手偏の字であって自分のてでやるもの。あなたがしているのは「探す」ではなく「尋ねる」でしょう。 「本探し」はもっと真剣にやっていただきたいものです。その本を必要とし、一番知っているのハズなのはあなたなのですよ。 (古)本屋はそのお手伝いをすこし出来るだけです。