1966年に三池高校を卒業したわれらは来年77歳、いわゆる喜寿である。
そこで途絶えていた同期会を復活、というよりもおそらく最後になる集まりをやろうとどなたかが発案した。 この地元大牟田ではこゝ7・8年やっていない。 東京周辺在住の連中は時々あっていたらしくそれも都内ではなく伊豆・箱根などへの小旅行であったそうだ。
斯くいう小生は同期会というものにこれまで3・4度くらいしか顔出ししていない、それもその当時の世話役の度重なる誘いに「顔」を立ててのことでわが方から希望してのことではなかった。まして三池高校同窓会へはある例外の一度を除いて全く出席したことはない。 もとより小生は帰属意識が低いことは言うまでもないが、われらの同期は600人超!アルバムを見ても3年間に言葉を交わしたことのあるのは圧倒的に少なく全く覚えのない人も多い。 卒業後薄いながらも付き合いの続いているのは一体何人いるかしら。
同じ高校に集ったのは、入試という選択を経てきたとはいえ基本的に偶然に過ぎない。それなのに同窓・同期だというだけで均し並に見られるのは嫌だし、前述のように顔さえ覚えていない輩に「ヤアヤア」と懐かしげ、親しげに声をかけられるのは納得がいかないのだ。
我店は「中心商店街」の中にあって場所がわからないという事はあり得ず、帰省して立ち寄ってくれた者もそれなりにいて、卒業後十数年は帰省のたび家に帰るより先に我店に立ち寄ってくれたのもいた。しかし 両親が亡くなったり引っ越しなどで大牟田に寄る辺のなくなったものも多く、この頃では定年を過ぎ、実家の処分や墓仕舞いで来た、というのばかり。 又、これは小生の方の問題だが、趣味である音楽・文学 あるいは歴史等に話題を共有できる輩がいなくて、同期会に出席したとしても小生としては話の接ぎ穂がないことが目に見えている。 誰それの消息や健康、孫の事等の話題に付き合う気になれない。