先ほど 新規投稿したのだが なんと同じ文が二重に有るではないか。この文はワードで別に書いてコピーして貼り付けた(つもり)であったけれど、どこかで操作を間違えたらしい。 PC操作の下手さかげんをさらけ出してしまいました。見苦しいですが どうぞご海容くださいますよう。
先日、ある人に、今後の店への立ち入りを断ったことを記した。数日後、小生の不在の折に件の人物が来て、封書を置いて行っていた。ワープロで2枚、そこには 小生が「先輩である自分」に対していかに失礼なことをしてきたか、店の客扱いがなっていないと縷々述べてあった。そしておしまいに「反論歓迎、議論して、これを転機に一転、握手できれば幸いと思っている」とあり、最後にはメールアドレスまで記してある。「ふーん?」である。
かなり昔のことからよくまあ細かく覚えていらっしゃった事よ、というところだが、自分の非については一切触れておらず、ひたすら「お前の態度はなっとらん・反省せよ」の一点のみ。 其のシツコさにまず辟易。また、「大店舗でも何も言わないのにお前の所はダメだというのはけしからん」と書き写しを正当化しているが、「新刊屋」と「古本屋」の区別がついていないし、店の規模で自分の「窃盗行為」を押し付けようという神経が鼻持ちならない。「仲直り」の仕方迄ご宣託あるところから見ると、先様はまだ吾店に未練をお持ちかと思えるが、全く願い下げである。こちらが下手に出て「前非を悔いる」態度を示せば「わかればいいんだよ、君」とでも言うであろう。もとよりこの御仁は「・・したまえ」「・・ではないのかね」という調子の人。すべて命令調・上から目線で、いかにも教員生活の長かった人の典型。なんでも自分が基準であって、ほかの誰かがやってくれるのは当然、そして自分は採点・批評してやるぞという具合。学校という封鎖社会ではそれでもよかろうが、小生にとっては習ったことのない人を「先生」とは呼ばない(これも彼は気に入らない様子)出身校も違うので先輩とも言う筋ではない。ついでに言えば「先輩」も小生は殆んど言わないし言わせない、それは単なる上級生でしかないからで、何のかかわりもないのに先輩とは・・・。
もう一つ、彼は吾店にとって「お得意様」であると思い入れをしているのも問題。我が家にとって「よいお客様」とはまず「本を売ってくださる」「いろいろな本やそれにまつわる情報を伝えてくださる」「店の本全体を見てくださる」「本の扱いが丁寧」などだけれども、件の彼はこの点すべて反対である。
本の扱いが乱暴、いかにも本になれているぞ、と言いたげ、しかも脇にほかの人がいると余計にこれ見よがしに本をあせくる。値切ることはあっても自分の専門(なんだったけ)読んだ本、音楽・美術など、本人はいっぱしの批評家気取りらしいけれど、小生にそんな話をしてきたことはない(これには伏線があるが)要するに単に本という「物」と「代金」のやり取りだけで「書物」の付き合いではないので、この点でも吾店の「お客様」とは呼べないのですよ。
年取るとだんだんわがままがひどくなり迷惑な人がいることは一般論として知ってはいたけれど、吾店に降りかかるとは困ったことです。「○○に付ける薬はない」というけれど、これも同じで、いくら言い聞かせても解ろうとはしないだろう。盗み書きについてははっきりさせた方が良いかと思わぬでもないが、とりあえず吾店には立ち入らせないことで放っておくしかないかなあ。
先日、ある人に、今後の店への立ち入りを断ったことを記した。数日後、小生の不在の折に件の人物が来て、封書を置いて行っていた。ワープロで2枚、そこには 小生が「先輩である自分」に対していかに失礼なことをしてきたか、店の客扱いがなっていないと縷々述べてあった。そしておしまいに「反論歓迎、議論して、これを転機に一転、握手できれば幸いと思っている」とあり、最後にはメールアドレスまで記してある。「ふーん?」である。
かなり昔のことからよくまあ細かく覚えていらっしゃった事よ、というところだが、自分の非については一切触れておらず、ひたすら「お前の態度はなっとらん・反省せよ」の一点のみ。 其のシツコさにまず辟易。また、「大店舗でも何も言わないのにお前の所はダメだというのはけしからん」と書き写しを正当化しているが、「新刊屋」と「古本屋」の区別がついていないし、店の規模で自分の「窃盗行為」を押し付けようという神経が鼻持ちならない。「仲直り」の仕方迄ご宣託あるところから見ると、先様はまだ吾店に未練をお持ちかと思えるが、全く願い下げである。こちらが下手に出て「前非を悔いる」態度を示せば「わかればいいんだよ、君」とでも言うであろう。もとよりこの御仁は「・・したまえ」「・・ではないのかね」という調子の人。すべて命令調・上から目線で、いかにも教員生活の長かった人の典型。なんでも自分が基準であって、ほかの誰かがやってくれるのは当然、そして自分は採点・批評してやるぞという具合。学校という封鎖社会ではそれでもよかろうが、小生にとっては習ったことのない人を「先生」とは呼ばない(これも彼は気に入らない様子)出身校も違うので先輩とも言う筋ではない。ついでに言えば「先輩」も小生は殆んど言わないし言わせない、それは単なる上級生でしかないからで、何のかかわりもないのに先輩とは・・・。
もう一つ、彼は吾店にとって「お得意様」であると思い入れをしているのも問題。我が家にとって「よいお客様」とはまず「本を売ってくださる」「いろいろな本やそれにまつわる情報を伝えてくださる」「店の本全体を見てくださる」「本の扱いが丁寧」などだけれども、件の彼はこの点すべて反対である。
本の扱いが乱暴、いかにも本になれているぞ、と言いたげ、しかも脇にほかの人がいると余計にこれ見よがしに本をあせくる。値切ることはあっても自分の専門(なんだったけ)読んだ本、音楽・美術など、本人はいっぱしの批評家気取りらしいけれど、小生にそんな話をしてきたことはない(これには伏線があるが)要するに単に本という「物」と「代金」のやり取りだけで「書物」の付き合いではないので、この点でも吾店の「お客様」とは呼べないのですよ。
年取るとだんだんわがままがひどくなり迷惑な人がいることは一般論として知ってはいたけれど、吾店に降りかかるとは困ったことです。「○○に付ける薬はない」というけれど、これも同じで、いくら言い聞かせても解ろうとはしないだろう。盗み書きについてははっきりさせた方が良いかと思わぬでもないが、とりあえず吾店には立ち入らせないことで放っておくしかないかなあ。
かなり昔のことからよくまあ細かく覚えていらっしゃった事よ、というところだが、自分の非については一切触れておらず、ひたすら「お前の態度はなっとらん・反省せよ」の一点のみ。 其のシツコさにまず辟易。また、「大店舗でも何も言わないのにお前の所はダメだというのはけしからん」と書き写しを正当化しているが、「新刊屋」と「古本屋」の区別がついていないし、店の規模で自分の「窃盗行為」を押し付けようという神経が鼻持ちならない。「仲直り」の仕方迄ご宣託あるところから見ると、先様はまだ吾店に未練をお持ちかと思えるが、全く願い下げである。こちらが下手に出て「前非を悔いる」態度を示せば「わかればいいんだよ、君」とでも言うであろう。もとよりこの御仁は「・・したまえ」「・・ではないのかね」という調子の人。すべて命令調・上から目線で、いかにも教員生活の長かった人の典型。なんでも自分が基準であって、ほかの誰かがやってくれるのは当然、そして自分は採点・批評してやるぞという具合。学校という封鎖社会ではそれでもよかろうが、小生にとっては習ったことのない人を「先生」とは呼ばない(これも彼は気に入らない様子)出身校も違うので先輩とも言う筋ではない。ついでに言えば「先輩」も小生は殆んど言わないし言わせない、それは単なる上級生でしかないからで、何のかかわりもないのに先輩とは・・・。
もう一つ、彼は吾店にとって「お得意様」であると思い入れをしているのも問題。我が家にとって「よいお客様」とはまず「本を売ってくださる」「いろいろな本やそれにまつわる情報を伝えてくださる」「店の本全体を見てくださる」「本の扱いが丁寧」などだけれども、件の彼はこの点すべて反対である。
本の扱いが乱暴、いかにも本になれているぞ、と言いたげ、しかも脇にほかの人がいると余計にこれ見よがしに本をあせくる。値切ることはあっても自分の専門(なんだったけ)読んだ本、音楽・美術など、本人はいっぱしの批評家気取りらしいけれど、小生にそんな話をしてきたことはない(これには伏線があるが)要するに単に本という「物」と「代金」のやり取りだけで「書物」の付き合いではないので、この点でも吾店の「お客様」とは呼べないのですよ。
年取るとだんだんわがままがひどくなり迷惑な人がいることは一般論として知ってはいたけれど、吾店に降りかかるとは困ったことです。「○○に付ける薬はない」というけれど、これも同じで、いくら言い聞かせても解ろうとはしないだろう。盗み書きについてははっきりさせた方が良いかと思わぬでもないが、とりあえず吾店には立ち入らせないことで放っておくしかないかなあ。
先日、ある人に、今後の店への立ち入りを断ったことを記した。数日後、小生の不在の折に件の人物が来て、封書を置いて行っていた。ワープロで2枚、そこには 小生が「先輩である自分」に対していかに失礼なことをしてきたか、店の客扱いがなっていないと縷々述べてあった。そしておしまいに「反論歓迎、議論して、これを転機に一転、握手できれば幸いと思っている」とあり、最後にはメールアドレスまで記してある。「ふーん?」である。
かなり昔のことからよくまあ細かく覚えていらっしゃった事よ、というところだが、自分の非については一切触れておらず、ひたすら「お前の態度はなっとらん・反省せよ」の一点のみ。 其のシツコさにまず辟易。また、「大店舗でも何も言わないのにお前の所はダメだというのはけしからん」と書き写しを正当化しているが、「新刊屋」と「古本屋」の区別がついていないし、店の規模で自分の「窃盗行為」を押し付けようという神経が鼻持ちならない。「仲直り」の仕方迄ご宣託あるところから見ると、先様はまだ吾店に未練をお持ちかと思えるが、全く願い下げである。こちらが下手に出て「前非を悔いる」態度を示せば「わかればいいんだよ、君」とでも言うであろう。もとよりこの御仁は「・・したまえ」「・・ではないのかね」という調子の人。すべて命令調・上から目線で、いかにも教員生活の長かった人の典型。なんでも自分が基準であって、ほかの誰かがやってくれるのは当然、そして自分は採点・批評してやるぞという具合。学校という封鎖社会ではそれでもよかろうが、小生にとっては習ったことのない人を「先生」とは呼ばない(これも彼は気に入らない様子)出身校も違うので先輩とも言う筋ではない。ついでに言えば「先輩」も小生は殆んど言わないし言わせない、それは単なる上級生でしかないからで、何のかかわりもないのに先輩とは・・・。
もう一つ、彼は吾店にとって「お得意様」であると思い入れをしているのも問題。我が家にとって「よいお客様」とはまず「本を売ってくださる」「いろいろな本やそれにまつわる情報を伝えてくださる」「店の本全体を見てくださる」「本の扱いが丁寧」などだけれども、件の彼はこの点すべて反対である。
本の扱いが乱暴、いかにも本になれているぞ、と言いたげ、しかも脇にほかの人がいると余計にこれ見よがしに本をあせくる。値切ることはあっても自分の専門(なんだったけ)読んだ本、音楽・美術など、本人はいっぱしの批評家気取りらしいけれど、小生にそんな話をしてきたことはない(これには伏線があるが)要するに単に本という「物」と「代金」のやり取りだけで「書物」の付き合いではないので、この点でも吾店の「お客様」とは呼べないのですよ。
年取るとだんだんわがままがひどくなり迷惑な人がいることは一般論として知ってはいたけれど、吾店に降りかかるとは困ったことです。「○○に付ける薬はない」というけれど、これも同じで、いくら言い聞かせても解ろうとはしないだろう。盗み書きについてははっきりさせた方が良いかと思わぬでもないが、とりあえず吾店には立ち入らせないことで放っておくしかないかなあ。
数日前 ある人に吾店への来店をお断りする事態があった。小生より十数歳年上、見知ってから思えば40年にもなろうかという人である。そう親しくしてきたわけではなし、もともと多少狷介な人で、お付き合いについては距離を置いていた。音楽好きだということもわかっていたし美術にも一家言ありで、当方のお付き合い範囲とあちこちで重なりがあってお互いに意識しあう関係。当然ながら本は好きで吾店にもそう頻繁というわけではないけれど、大牟田在の人としてはある意味「良いお客様」だったかもしれない。しかし・しかし、もともと、とは先にいったけれどその狷介ぶりが歳と共にひどくなってきたように見えた。 そして吾店の都合から言えば、高価な本はまず買わない、均一と特価台の品をひっくり返しもっ繰り返し「点検」をし、数冊買うという人で、高価な本はよその町の有名店でしか買わない(以前、吾店で公言した)。その本の扱いの乱暴なことも吾店としては面白くないわけで、帯が切れるのも「どうせ大した本じゃないではないか、いちいち言うな」と。あるいは包装について、またこのたびのきっかけは
挨拶の仕方が悪いということだった。 古本屋の挨拶は難しいのだ、人によっては「いらっしゃいませ」さえ嫌がる。ただ黙っているのが一番と吾店では思っていて、入ってこられたときは挨拶なし。出てゆくときに「またどうぞ」というくらい。買っていただけたときは当然「ありがとうございます」 黙っているからと言って無視しているわけではない。どんな本を手にするか「観察」はしていて、何も買わずに出て行こうという方には「何をお探しでしたか」と聞くことはよくある。そこで対話が芽生えることは多い。本の扱いが乱暴とか、はなはだしいのは書き写そうか、という類を見張っているのは当然。このたびの事件も特価台の端でこちらに背を向けてモゾモゾやっているので、「何をしてるんですか」と聞いたことがきっかけであった。即刻「何が悪いんだ!」と怒気を含んだ返答である。手帖に書き写していたのだが、当方はわかっていても一応「何をしてるんですか」と聞いたのだが、その返答は自分のしていることが悪いこととわかっているから発せられた違いない。「俺はよその店でもやっている、なんだお前は俺がやってはいけないというのか」 「それではあんたは盗人だ」というと本当に怒ったようだった。図星だったということだ。そこで「そもそもお前の態度は・・・」と、先の挨拶のことから始まってあれこれ「ご不満」と雑言。 「そんなに気に入らない店なら来ていただかなくっても結構、即刻お帰りください二度と来ないで」「いやこれはもらっていく、買っていく」「いや買っていただかなくて好いです、お帰りください」「いや買う、お金を払うから客だろうが」「あなたには売らない、お金ももらわない」千円札を放って「釣は要らん」「こんなはしたがねで大きな顔をされてたまるか(3冊の本を離さない)その本くらいくれてやる、手切れ品だ」 という。 大人げないねえ、といわれそうな「売り言葉に買い言葉の」一幕でした。ああ清々した。
挨拶の仕方が悪いということだった。 古本屋の挨拶は難しいのだ、人によっては「いらっしゃいませ」さえ嫌がる。ただ黙っているのが一番と吾店では思っていて、入ってこられたときは挨拶なし。出てゆくときに「またどうぞ」というくらい。買っていただけたときは当然「ありがとうございます」 黙っているからと言って無視しているわけではない。どんな本を手にするか「観察」はしていて、何も買わずに出て行こうという方には「何をお探しでしたか」と聞くことはよくある。そこで対話が芽生えることは多い。本の扱いが乱暴とか、はなはだしいのは書き写そうか、という類を見張っているのは当然。このたびの事件も特価台の端でこちらに背を向けてモゾモゾやっているので、「何をしてるんですか」と聞いたことがきっかけであった。即刻「何が悪いんだ!」と怒気を含んだ返答である。手帖に書き写していたのだが、当方はわかっていても一応「何をしてるんですか」と聞いたのだが、その返答は自分のしていることが悪いこととわかっているから発せられた違いない。「俺はよその店でもやっている、なんだお前は俺がやってはいけないというのか」 「それではあんたは盗人だ」というと本当に怒ったようだった。図星だったということだ。そこで「そもそもお前の態度は・・・」と、先の挨拶のことから始まってあれこれ「ご不満」と雑言。 「そんなに気に入らない店なら来ていただかなくっても結構、即刻お帰りください二度と来ないで」「いやこれはもらっていく、買っていく」「いや買っていただかなくて好いです、お帰りください」「いや買う、お金を払うから客だろうが」「あなたには売らない、お金ももらわない」千円札を放って「釣は要らん」「こんなはしたがねで大きな顔をされてたまるか(3冊の本を離さない)その本くらいくれてやる、手切れ品だ」 という。 大人げないねえ、といわれそうな「売り言葉に買い言葉の」一幕でした。ああ清々した。
以前から「カルタ」に関して追いかけていることは書いたと思う。先ほど「中国製紙技術史」をさる図書館から借りてざっと目を通したのだけれど、結構面白い本でした。一番大事なことは、和紙に関するこれまでに目を通した本には 和紙の性能を劇的に変えたのに「ネリ」の発見であった、と書かれているように思う。これが中国からの伝播であるとはっきり書いた本はなかったのではないか。しかしこの本にははっきりとトロロアオイ他 いくつかの漂浮剤・「紙薬」と呼ばれる、が、宋か元の時代には使われていた現物と書かれた記録があるという。和紙が奈良朝以来の技術から飛躍するのは平安末期と文禄の朝鮮役のあとだけれど「ネリ」の導入はこの中間期か? いずれにしても日本独自の発見ではないことは明らかだろう。中国は広くて製紙の材料も雑多。ことに麻・羊毛は日本とは比べ物にならないくらいたくさんあり、南の方は竹が豊富。日本では山の木々が豊富という風土の違いで当然原料が違ってくる。楮や三椏などの樹皮を原料とするのは中国では主流ではないので日本にもたらされる「唐紙」もそうであっただろう。中国の紙で、樹皮原料の紙の製法が日本に伝わったのは少し時間がたってからというのは不思議ではない。 自分たちのことを美化するのは気持ちはわからないではないが「学術」の世界で我田引水は困る。 この本は共産中国で書かれたもので、毛沢東マルクス主義が基調であることはやむを得ない。でも面白い記述があった。「過去において封建統治階級は、本来働く人たちの集団による科学技術上の発明・創造を、ある帝王や将軍・大臣に帰し、人民の創造的な働きを抹殺する。」「働く民衆の集団による発明を、すべてある一人の「智者」に帰し、唯心主義的英雄史観を鼓舞している」的確な指摘ですね。 今の日本の 様子や如何! 考えさせられませんか。