閑寂肆独白

ひまでさびしい本屋のひとりごと

古本屋の存在

2013-05-03 09:56:53 | 日記
 またしても 1ヶ月以上空いてしまいました。この間は 以前にお知らせしました丸善ギャラリー即売会があって、わが店としては大変忙しくしていました。
 結果は 全体としては「まあまあ」、我店としても「まあまあ」、低いほうの目標は達成できました。丸善のお客様や目録の 印象・あるいは反省などは 別便で・・・・。
 先だって「炭鉱の町ファンクラブ」が 以前に自費出版された「三池炭鉱写真集」を復刊しました。その販売窓口を我店が引き受けました。 殆どの新聞社が取り上げれくれたのでかなり周知できたのは良かった。 我店にとってはそれからがいささか問題なのです。
 「新聞で見た」といって来店する方があるのは当然ですが、殆どの人がそれだけ!2000円をさっと出してパッと出てゆく。 ほかにどんな本があるか、あたりを見回すことはない。もっと刺激的であったのは 「どうして本屋に置いていないのですか?」という質問!(それも一人や二人ではない) 「貴方が来て、立っているのは本屋ではないのですか?」と聞きたくなります。 我店は「本屋」ではない、と 主人を目の前にしてはっきりと言う神経がすごいですね。 マダ言えば以前市役所前に「古閑書林」という「新刊店」があった(閉店して20年にはなる)のですが、「以前お宅は市役所の前にありましたね」と・・。「古閑」と「古雅」混同し、新刊と古本の区別も付かずにいて、それを 全然疑わないでいる人が未だに絶えない。
我店は、かつて繁栄していた商店街の真ん中、デパートの横で60年を超えた存在なのですが、
大牟田の大方の人にとっては「眼中にない」存在であることを如実に教えてくれます。
 1冊を「配達してくれ」という人もいまだ居ます。電話では「紀伊国屋などの著名本屋で手に入らないのはおかしい」といってきた人もありました。 
 本を出す ということがどんなメカニズムであることか 全く判っていないのですね。また何故古本屋が扱うかという点では、大牟田という土地での「古雅書店」の存在意義を理解していないことが良くわかります。
 丸善のお客様の様子、目録の注文者の住所、この写真集の大牟田での来客者の反応、 どれをとっても大牟田での「古雅書店」の存在意義は ありようがない ことを教えてくれます。
 父親が始めた店です、彼は体が悪くて勤めが出来ない、財産分けでもらった土地があった、
しかもそこは と維持の大牟田の一等地であったので商売を何とかやってこれたのですが、跡継ぎの小生の判断は まずかった。 早くに他の土地へ「逃げ出す」べきだったとつくづく思います。
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1 コメント

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ありがとう (森 和美)
2017-12-17 10:38:42
古雅書店さんは幼少から存じ上げていました。
また中高では何度もあしを運んだものです。
実は今年私の母が亡くなって三回忌でした。母に会いたくても会えない。その気持ちからふっと母の事が無性に知りたくなりルーツを調べているときに書籍をさがしていると古雅書店さんがでてくる。嬉しくなりました。またありがたいな感謝しています。大牟田市史、三池郡誌に私の祖先の方々の名前を見つけることができまた当時大牟田近辺の歴史を知ることができました。ありがとうございました。古賀→古雅さんですね。素敵な名前をつけられたなと嬉しくおもいました。きっと私が店に通っていたころはお父様がいらした頃でしょうか。また行きたいですね。
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