秋の福岡・天神、ジュンク堂地下の丸善ギャラリーでの古書展がおわった。秋の開催は3回目。来客数は多かったようだけれど、全体の売り上げは微減、吾店も同じ。ただし販売点数は増えていた。要するに一点当たりの単価が下がった、高額の品が売れなかった、ということです。吾店は相変わらず絵ハガキ、チラシ、薄い和本・報告書など軽くて小さなものがよく出て、嵩はなかなか減らない。今回目立ったのは「文庫」がよく出たこと。前回旺文社文庫を出したら思いの他売れたので、今回は其の外に講談、中公、などの物も出してみた。もちろん大衆文学などではなく「堅い」内容のもので百均にするようなものではない。丸善の店員に聞けば、少し前の物は棚に並んでいないし、もともと定価が高くなっているものが多い(文庫でも2000円なんていうのもある)ので少しでも安ければ、という購買層ではないか、と言うことだ。言うまでもないが大牟田ではまず売れることは望めない。来客の層、顔ぶれ、本を手に取る態度、もろもろ大牟田との違いを毎回本当に痛感させられる。
話変わって、ある大牟田の経済人が 福岡のある街イベントを見に行ったけれど、まるで勢いが違う、みんなの顔が笑っているし、「上をむいて」いるように見えた、という感想でした。それに引き替え、わが大牟田は如何 という話になるのです。そしてお決まりの市役所批判になります。
このたび市長が変わるけど、市のやることに変化はなさそう。昨年失敗に終わった市街地再開発のかかわったあるコンサルの話で、「こんなに話の進行の遅い町は初めてです」といったそうである。7・8年前の別の再開発計画もそう、町の者から見れば元凶は市当局の怠慢なのだれど、市役所はいったい何を見て仕事をしているのか、失敗の責任を全く言わないのはなぜ? 腹の立つこと多く、この話はキリがない。 いま産業遺産指定で大牟田・荒尾に見物客が増えたことは 悪いこととは言わないけれど、おそらくこのブームは1年で過ぎ去るのではないかと思っている。何しろ「地味」であることはさけられないから、一般的な「物見遊山」の人たちにとっては面白くないだろう。遺産に関する観点はもちろん様々であろうが、ただ地上の「スクラップ」が並んでいるだけ、という見方があることに小生は賛成せざるを得ない。産業遺産は「観光資源」ではなく歴史・文化・教育に資するもののハズではないか。駐車場、シャトルバスなどよりやることがあるのではないか。俄作りのガイドさんたちの決まり文句の説明と質問に答える頓珍漢ぶりをきいていると、鳥肌が立つ思い。
又「本」の事から離れてしまった。このところのカルタの探索で 又しても出所不明の不確かな「孫引き」を見つけてしまった。こうなると 著者、出版社を全部疑ってかからねばならなくなるではないか。それが「ことを極める」ことだと言われるだろうが、一般読者としては大変困ります。