またまた 来店のお客さんの悪口?批判?になるのだけれど これを読んでくださる方々にはご理解いただきたい。
数週間前の新聞で かつて発行されたある元高校教師の書いた三池炭鉱に関する新書版を有志の方々で復刊し方々に
配られたということが報道されました。この本は当然ながらわが店でも過去何度も扱っていて、そう珍しい本でも無し、それに新藤東洋男氏はかなり
批判していた本、小生の目から見てもこの点はいかがなものかと思う部分がある本で、改訂版を作ったというのならまだしも、その後いろいろな関連の著作のある中でなぜこれを復刊するのかしらんと思っていたところでした。 しかし その本を買いに来た人が複数ありました。いずれも本の題名を言って「買いに来ました」と わが店にあって当然という態度なのです。「いいえ、うちには持ちません」というと実に怪訝な表情で「お宅になかっですか」と。わが店は「古本屋であって、販売委託を受ければ新刊でも置きますが、それ以外は扱っていません」といっても「意味が解らん」という感じ。「なかっですか」というなり「わざわざ来たのに」という態度ありありでさっと出ていく。その間一分もかかるかしら。周りの書棚に一切目もくれず、という情景です。 「新聞で見たから来た」という言い分にしても昨日出た本が古本屋であるわが店に「行けばあるだろう」と思う神経がわからないのですが 諸賢はいかがお思いでしょうか。郷土誌に関しては古雅書店という「刷り込み・思い込み」があるやもしれないけれど、それにしてもほかにまったく目もくれずに立ち去るというのはどういう事だろうか、「折角来たのに」と言いたいのであれば目の前の書棚にどんな本があるかせめて一瞥できないものだろうか と。
愚痴だけでは恰好がつきませんね。 通販で注文があった新書「長崎製鉄所」の発送の荷造りしながら、「はてこの本はわが「積読」の中にあった」と思い当り、急ぎ取り出して一読。 きちんとした本にはどこかに得るべきことがかいてある物ですね。「おっと、これは知らなかった。重畳々々」という発見あり。ただし、やはりというべきか小生の疑問を解く一助に止まることでした。あまり詳しくは長くなるので書けませんが「泳気鐘」です。7年ほど前三菱の資料館に行ったとき目にしていたはずですがその時は関心をもっていなかったので覚えがないのです。何しろ資料館の建物の煉瓦構築のすばらしさに目を奪われ、その前に見に行っていた自動車の機関とのスケールの違いに圧倒されっぱなし、という印象が強すぎまして。なぜ泳気鐘かといえば それは港の岸壁・埠頭の構築の歴史に絡むからです。三池港の、そして何より三角西港の埠頭の石積みの見事さは本当に素晴らしい。ことに三角西港は狭い海峡に面していて深さも深ければ、その潮流は半端ではない。そこにどうやってかの見事な石積みを作ったのか。どうやって潜ったの?長崎では竹の蛇籠を沈めた上に石積みを構築したとあるけれど、それで百年以上の耐久性があるのかな? 行く先々で「???」ということが 増えるばかり。
数週間前の新聞で かつて発行されたある元高校教師の書いた三池炭鉱に関する新書版を有志の方々で復刊し方々に
配られたということが報道されました。この本は当然ながらわが店でも過去何度も扱っていて、そう珍しい本でも無し、それに新藤東洋男氏はかなり
批判していた本、小生の目から見てもこの点はいかがなものかと思う部分がある本で、改訂版を作ったというのならまだしも、その後いろいろな関連の著作のある中でなぜこれを復刊するのかしらんと思っていたところでした。 しかし その本を買いに来た人が複数ありました。いずれも本の題名を言って「買いに来ました」と わが店にあって当然という態度なのです。「いいえ、うちには持ちません」というと実に怪訝な表情で「お宅になかっですか」と。わが店は「古本屋であって、販売委託を受ければ新刊でも置きますが、それ以外は扱っていません」といっても「意味が解らん」という感じ。「なかっですか」というなり「わざわざ来たのに」という態度ありありでさっと出ていく。その間一分もかかるかしら。周りの書棚に一切目もくれず、という情景です。 「新聞で見たから来た」という言い分にしても昨日出た本が古本屋であるわが店に「行けばあるだろう」と思う神経がわからないのですが 諸賢はいかがお思いでしょうか。郷土誌に関しては古雅書店という「刷り込み・思い込み」があるやもしれないけれど、それにしてもほかにまったく目もくれずに立ち去るというのはどういう事だろうか、「折角来たのに」と言いたいのであれば目の前の書棚にどんな本があるかせめて一瞥できないものだろうか と。
愚痴だけでは恰好がつきませんね。 通販で注文があった新書「長崎製鉄所」の発送の荷造りしながら、「はてこの本はわが「積読」の中にあった」と思い当り、急ぎ取り出して一読。 きちんとした本にはどこかに得るべきことがかいてある物ですね。「おっと、これは知らなかった。重畳々々」という発見あり。ただし、やはりというべきか小生の疑問を解く一助に止まることでした。あまり詳しくは長くなるので書けませんが「泳気鐘」です。7年ほど前三菱の資料館に行ったとき目にしていたはずですがその時は関心をもっていなかったので覚えがないのです。何しろ資料館の建物の煉瓦構築のすばらしさに目を奪われ、その前に見に行っていた自動車の機関とのスケールの違いに圧倒されっぱなし、という印象が強すぎまして。なぜ泳気鐘かといえば それは港の岸壁・埠頭の構築の歴史に絡むからです。三池港の、そして何より三角西港の埠頭の石積みの見事さは本当に素晴らしい。ことに三角西港は狭い海峡に面していて深さも深ければ、その潮流は半端ではない。そこにどうやってかの見事な石積みを作ったのか。どうやって潜ったの?長崎では竹の蛇籠を沈めた上に石積みを構築したとあるけれど、それで百年以上の耐久性があるのかな? 行く先々で「???」ということが 増えるばかり。