閑寂肆独白

ひまでさびしい本屋のひとりごと

新刊やとの違いは・・?そして技術史の?? 

2017-09-29 20:42:54 | 日記
 またまた 来店のお客さんの悪口?批判?になるのだけれど これを読んでくださる方々にはご理解いただきたい。
 数週間前の新聞で かつて発行されたある元高校教師の書いた三池炭鉱に関する新書版を有志の方々で復刊し方々に
配られたということが報道されました。この本は当然ながらわが店でも過去何度も扱っていて、そう珍しい本でも無し、それに新藤東洋男氏はかなり
批判していた本、小生の目から見てもこの点はいかがなものかと思う部分がある本で、改訂版を作ったというのならまだしも、その後いろいろな関連の著作のある中でなぜこれを復刊するのかしらんと思っていたところでした。 しかし その本を買いに来た人が複数ありました。いずれも本の題名を言って「買いに来ました」と わが店にあって当然という態度なのです。「いいえ、うちには持ちません」というと実に怪訝な表情で「お宅になかっですか」と。わが店は「古本屋であって、販売委託を受ければ新刊でも置きますが、それ以外は扱っていません」といっても「意味が解らん」という感じ。「なかっですか」というなり「わざわざ来たのに」という態度ありありでさっと出ていく。その間一分もかかるかしら。周りの書棚に一切目もくれず、という情景です。 「新聞で見たから来た」という言い分にしても昨日出た本が古本屋であるわが店に「行けばあるだろう」と思う神経がわからないのですが 諸賢はいかがお思いでしょうか。郷土誌に関しては古雅書店という「刷り込み・思い込み」があるやもしれないけれど、それにしてもほかにまったく目もくれずに立ち去るというのはどういう事だろうか、「折角来たのに」と言いたいのであれば目の前の書棚にどんな本があるかせめて一瞥できないものだろうか と。
 愚痴だけでは恰好がつきませんね。 通販で注文があった新書「長崎製鉄所」の発送の荷造りしながら、「はてこの本はわが「積読」の中にあった」と思い当り、急ぎ取り出して一読。 きちんとした本にはどこかに得るべきことがかいてある物ですね。「おっと、これは知らなかった。重畳々々」という発見あり。ただし、やはりというべきか小生の疑問を解く一助に止まることでした。あまり詳しくは長くなるので書けませんが「泳気鐘」です。7年ほど前三菱の資料館に行ったとき目にしていたはずですがその時は関心をもっていなかったので覚えがないのです。何しろ資料館の建物の煉瓦構築のすばらしさに目を奪われ、その前に見に行っていた自動車の機関とのスケールの違いに圧倒されっぱなし、という印象が強すぎまして。なぜ泳気鐘かといえば それは港の岸壁・埠頭の構築の歴史に絡むからです。三池港の、そして何より三角西港の埠頭の石積みの見事さは本当に素晴らしい。ことに三角西港は狭い海峡に面していて深さも深ければ、その潮流は半端ではない。そこにどうやってかの見事な石積みを作ったのか。どうやって潜ったの?長崎では竹の蛇籠を沈めた上に石積みを構築したとあるけれど、それで百年以上の耐久性があるのかな? 行く先々で「???」ということが 増えるばかり。
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二つ文章を書いた。

2017-09-05 07:54:24 | 日記
先の五月と六月に大阪であった三池鉱山閉山20周年記念展の実行部隊の鵜飼氏が この展覧会にかかわったことの記録として文集を編みたいという話があった。で、その中に小生も何か書けというご下命があった。展覧会準備のため大牟田に来られた際に数回お会いしたが、そのとき小生の炭鉱に関する経験・見分を色々話をしたことを書くようにという話である。大方の炭鉱記録・記事はまず労働者、労組、会社、職組、職場、社宅に限られ、いわゆる「町方」から見た話はほとんど取り上げられたというのを聞いたことがない。争議の時小生は中学1年生で、自転車に乗って町中をあちこち見て回った中に争議の現場もあったし、全学連のデモが警官隊に追い散らされ頭から血を流して転んで来る場面も目撃している。あれこれ言えばまとまらないのでいっそ一点に絞って「炭鉱の町の古本屋に立ち寄った人々」という方向にした。 有名人である向坂逸郎氏から数人、炭鉱関連というくくりの中でわが店にかかわりのあった方々である。一万字でという申し出にどれほどの量かという実感はなかったけれど、とりあえず書き出してみた。第1稿は9,700字でおさまって意外と短いものだと思った次第。少し整理と訂正をして8月末にメールで送った。 どんな形の「本」になるかはまだ知らないのだけれど、投稿や機関誌、ビラ以外で小生の文が活字になるのはめったにないことで楽しみと心配とない交ぜというところです。 もう一本は「静かな街を考える会」の機関誌「Amenity」の中の小生が書く「九州の片隅から」の原稿。同じく8月末の締め切りで途中で同時進行になってしまって、作家の模擬体験という感じでした。こちらは二千字未満という枠。以前からの防災無線の役立たずについてが主なことで、幼稚園設置反対の件など「音」関する不満不平(見方によっては)満載。書いていたら制限を超えてしまって、うまく整理できずに尻切れトンボの文になったけれど これまでのことを知っている方々にはわかってもらえるだろうと思ってそのまま出稿した。  日々商品として「目を通す」本は当然あるのだけれど、なかなか「本を読む」機会が少なくなった。これまで知ら無かったことが増えるのは当然ながら、作家に関して思いがけなかったことなどを知ると彼の本・作品を読み直す、あるいは読まず嫌いだったのをただす良い機会だと思うのだけれどなかなか・・・。 まれに来店の若い人で文芸作品を手に取ったり、買ってくれたりすると話しかけ、「音読のススメ」をしている。みんな日本語は「声を出して読む」のが基本ということを知らない。「黙読・音読」についてはまたの機会に・・
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