閑寂肆独白

ひまでさびしい本屋のひとりごと

読んではいけない」の真逆!ぜひ「読んでください」本

2022-02-20 08:33:15 | 日記

先に書名「日本人はなぜ存在するか」與那覇潤著・集英社刊 です。
 例によって少し時間がたって入手で初刷は2013年2か月で2刷が出ている。
比較社会学・文学の専門化の書いたものですから ちらほらと専門用語(というほどでもないのかも)が出てくるので、小生のような「カタカタ午・哲学用語」に弱い、というより拒絶版の気味にはちょっと辛いですが、 読み始めからちょっと興奮気味になってしましました。いたるところに「目から鱗」感の記述がいっぱい。
 *Historyとはstoryを語ることだ。史実と史実をstoryで(を作って)つなぐことで「歴史」になる。
 *在日が選挙権・被選挙権を失ったのは「戦後」の事。 そもそも国籍とは何か。
*教科書的「古代・中世日本史」は「近畿圏史・皇族王朝史」に過ぎない。
 *「三丁目の夕陽」の頃の方が自殺も犯罪も多かった。
 *Cultureとは「古い・不変・伝統」とは逆の概念。Cultivateから出ているように「耕す・世話する・育てる」
*「子供」という概念、「小さな大人」 働力だった(日本も似た様子だった)
*アニメは「中国起源」
  等々 勝手に拾うとかえってわかりにくいかもしれないけれども、小生の文章能力・語彙では 残念ながら書ききれません。ぜひ読んで頂きたい。
昨年のノーベル化学賞ですでに日本国籍ではない学者を「日本人」と言って騒動したことに大変憤慨した、しかも彼は「日本を捨てた」と明言しているのにである。以前カズオ・イシグロの文学賞の時もそう。なぜ彼らは日本人としてもてはやされなければならないのか、大いに疑念を持っている。
今オリンピックでも中国や韓国とUS育ちの人のことがちらほらマスコミでも記事になっているが、「日本人」とは何だ?「国籍・戸籍」?
マスコミの責任も大きい。
 小生のかねてからの思う問題では、何につけても「大日本史・水戸学」の残した禍根は大きい。

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日本フィル・大牟田公演

2022-02-13 22:42:20 | 日記

 2月12日、2年ぶりの公演があった。
 *フィンランディア *メンコン *新世界 と学校の音楽教室なみの演目で残念だが 仕方がない。 
 最初の舞台、見れば1stが6プルト半と多いので「これは!?」と思ったら案の定、すごい金管の鳴らしようにびっくり!ほとんど「うるさい」感じ。と同時にこの弦の数でないと対応できないか!と 妙に納得した半面、では「新世界」では「どうなるのか!?」
 次なる「メンコン」だが 神尾真由子の出番。その楽器の音の大きいことにびっくり!今までに生で聞いた中で一番大きいのではなかったかもしれない。プログラムをみれば「宗次コレクションより貸与されたストラディヴァリウス1731年製 Rubinoff を使用」とあった。少し硬めのバリバリとした音で実に良く鳴る・響く。3楽章は少し早めの演奏で聞いて・見ているこちらにも力の入る見事な演奏だった。が、この楽器の音は「メンコン」には似合わない。ブラームスかシベリウスあたりを聴いてみたかった。  新世界は案の定、管の音が大きい、アンサンブルはしっかりしているので「うるさい」とは言えないけれども、もうちょっと「静かな」演奏でもいいのではないかと思った次第。Flutoの色気も艶もない演奏にはちょっとがっかり。
 お客の入りは半分、あるいはそれ以下、しかもほぼ全部が50歳以上と見える。顔見知りは殆ど、ことにピアノ系の人はまず見当たらなかった。 賛助会員や広告主の優待などの良い席もかなり空いていた。本人が来なくともせめて席を埋めるくらいの配慮はあってしかるべきではないかと・・。
幾らコロナ騒動のなかとは言えこの状況はちょっとひどいと思う。 「この大牟田で本当にオケの演奏を心待ちにしている人が一体何人いるだろうか」という話も出たが、全くのことで、日フィルが来なくなったとして何が変わるだろうか?それこそ1986年文化会館のこけら落としの第九演奏の熱気は今や全く信じられないことになってしまった。
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日本の「車」のこと/「道路運送今昔雑記」

2022-02-12 07:20:26 | 日記

物事が「何でこうなったの?」また「何でその先続かなかったの?」について興味を持っていることはすでにお伝えしている。その範囲は多方面なのだけれど、ことに「動く機械、使う道具」のへの関心は深い。「ネジ」についてズット考えていることは今も変わりがないが、「車」についても似たところがある。 「すべての道はローマに通じる」とは有名な言葉だと思うけれど、ではその道の構造は?どんな道具がその上を通っていたか? そこまで伝えてくれる本は少ない。 それはさておき、日本で歴史上「車両」といえるものがあったか?
 「道路運送今昔雑記」・野口亮 という本が手に入ったので見てみた。日本の古代・中世から近世に至る「荷物の運搬」について簡潔ながらわかりやすく説明してある。駅伝の役所について「人家の真ん中に役所があったわけではない、伏兵の襲撃を避けるため、後方に広い空き地のある場所を選んだ」とあるのはちょっと驚いた。これまでに聞いたことがない話。陣屋などの配置図は方々にあり、これまでもいくつか見ているのだが、この視点は初めて知った。近世の宿場とは少し違うかもしれないが、気を付けてみなければならない。
 享保六年の触書という有名な触書がある。何で有名かといえば「新規に巧み出し候事自今以後堅く停止足り」「物数奇にも仕出し候類は追而吟味を遂げ停止申し付くべく・・」等という新規改良を全く禁じるという命令が出たことである。
 又、「道中奉行の官職を置いたのは交通の保護・助成のためではなく、諸侯の動静監視等の密命を帯びていた」とある。この命令は一つの事象にとどまらず、すべての生産活動に大きな掣肘をもたらしたことはよく知られている。
 それでも個人間の親書のやり取り、即ち飛脚便の発達は避けられなかった。これは人間が担いで走れば一応の対応はできる、「物」を運ぶにはどうしたかが小生の関心なのだ。馬一頭には米俵3俵が限度、橋のない川でも馬ならかなり深くてもわたることができる。それ以上の荷は?  よく知られた大八車について「江戸神田山を切り崩して沼地の埋め立てする土砂運運搬のため創造されたもので積載量が人八人分に相当するので人呼んで大八車と言ったと伝えられる」御傳馬方旧記に「享保十二年、江戸に大八車が二千輌あった」と記されているとある。
 先にローマのことと取り上げたが、そこでは「チャリオット」というのをはじめ、「馬車」がかなりつかわれていて道路もそのために基本的に石畳だった。
 雨の多い日本で道路をぬからないように工夫した話は聞かない。それは車輪の、特に重い荷物の通行を考えていないからだ。
せいぜい大名行列や公家の弊紙使が通る時に白砂をまいたくらいでこれは見てくれを考えてのことに過ぎない。 
馬に関しては、日本では「蹄鉄」の使用がなく、「去勢」の技術もなかったので西欧・アラブ、そして北部中国のような馬の利用の発達がなかった。せいぜい藁靴を履かせる、爪を削る程度では速足で長距離を走ることはできないし、重い荷を引っ張ることも限度がある。車に関しても近世初頭の絵図には車輪が板のハギ合わせで、いわゆるスポーク利用の車輪はかなり後からの様である(中国ではごく早くから使われていた)そして小生の視点は車軸・軸受け、回転部の構造。
 全般に鉄の利用が遅かったことも知られているが、軸受け・ハブに鉄輪を使うのはズット後、それまでは革を巻いていたらしい。これでは円滑な回転は得られない、
鉄の利用が始まっても「ベアリング」を知らない。また鉱物性の潤滑油もなかった。江戸期になっての大八車はさすがに鉄製のハブであったようであるが、中国の様子は結構もたらされていたにも関わらず利用することを考えなかった不思議。
 重量物を陸路で運ぶことを考えないから当然ながら「舗装」という感覚もなかったのだ。雪国では泥濘に藁筵を敷いたようであるが、これは今でも使えるのではないか、少なくともスリップはかなり防ぐことができると思われる。
ある発見・発明は次々と波及すると思うのだが、我が日本ではそうはいかなかった事例はまだ幾つもある。以前からの関心の「ネジ」と同じ問題である。
「ナゼ」についての関心は尽きることがない。
 この本はあまり知られていないのではないかと思う、歴史に関しては半分までで、あとは鉄道の発達と運送業の乱立で制限・統制に関することの記述で、これも昭和11(1936)年ころの世相を知るうえで面白い記述である、一般的な「歴史記述・年表」等には記載されない事柄だと思う。
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「知らざるを知らされる」

2022-02-03 07:15:44 | 日記
 
 筆者が読む本はお客様なり市場などから入手した中からこれはと思って
手にするものだから、いわゆる「新刊」は殆どありえない。それでも一冊ごとに色々な知識、知見が見つかり思いを新たにすることができる、というよりさせられるというべきか。
 ある短い随想を集めた本を見ていて「政治を一歩誤ると、官吏は番犬で、国民は牛馬のようになってしまう」「もし思想を取り締まるとせば、先ずこの首相の憂鬱なる思想を取り締まるべし」 という文言の有る本を知った。これは近々の政情についてまさにその通りで安部・菅政権のことを言っている昨日今日の言葉に思われるが、実は昭和16年に出た本の中の一句なのだ。こんな文句に行き当たると「歴史は繰り返す」と思わざるを得ない。
 正木ひろし「近きより」である。 以前この本を扱ったことがあった(はず?)だが、正木ひろしについても漠然と戦時中に軍部・政府を批判した人だ としか認識しておらずページを繰ってみた覚えはない。 
 今にして「読んどけばよかった」とまさに後悔先に立たずである。先の「月と狂言師」もそう、このところこのように「知らなかった」「そんなことだったのか」と思い知らされることがこの齢にして増えてきたように思う。
 もっとも、逆に「馬鹿馬鹿しい、出版社は恥をしれ」と思う本もよく行き当たる。 本は読むべしである。本を読まない人は「知らざるを知らない」自分は
これ以上知る必要なしと自得した世間・料簡の狭い、あるいは「出来上がった、頭の高い」人間だといえると思う。
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