日曜日、九州産業考古学会の総会が八幡であって、朝早くの電車で参加しました。いつもはお昼の準備ができているのですが、この日は無し、「近所で済ませてきてください」といわれても様子はわからず、昼時とあって見つけた数軒は満杯、やむなく連れと入ったのはお
好み焼き屋。時間が迫っているので急いで食べようとするけれど熱くて・・。 自分の意志ではまず食べないものなので全く二十数年ぶりかの事でした。昼からは産業遺跡の見学会。今にも泣きだしそうな天気の元ぞろぞろと出発。バスで取りついたところから八幡製鉄の用水路の遺跡を巡るのだが、百数十メートルはあろうかという山腹に延々と築かれたコンクリート製の水路。今は別のトンネル水路が築かれて御用済みになっているとはいえ上蓋の上に舗装を施してあって立派な「通路」になっている。そして山肌を横切っての構造だから谷ごとに水路橋が架かっているがこれがまた立派なもの。とても百年の時を刻んでいるものとは思えない。あとからの補強もきちんとしていて、水路として使っていないのに結構なお金がかけてあるのはちょっと不思議な感じもする。それに明治40年頃に構築されたといえば、セメントは樽詰め、玉砂利と砂と水を担ぎ上げての作業はいかばかりであったか。しかもいまだにびくともしていない! ハイキングのそのつもりでくれば素敵なコースであろうけれど、途中あれこれと説明の度にもぐったり上ったりでくたびれる。下界へ降りては大谷線という明治中期の市内電車の敷地をめぐり、さあこれでおしまいという頃に、「二万歩くらいです」といわれてもただ平地を歩くのとはわけが違う。日ごろの運動不足が祟ってかなりの疲労。 最後に懇親会の場所も予定が狂って移動せねばならなくなったのだがその三・四百メートル歩くのもおっくうという情けない姿になりました。これでカンカン照りの天気だったら多分根をあげていたことでしょう。 以前から北九州都市高速道を通るたびによくまあこんなに高いところまで人が住んでいるものだと思っていたけれど、今回その家々の真横を通ってその思いを新たにしてしまった。「住めば都」かもしれないけれど小生にはとても無理ですね。