閑寂肆独白

ひまでさびしい本屋のひとりごと

どんな本を あつかうか?

2013-05-24 09:25:02 | 日記
先月の 丸善ギャラリーでの即売会の結果を 自分の整理をこめて お知らせしよう。
 写真版を含む目録を 1000部くらい作って発送、あるいは丸善とジュンク堂の店頭で配布してもらいました。
 我店の成績としては 目録点数の27%が売れました。これは我店としては 上々の出来です。
かつて 数学書の一括を買い入れた時、それだけの目録を作って(ワープロの流行始めではじめて自分で作った)配布したことがあるが、このときは75%超という此れも破格の成績だったけど、一般的な即売会や通販の目録では30%売れるのは大当たりと言われる。今回は 内容とお客様の要望がうまく合ったということだが(金額では一点一点が高いものではないが)うれしいことであり 励みにはなります。但し 当初の思惑とずれた部分もあることは確かです。それは熊本・肥後関係のものが全く反応なしだったこと。目録の送付先の如何にもよるのだろうが・・・。
 そこで、何が売れたか?と言うことですが(ここからが本論)いわゆる「本」は数点しかありません。地図や和本、パンフレット、同人誌、刷り物が殆どで「嵩」は全部でもミカン箱2個分くらい。重さにすれば15㎏にもなるかどうか。それらはいずれも広い意味で「資料」といえる物です。この点は他の出展者も似た傾向で、いわゆる「本」は売れたとは言い難かった。 
この頃「本を売りたい」というお話を次々とお断りしているのですが、まさにこの点です。我店は一般的な「本」は如何でも良い、というと過言だし語弊があるのですが、「本」ではなくて「本」を書く材料、資料が欲しい。そんなものを扱う店であることを判って欲しいですね。出てしまった「本」は沢山あって安売り競争しかないし、幾ら安くしても関係のない人にとっては「ゴミ」でしかない。「五十年一昔・百年、尚結構」という惹句の意味もそこにあるのですが此れも少し変えなければならない、それは三池争議ももう五十年経つのだが、そのころの本はいまだ相当「ある」のです。後に言う「バブル」、あるいは高度成長期にすでになっていたのでしょう、出版量が相当多かったと思われる。ベストセラー、ミリオンセラーと言う言葉もこの頃からではなかったか。
 以前、三池争議関係の本が沢山あると言って 相談されたことがありますが、全部「刊行書物」で かつては「相当な値段でした」とおっしゃられても 話にならないのですね。我店はその刊行物を書き換える、とまでは行かなくとも、せめて補完・証明する「資料・現物」は欲しいのです。数千部・数万部も発行された「本」は要らない。「みいけ十年」「三池20年」など、ここ数年売れたことがない。我店にも複数在庫、日本中の本屋が持っていて、いまさら仕入れる必要はないのです。こんなことは「古書」に興味のない人の説明するのは難しい。「レアなもの」といっても判ってもらえず「要するに骨董品ですね」と言われてもそれとはまた違うし・・。
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「シンカンヤ」?

2013-05-14 09:26:30 | 日記
 先に 「本屋」という概念が違うようだ、と書いたけど、それを再確認する話。
 あるところで ある程度「本」に関心を持っている、そして小生が「古本屋」であることを十分認識している若い友人と話していた。其の内に今の刊行物 と昔の本の扱の話題になって、小生が「新刊屋」という言葉を数回使ったら 「よくわからん」という表情で「シンカンヤ?ッて・・・?」 小生もちょっとびっくり! 
 ある古本・古書入門といった類の本の中に古本用語集というようなものがあって、中に
*「しんかんや」新刊屋・店。古書・古本ではなく、新に刊行された本を出版社・取次ぎ業を  通じて扱う店。殆どが委託販売であるのが日本の特徴。「あらほんや」とも言う。
 といった説明の項目があった。 ひょっとしてこれは「業界用語」?「隠語」? 
 そう言えば此れまでにも「シンカンヤ」というと聞きなおされて ちょっと説明するという場面があったような・・。
 ある新刊店の店長さんとの話で 一体どれくらいの人が「お客さん」といえるか?話題になったことがある。人口比である。その数字からして 古本屋のお客の数がいかに微少なものか実感させられる。 松本清張、司馬遼太郎の書斎が公開され、そこに「古本屋」が介在するどころか大きな地位を占めていることを「見ていながら」あるいは「知っていながら」99.99%の人たちにとっては我ことではないのですね。これは新聞社・記者たちにもいえることで、新刊の書評・紹介はあっても「古書」に関する記事はまずない。もしあっても「掘り出し」「珍品」といったゲテモノ扱の記事でしかない。かつて大物新聞記者 などと言われた人たちは皆古書店のお得意さまで 記事や随筆等で(現役時代から)古書に関する事を書いている。 「昔は良かった」など言うつもりはないが 「不易」を忘れた言論・思想界は「影響力」は持ちようがないと思う。
 先の丸善ギャラリー展での 売れたものの様子を見ても同じことが言える。此れについては又次の機会に。
 
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古本屋の存在

2013-05-03 09:56:53 | 日記
 またしても 1ヶ月以上空いてしまいました。この間は 以前にお知らせしました丸善ギャラリー即売会があって、わが店としては大変忙しくしていました。
 結果は 全体としては「まあまあ」、我店としても「まあまあ」、低いほうの目標は達成できました。丸善のお客様や目録の 印象・あるいは反省などは 別便で・・・・。
 先だって「炭鉱の町ファンクラブ」が 以前に自費出版された「三池炭鉱写真集」を復刊しました。その販売窓口を我店が引き受けました。 殆どの新聞社が取り上げれくれたのでかなり周知できたのは良かった。 我店にとってはそれからがいささか問題なのです。
 「新聞で見た」といって来店する方があるのは当然ですが、殆どの人がそれだけ!2000円をさっと出してパッと出てゆく。 ほかにどんな本があるか、あたりを見回すことはない。もっと刺激的であったのは 「どうして本屋に置いていないのですか?」という質問!(それも一人や二人ではない) 「貴方が来て、立っているのは本屋ではないのですか?」と聞きたくなります。 我店は「本屋」ではない、と 主人を目の前にしてはっきりと言う神経がすごいですね。 マダ言えば以前市役所前に「古閑書林」という「新刊店」があった(閉店して20年にはなる)のですが、「以前お宅は市役所の前にありましたね」と・・。「古閑」と「古雅」混同し、新刊と古本の区別も付かずにいて、それを 全然疑わないでいる人が未だに絶えない。
我店は、かつて繁栄していた商店街の真ん中、デパートの横で60年を超えた存在なのですが、
大牟田の大方の人にとっては「眼中にない」存在であることを如実に教えてくれます。
 1冊を「配達してくれ」という人もいまだ居ます。電話では「紀伊国屋などの著名本屋で手に入らないのはおかしい」といってきた人もありました。 
 本を出す ということがどんなメカニズムであることか 全く判っていないのですね。また何故古本屋が扱うかという点では、大牟田という土地での「古雅書店」の存在意義を理解していないことが良くわかります。
 丸善のお客様の様子、目録の注文者の住所、この写真集の大牟田での来客者の反応、 どれをとっても大牟田での「古雅書店」の存在意義は ありようがない ことを教えてくれます。
 父親が始めた店です、彼は体が悪くて勤めが出来ない、財産分けでもらった土地があった、
しかもそこは と維持の大牟田の一等地であったので商売を何とかやってこれたのですが、跡継ぎの小生の判断は まずかった。 早くに他の土地へ「逃げ出す」べきだったとつくづく思います。
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