閑寂肆独白

ひまでさびしい本屋のひとりごと

「筑後の文芸作家展」を見に行った。

2020-02-19 08:12:53 | 日記
船小屋の九州芸文館で開催中の「筑後の文芸作家展」を見に行った。
「特別展」と銘打ってあるのでどんなものか少し期待をしていったのだけれど、残念でした。 先に感想を言えば高校生の文芸部の「文化祭研究発表」。とても県立博物館の特別展企画 という名前に値するとはおもえない。
それは展示の内容と共に「仕方」も同様、またA4・64p(800円)という立派な図録も同様、全くの見掛け倒し。
 柳川在の白秋の肉筆の収集家の者の展示と松永伍一、内田博・麟太郎親子、そしてどういう訳か大牟田の文学碑 の四点が主題であるようだったけれどそのほかは全く附けたり程度、いっそこの四点だけに絞った方が良かったと思われる。 あまりのことに憤懣?持ち切れず館長あてに「感想文」を送りました。以下挨拶は抜きに、本文をそのままお見せします。

*図録に関して
 ◎ 白秋・檀一雄・有馬頼義について2Pを割く必要はないのではないか。
  彼らはほかに沢山の資料・文献があるので 簡潔な紹介で十分です。
  数行しか記載のない人との格差が余計に目につきます。文学辞典等の記載の単なる引き写しでは「活きた」解説とは言えない。   
◎ 掲載の基準が不明瞭。
何を基準にしたのだろうか?出生・生活の有無・姻戚関係・交遊・あるいは師弟関係のどれなのか。そして有馬頼義は筑後の文人といえるだろうか?辻仁成は? そして五木寛之が いないのはなぜ?           
◎ 生年・没年 享年の記載が不統一。
◎ 末尾の「資料不足で・・・」と紹介された人たちについて、納得できない。
森崎和江・柿添元などが「資料不足」とはどういうことだろうか。また視点を広げ「九州文学」「母音」他に当たればもっとたくさんの「文芸家」が見いだせる。 例えば大牟田関係だけでも 境忠一・吉村三生・長山不美男・山下郁夫・河口司・黒田達也 等々 今回展示された人々と同列あるいはそれ以上の作品・仕事の実績ある「文芸家」が活躍していた。                             
 *展示に関して
 ◎ 北原白秋、松永伍一、内田親子、大牟田の文学碑の4点を柱にしたことは見て取れる。しかし、白秋の掛け軸の展示は見る側の視線・動線を考えられているとは思えないし、読み下しのプリントが脇に置いてありながらそれを見る人にわかるような展示をしていない。「ケース・壁面の都合です」では寂しい話です。 他の作家の出版物についても「書誌」的な説明がなくそれが一体なんなのか、訴えてくるものが無い、単に置いてあるだけでは一般の観覧者には意味がわからないのではないか。せっかくの展示物を活かせていない感じです。「わかる人にわかればよい」というのであれば展示館の態度として大問題でしょう。
いっそ主題の4点だけの展示に絞った方が良かったのではないでしょうか。

展示も図録も 全体に方向性、時間列、関係が不明瞭。企画展示の意味、何を・なぜ・どのように、の基本線の認識・周知不足といえないだろうか。以前にあった高島野十郎展でも展示の方向不明瞭、意味の分からない順番、説明のない作品もあった。共通して受ける印象は 展示を通して訴えるもの・意志が見えない、見る側に寄り添う感覚の欠如。 「あとがき」に学芸員がいないと触れてあったが、問題は「プロ」がいるかどうかではなく、企画実行する自分たちの感性・柔軟性の表し方ではないかと思います。
  以上 大人げない、余計な世話だ、という批判は甘んじます。
コメント
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