閑寂肆独白

ひまでさびしい本屋のひとりごと

お盆の来客

2019-08-18 08:31:43 | 日記
 
今年はお盆前から 普段見かけない来店客を見かけるようだ。ことに若い(といっても小生よりは)人が目立つ。その中で 30代くらいの人たちで「季刊・銀花」を求めるのが続いた。滅多にないことなので聞いてみれば いま民芸ブームなのだそうである。
我が方としては「へー!?」という感じ。 しかしかつて、1970年前後から80年にかけての 先の民芸ブームの再来はあり得ないだろうと思う。 かつてブームを支えた人たちはまだ高度経済成長期の最中で、「家を持つ」というのは一戸建てであって、いまのような「マンションを買う」のではなかった。 その家には玄関・床の間・居間・客間があり小さいながらも庭付きというものでマンション住まいというのは特殊な人達だった。その人たちは今高齢化して重厚な民芸の家具などの処分に困っている。今の建物は一戸建てといえども「ウサギ小屋」程度で、玄関は狭く床の間は無し、物置も無し、ましてマンションでは壁に絵を飾ることも難しい。そんな生活環境で「民芸品」といって何を「買う」のだろうか。例えば昔はやった自在鉤だが、いまどき囲炉裏を切る余裕は全くないだろう、陶器類にしても食器棚が小さくて余分なものを入れる余裕はない。 好意的に考えれば「イケア」「ニトリ」などのブームが過ぎて、それが安くはあっても他愛のない、耐久性もない軽くて飽きられつつあり、その反動かなあと思えはする。ちょうど田舎の民家を再利用しようというような動きに同調しているのだろう。しかし、マスコミなどで評判記を書き調子よく持ち上げたとしても 先のブームにはとても追い付けまい。購買層の絶対数が少ないし、なんといってもそのころに比べると所得が低い。 国の経済は発展していると言うけれど、個人の可処分所得はずっと減っている。「安かろう・まずかろう」に走らざるを得ないのが現実だ。「うさぎ小屋」から脱却すれば経済はもっと活発になる、高層マンションなど愚の骨頂。地域の生活の破壊者でもあって儲かるのは建築業者だけの「愚策」であろう。 ともあれ「季刊・銀花」のストックが少しでも減ってくれるのはありがたい。そしてその来客はいずれも地元ではなく唐津、八女の近場から岡山・横浜などからの人びと、「古本屋がある、ちょっと覗いてみようか」という文化が大牟田には全くないのだ。
コメント
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