閑寂肆独白

ひまでさびしい本屋のひとりごと

ある小説をよんだ

2018-11-21 06:47:21 | 日記
 
 このところ本を読む速度が大変遅くなってきているのを感じる。原因の
一つが目の具合が面白くないことでもある。それと読んで面白く楽しい「小説」をほとんど読まなく、歴史や技術史あるいは環境問題などするすると流し読みのできるものではないので当然速度は遅くなる。 その中で整理中に目についた「遠い日の戦争」吉村昭、を読んだ。短いものなので店先で一時間ほどで一気に読んでしまった。かなり前に発刊されたもので、福岡の終戦時の事件を題材にしたものだからと思って読んだのだけれど、良い作品と感じ入ったことでした。以前、それこそ30年くらい前のことだけれど、ラジオの朗読で「ポーツマスの旗」をたまたま聞いて「いい文章だなあ」と感じ即刻手に入れて読んだ。素晴らしい作品だと思って数人に勧めた覚えがある。彼の文章は穏やかで盥のない静かなものだけれど、スキがなく先へ先へと読み進ませるものがあると思う。小生の教養・表現力では言い尽くさないがこれが「筆力」という物かと思う。前にある現役の作家の時代小説を読み通せなかったことを書いた。題材は規模の大きな面白くなるはずのものだけれど、人物の描き方、風景その他の表現、何ともまどろっかしく諦めてしまった。吉村昭の作品は特に作為のあるとは思えないけれどすっきりとして素晴らしいと思う。凪の大海原でうねりで揺蕩っている、われながら下手な表現で恥ずかしいが、そのような印象です。 方々におかれても彼の作品を読まれることをお勧めします。司馬遼太郎・吉川英治・松本清張などとどこが違うか、頭の中では思うことはあるけれど、「文章」にしきれないのが実にもどかしく浅学菲才を実感。
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丸善ギャラリー展が終わった。

2018-11-11 06:59:33 | 日記
丸善ギャラリーの即売会を終えました。わが店はスチール棚を減らし、出品量を少なくしたのでしたが結果(売り上げ)はいつもと変わらず、効率が良かったと言えるでしょう。今回は目録を出さないし、ほかの業者も古書を出すのではなく、ガラスのショーケースも小店だけの一台なので出品するのに何を主題にするか目途の立たないままでした。ほかの店は大量の「新古本」の出品、しかも3冊で五百円とか文庫類の百円均一とか、安い雑誌・ムックをびっしりと並べています。彼らはいわゆるスーパーマーケットの出口での安売りの感覚で、小生に言わせると「丸善ギャラリー」というブランドにそぐわないと思うのだけれど、そんなこと一向に意に介する様子はない。「売れればいいんでしょ、若い世代の人が来るからいいではないですか」という。 わが店は相変わらず薄く・軽く小さくというものがよく出る、今回は絵葉書と豆本、地図が目立った。一方そればかりではわが店の在庫の物理的嵩を減らすことにならないので、ワンコイン・五百円の本を一塊用意したらこれはわが店としてはよく売れたようで、もし五百円均一の立て札なりで表示していたらもっと売れたに違いない。しかしそれはやりたくない。
 ずっと以前、即売会の奔りのころ、個々の店は均一を名乗った台は止めるという組合の「紳士協定」(他にもいくつか)があった、それは均一を表示・名乗るとお客さんがそこへばかりに集まってしまうから、だった。それが世代が変わってきてそれらのルールを伝承できなかったということ。そもそも(とは言いたくないが)我が店は定価より安く売るのをなるたけ避けてきている。古本屋は新刊屋にない本を扱う、製造原価に基づく「定価」ではなく本の本来の価値を問う仕事だと思う。現実には大量の新古本の流入でそうばかり言っては居れないのだけれど、この心得は守りたい。次回の来年四月の即売会は参加者も変わり、目録を出すことになっています。某書店のように数十万以上の物を出すわけではないけれど小粒ながら少しでも「付加価値」をうたえる品揃えにしなければならないと思っています。
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