閑寂肆独白

ひまでさびしい本屋のひとりごと

夏祭り前後 大名日記のこと

2016-07-30 07:28:20 | 日記
23・24日は大蛇山。 今年は二人の息子がそろって帰ってきた。大人3人幼児2人が一気に増えて、狭いわが家はスシ詰めの感じ。
 そして 彼らの水分補給量がすごい!あっという間に空のペットボトルの山である。
 今年は隣角に店ができたせいか囃子の稽古が 少し離れたところでやっていたので毎年の「騒音公害」は免れることができた。
 隣のイタ飲み屋は 結構な繁盛と見える、周りの店や住人にまったく挨拶なしに、また開店の広告もなしに始まったので どんな具合か訝っていたのだが、この頃はやりのネットやラインでの「口コミ」での集客だという。 ところで、始まってまだ一か月にもならない間に2度も換気扇の消し忘れ! 夜が明けた一番の静寂がまったく台無しである。 いくら基準値は越えていませんと言っても我家の庭先である。無神経には本当に困る。
 祭が終わってやれやれ 一息というわけにはまいらず、8月4日からの天神丸善ギャラリーの「映画」中心の即売会の準備が待っていた。吾店は客層が偏っていて映画関連の書物等を買い入れる機会がほとんどない。以前からのストックを出しているのだけれどそろそろ底をついてきた感じで困った。
 先週、柳川古文書館の「日記を読む」会に顔をだした。柳河藩立花氏の何代目かの大名の日記で、かなりの量がある。すでに5・6回はあっていて、参加者たちはかなり慣れた様子で 連番で読まなければならないのでこれは少し気を入れて「予習」しなければならない、またやることが増えてしまった。小生の関心は大名の誰それがどうしたという公式のことではなく、実際の生活の様子が知れるかもしれないという関心なのだ。 この大牟田に関しては三池藩立花氏の当首はいったいどれくらいこの地元に滞在したことがあるのか が わかっていない。幕末の転封期を外して約100年の間 おそらく延べにしても数年 あるいは数百日くらいしかいなかったのではないかと推測している。 言いたいのは支配していた大名を いまだに「顕彰」しようという輩がいるのが不思議。なぜ憧れのような眼差しで敬語を使って話すのだろうか、ということです。封建大名はいわば落下傘支配者で 地元とは関係ないものが命令であてがわれて「支配・管理」下に過ぎなく、「大名」としての生活・仕事のほとんどは江戸でのことであって彼らにとっては、支配地とは収奪の地でしかなかったことを どう考えているのか。江戸が終わって150年も過ぎたのにいまだに家来感覚でいるのはなぜ?貴種願望よりも もっと大切な視点があると思う。
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イタリアン・バル騒音騒動

2016-07-07 08:44:30 | 日記
 北隣のビルの一階に「イタリアン・レストラン」(実態はただの西洋風飲み屋)が7月1日開店した。これを巡ってこのところ忙しかった。町中の空き店舗対策として 市の商工課と商工会議所が関与して「誘致」した話である。地元新聞の記事で知らされ「へえ!」と思うばかり。工事が決まり、監督が「明日からかかります」と言ってきただけで隣の吾店に全く相談も挨拶もなしであった。 ずっと以前、中華料理店、喫茶店、飲み屋、そしてクラブと、騒音・匂いに悩まされた経験から 今度も怪しいとは思っても、向こうから何も言ってこないのにあれこれ口出しはできないと思って静観していたが、案の定! 我が家の庭に向かって設置された空調の室外機が58dec前後 換気ダクトに至っては61dec前後 の「騒音」 全く環境基準を超えている。この店は午前2時まで営業するというではないか。この数値では午后6時以降は運転不可である。さっそく 商工会議所へ出向き、担当者に「どういうことですか? この装置では夕刻以降は営業できませんよ、あなたたちはわかっていて誘致したのか」と。
 担当も市の商工課も騒音に関して全く無関心・無神経で吾店のことは「全く考えませんでした」との事。 出来上がって其の結果を見ないことには文句は言えないのでここまで黙ってきたのだが、全部やりなおしとなって「開店は決まっているで暫く我慢してほしい」 では其の工事は、と言えば足場は我家の庭からしか組めない。 全く行政の怠慢・無責任・無神経、対応を見ていると「バカ」という言葉がつい出てしまう。商工会議所に至っては普段の付き合いのある者たちしか見えておらず はたから見れば「声の大きい派手な業種のものにすり寄るお調子者」にしか見えない。7日現在まだ全面解決には至っていない。おかげで時間と手間は喰う、神経はつかれる、仕事には触るし、と大迷惑。しかし連中は口先で「すみませんご迷惑をおかけしまして」というばかり。 おかげで というばかりではないけれど このところ「本」に関して「書くべき」ことがありません。手に取り、目を通す本はあってもその気になって読む ということがこのところ少ない。 

 
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