書き込みが滞ってしまった。 ここ数日寒くなって「冬来たり」と体が実感している。若い時は「寒いの大好き」だったけれども 今や逆さま、寄る年波を否応なしに思わされている。
このところ世界・日本・そして大牟田周辺に関心を持たざるを得ない事が大変多いのだが 特に紹介するような「本」とは結び付かないので書けないでいた。
とはいっても、やはり「事の起こり」についての関心は依然ある。
入手した色々な本の中から目についたのを拾って「眼を通す」ことは変わりはなく、問題は其速度が遅くなってきているのが顕著でいわゆる「積読」がかなりある。 関心の中でも「ナゼ1945.8.15」を迎えたか、いきさつの理解と、その後の責任についてどう云う事があったか、についてはもっとも大きい。
昭和十年頃からの事に技術系、戦術系の中堅の中で「この戦争は勝てない」と相当の数の人たちが思っていたことが分かっている。 なのになぜ?戦争拡大を止められなかったのか。 これは歴史の問題ではなく 今の日本の現実の問題でもあるのがなお大きな問題なのだ。
例示は幾らもあるが、近々では 宮古島に対空ロケットが配備された、その施設と隊員を守るために退避・避難の設備が(壕ではなく地上に置くものの様だ、詳しくはわからない)設置されたとの報道があった。早速島民から 「自分たちはどうなるのか」と疑問が上がった(当然のことである)。基地司令の答えは「我々の関与する事案ではない」というのだ。まさに「国を護る」の実態をあらわにしたと言えないか。 いざというときは島民を避難・退去させると言いながら其計画はまさに計画だけで何ら実態を伴っていない。飛行機では運べる数が少なく実効性は低い、されば船はと言っても今のところ全く何もされていない。 沖縄・奄美の人たちにとっては終戦直前の本土への避難が船を沈められて悲劇を生んだことを忘れてはいない。
一方、本土についても北朝鮮のミサイルが来て、警報は出しても(それもお粗末だったことは周知の事)ではどこに逃げるか、については全く考えられていない。 中国・北朝鮮・ロシア・北欧などの地下鉄がいざというときの待避壕になっているのは殆どの人が知っている。当然政府や官庁の「偉いさん」たちも知っているはずであるが、日本中どこにもそんな施設は作られていない。民間だけではない、自衛隊だって その既知の周辺の安全・防衛・防御策はあきれるほどいいかげんである。日本は西洋社会と違って農地・山林と言えども無秩序に開発され、民家のすぐ隣が発射台や弾薬庫というのはザラ、海上自衛隊の基地も周辺から丸見え。 この点は戦前の軍隊から一歩も進歩しておらず、本土が戦場になることを全く考慮していない現れである。飛行場の戦闘機の掩体壕さえいくつもない。緒戦で航空基地が狙われるのはこの度のウクライナ侵略出はっきりと知らされた、では日本はそれに対応しているだろうか。なぜ日本は負けたのか、その反省は全方位にわたって全くなされていないと言わざるを得ず、このままでは本当に「戦闘」が始まり又「国民」の犠牲が強いられる。
また 長くなるのでこれまでにして、事前見た本で付箋の付いたのがいくつもあって、見直しては認識を新たにしたり確認することも多いが
このごろ目を通した本をいくつか記録しておこう。
*イスラエルとは何か Y.M.ラブキン菅野訳 平凡社新書
*逆説の軍隊 戸部良一 日本の近代9 中央公論社
*新技術の社会誌 鈴木淳 日本の近代15 中央公論社
別して「東京の暮らし・川本三郎」潮出版 で 最後の章の「小さな古書店」
の後ろの方に「本は古書になってはじめて価値がわかるという。ベストセラーになった本は古書店ではほとんど無視され、少部数の本こそ大事にされる。いい本というのは時間と共にゆっくりと味が出てくるものだろう。」
というひとくさりにも出会った。
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