閑寂肆独白

ひまでさびしい本屋のひとりごと

「石橋」について

2017-06-28 21:00:36 | 日記

 徳川幕府の時代、街道令というものがあって交通機関を整備した、それに倣って各藩でも領内にいわゆる「往還・宿・次」を整備したことは知られている。また一方で内乱・戦闘に備えて河川に橋を架けさせなかったことも知られている はずなのに、このことはほとんど周知・認識されていない。 映画・TVの時代劇で出てくる橋は まず城内・城下であることに気づいていない。この筑後一円はいくつもの川やクリークがあるけれど 江戸期には どこにも橋は架かっていないのではないか。「いやあるぞ、秋月・柳川にあるではないか」という反論がありそうだが、これらはすべて「城内」の橋である。あるいは寺社の境内で、町奉行・寺社奉行などの管轄内のことで、城内などの線引きを出ればどこにも橋はなかった。ではどうしたか などについてはまだ書くことはあるけれど、今回の主題は「石橋」である。「石橋は生きている」(1994・葦書房刊)というのが手に入って、中に鉛筆の線引きがあったので消ゴムで消しながら方々拾い読みをしていて、「これは変!?」と思ったことを記する。著者は土木屋さんで諫早の石橋の移転修復をした人。石橋の歴史とその背景などをよく書いてあるとは思ったのだが、長崎の中島川の石橋群は有名だし、ここから話が始まるのは定石なのだけれど、そのあと 大牟田の早鐘橋、以下通潤橋ほかの山中の石橋について これらが「水路橋」であったことについて説明がなく、重ねて、早鐘橋に至っては通した水は「干拓でできた田を潤すため」という明確に間違った説明(本文16p)。他の橋についても百姓や庄屋の努力に触れてあるけれど、谷向こうの「高台に水を送るために」ということに触れていない。これらの石橋は人や馬が通るためのものではなかったことに触れず、年貢米を運ぶのに深い谷を上下する難渋を解決するためとあって、さらには青の洞門の例まで引いて、「通行の便」をはかったと書かれている。これは明らかに間違いであろう。江戸の交通の基本を弁えていないからこのようなことが書けるのだといえる。そもそも現地の地形を見、通潤橋は人が通れないという現物をみればわかると思うのだが、「人馬の通行の橋は架けない」という江戸時代の大前提を理解していないと、ただ節約のために狭く作った としか見えないのだろう。 この本の後尾には綿密な石橋の一覧があるけれど、この表にこれらの橋が人が通るものか水路かの用途の分類・区別がしていないのは この著者の視点からして当然なのだろうけれど、江戸期の橋という観点で認識の「大間違い」と言わざるを得ない。 前便にも書いたけれど、「怪しい」本が結構多い! 「本」に書かれてしますと訂正するのが大変。どんどん一人歩きをして飛んでもないことになるのだ。  「ちょっと物知り」「これは便利」程度の軟表紙本は十分心して、「著者」「出版社」「引用」「索引」などをまずチェックしてかからねばいけない。 「買ってはいけない」古雅書店版 ということです。
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ずっと若いころの話ですが・・。

2017-06-23 22:32:12 | 日記
 学生時代 まわりに 外国人、それも今のようにアジア系ではなく 英・独・仏語圏の人が割と多い大学でした。田舎なら長靴をすぐ引っ張りですところですが 都会ではちょっと格好悪い。傘だって今のように大きさの種類もなく女性用はいくらか色相の違うものもあったけれど、という頃 その「外国人」たちはほとんど傘を使わない。 帽子を(多くはウールの まれにレインハット)かぶってステンカラーの襟を立てて雨の中を足早に歩くのは(彼らはまず走らない) いかにもカッコよくって どこかでまねてみたいものだと 思っていた。 少しのち 憧れのバーバリーのコートを買ったとき早速まねてみたのだけれど、地方の都市では実に様にならない。 傘を持たないことを「カッコいい」どころか「この雨に傘の用意もしていないのか」と・・。
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身の回りの「トラブル」と「本」について少々。

2017-06-23 21:09:13 | 日記
 まったく私事ですが ちょっとした手術を受けました。 最初その話になった時、「簡単ですよ、すぐすみますよ、立ち合い?そんなもの要りません」ということだったのだけれど いざ「では」となったらなんと3泊4日の入院が必要 とのこと。びっくりしたもののそれは医者の方からしてみれば当たり前のことだそうで 「手術」の持つ意味を弁えていなかった 小生の認識不足なんだそうな。思えば心臓病の疑いありというので検査してもらった時もそうだった。「1日で済みます」というのは「手術」そのもののことであって、前後に検査と様子見 で結局2泊3日だった という「経験があったのに! で 当然ながら「閑中」何を読むかで迷ったわけだが ずっと前、そう35年くらい前に肝炎で入院させられた時は長帳場を覚悟して、漱石全集の書簡編を持ち込み 「読む」のではなく「筆写」しました。「候文」をものにしようという目的と、漱石は方々から借金の申し込みが多かったのだけれど、その断り方もうまかったと聞き及んでいたので その辺の文章の機微を少しでもうかがい知りたいと思ったからでした。もっとも、わが方には借金の申し込みをする人はこれまでになく、そのノウハウを生かす機会もなく もう忘れてしまいました。で 3日間何を読むか? 大きい本は寝てみるのに困る(まだ腕が痛い)ので手元にあった文庫から、谷沢永一「文豪たちの大喧嘩」 横井清「中世民衆の生活文化」上中下 それに変体かなの入門書。 2点の本は選んでよかった。大変面白く、かつ目から鱗的知見を得て いかに物を知らぬか 改めて知らされました。谷沢永一氏は 我店にとって長いお付き合いの よく買ってくださるかたでした。ただし面識はなく もっぱらはがきでの注文をいただき、品物をお送りしただけのこと、おそらく日本中の古本屋に付き合ってくださっていたはず。亡くなった後 手紙があったら という問い合わせがあったけれど わが店にいただいたのは葉書の それも「書籍注文」の後に目録番号と署名が書かれているだけ という実にそっけない「実用一点張り」の文面で しかもペン書きの字はお世辞にも達筆とは言い難く ほとんど保存していなかったし、ほかの店にも同じ用なものはいくらでもあると思って照会しませんでした。 ずけずけと物を言う人だとは聞こえていたけれど、渡辺某とウマが合って 共同で本を出すのが小生としては気にいらなくて ちょっと距離を置いていたのですが、この本を読んでよかった。鴎外を結構辛辣に論証・批判してあるのが 僭越ながら以前から小生ももやもやと感じていたとを吹き飛ばしてしまったのは快感でした。これ以上は別に機会あれば・・。 横井氏の方も 方面は違うけれど似たような感想です。10年も前に出ている本だけれど これに応える論証があっているのかどうか確かめなくてはいけないだろう。著者自身の研究のたどり来る筋もわかるし自身の不足の検証もなされて 良い本だと思った次第。 ことは京都奈良方面が主で これは残された資料の多寡によって仕方がないことかもしれないけれど このような視点で わが柳川・三池地方の中世以降の庶民生活を もっと知りたいし また もっと具体的に探査・精査すべきと 強く思った次第。江戸の中期まで下がっても 村や町の生活はほとんどわかっていない。
 徳川幕府になって あてがわれて入り込んだ、いわばよそ者に過ぎない領主・大名 またその臣下を いまだに有難がり、武士だった士族だったなどということを自慢する輩が減らないのはどうしたことか。 明治維新以来150年たついまだにである。いい加減に目を覚ませ と言わざるを得ない。
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PCトラブル続く、 軟表紙の本

2017-06-19 21:52:10 | 日記
 PCのおかしくなったことは既報ですが まだ完全復帰には至っておりません。本当に「金喰い虫」ですね!いい加減にしてほしいものです。
Amazonの 登録システムが変わった。これも 我々にはろくな説明はなく 一方的に「こうなりました、今月末までに変更の手続きをしないと契約打ち切り」 よくわからないまま指示に従って 変更はできたけれど、携帯を手元に置くことが必須! 接続ごとに携帯に「認証番号」なるものがメールされそれを入力しないとAmazon が開けない! なんと一方的で乱暴な措置だろうか! 決して安くはない登録・手数料を取られているのにこの手間の負担はなんぞ!?  
 せんだってからの買い入れでせいぜい数年前の新書・全書あるいはそれに準ずる「軟表紙」の本をまとめて買った。本を見ればその人の教養の程度が知れるのは まあ当然。これまでも結構見てきているのだけれど、外から見て思っていたより「良い・程度の高い」本をいただくのはうれしい。その人の(わが方からの)評価は高くなり、「本」についての話ができると期待ができる。しかし その逆は困る。「なあんだ、この程度のことだったのか」ということになると 次に会った時の言葉が難しくなる。このたびも 当地の「知識人」と目され、ある分野では(地方では)第一人者と思って、これまで幾人かに紹介したりしてきた人の処分品だが その内容にまったく失望。別のある大学教授の研究室の整理を頼まれ、伺ってみて「なんだこれは!」また ある教授の学内論文の抜き刷りを送られたので一読、これも「なんだこれは!」いずれもその書棚に並んでいる本は 「軟表紙」。文庫・新書・ムック等々。今出版業界は厳しく、以前のような「菊版・堅表紙・函」は出にくくなっていることはわかるけれど、これでは「知識の程度」のお里が知れる。 点検のためにパラパラめくりながら目についたところを拾い読みするのだが、まあ程度の低い、デタラメ本の多いこと。小生の関心の地名・姓・技術史などの項目で明確な「間違い」や説明の不足・偏向の本のなんと多いことか。  出版社「売り」が問題だし、校訂がいい加減なことも問題。これらについてはまだ書くことはいろいろありそうです。新書・全書・B6の軟表紙、いわゆる「ハウツー・ちょっ物知り」程度の本は相当いい加減なものが出回っていることをお知らせしなければならない。またその程度の本の知識で ちょっとしたサークルなどで「講師」としてしゃべっている連中は ダンゼン要注意 です。
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多事多難 どうしてこんなに・・・。

2017-06-06 19:33:36 | 日記
 PCが壊れたことは報告しました。その後 本当に次々と いろいろな出来事あり。PCに関してはあきらめて新しいラップトップを買いまいした。以前のと同じ作動能力であればもっと高額な機種だというのだけれど 今の我が家の要求にはそれほど高い能力は要るまいということで少し安価な機種を購入したのだけれど、残念! 動作が遅い!  まあそれほど急ぐ仕事ではないので慣れればいいかとあきらめた次第。 それはそれとして 三井三池に関してまた来客あり、九州産業考古学会の催し、総会あり。 それよりも 先の丸善展覧会の後遺症で 左腕が 使用不能になりました。痛くて物が持てない! 〆て数百キロにもなる本をつかんでは箱に入れ 1箱あるいは一括十数㎏になる本をつかんでは車に積み、という動作を繰り返すのですから いくら昔から鍛えていますといってもねえ・・。 6年ほど前一度まったく腕がまいってしまうことがあって以来気を付けてはいたのですが、今回はダメでした、やはり寄る年波ということでしょう。おそらく2か月くらいはシップとお灸のお世話になることでしょう。 ことは本をどうするか、だけではなく 趣味のcelloにも係わっていまして はじめは忙しくて、という理由でしたが その後は左腕が「痛くて」という訳で この一か月半楽器に触ることなく過ごしてしまいました。昨日 オソルオソル 弾いてみましたが 腕のくたびれが ひどく まだまともに弾けません。
 このところ 買い込みの話が立て続けにあるのですが 小生と同年配かその少し上の方の話が多く まったく「商品」にならないものばかり。形は「本」であっても 今や紙屑 という「本」のいかに多いことか! 断り切れずに持って帰るものが結構あるのだが、改めて見てみると「ゴミ」かと思うものが多い。もっと「商売」に徹しなければならない と自戒すること多し というこの頃です。
 産業考古学会の見学バスツアーは まったく「楽しい」 参加者のほとんどがそれぞれ一家言を持った人たちなので 行く先々での話や議論の程度が深い。 普段は入れないところを見せてもらえるし 小生にとっては 得難い経験のできる会です。
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