閑寂肆独白

ひまでさびしい本屋のひとりごと

お盆の実感

2014-08-17 05:30:18 | 日記

また間が空いてしまったけれど、この間書くことがなかったわけではない。このブログには「本」に関することを書くことにしているのでそれ以外の事であれこれやってはいたのです。新聞等への投稿や機関誌への掲載文等いろいろ書くことは多い。 このお盆の数日、吾店はまさに閑古鳥。通販の作業しかやることなし、という状況でした。これまでも来客が減っているのは実感していたけれど、こんなにひどいことはなかった。 以前はお盆や暮れに帰省した人で ちょっと本屋をのぞこうか、という人があって、久しぶりの会話、情報交換があって、吾店もよその店や大学、学会などの話を聞けて楽しみであったのだけど、そういう来客がまったく絶えてしまった。 大牟田出身で大学に残った、あるいは研究機関へ勤めたというような人が少ないのは以前から言われていた。(それは高校の卒業名簿を見るとよくわかることでもありますが)そして今のネット時代、本屋に足を運ばなくても事足れりというわけか。古本になじむというのはそんなことではないでしょうに。 何度もこのブログで書いているけれど、この街には本を「必要」とする人、すなはち研究者、文章を書く人、批評・講評をする人等がいないのだ。 たとえば短歌や俳句を「趣味」としている人は結構いらっしゃるけれど、実作に懸命な間は「本」は読まない。本当はたくさんの本を読めば、あるいは読まなければいい作品は生まれないのだけれど、それと自覚する人は少ないし、少し「上手」になって他の人の批評等するようになって「自分の言葉」少なさ、知識の狭さに気づく。気づいたときはすでに本が読めないという話は実に多い。山はいきなり高くはない、裾野がなければ高くはならないのでわかる通り、本を読むというのは知識の「裾野」を広げることなのだが、わが町の人々には無縁のようで、「今すぐ役に立つ」のが「本」という人ばかり。  あまりお客さんの悪口は書きたくないのでこれまで、しかしそれにしても、さびしい、それは吾店がはやらないというだけではなく、大牟田の「文化」という観点からして決して褒められたことではないからだ。

 

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