閑寂肆独白

ひまでさびしい本屋のひとりごと

 コロナのせい?と 文化の違い

2021-05-30 21:10:35 | 日記

 このところ我店の前の人通りがめっきりと少なくなった。世の言う「コロナ渦」のせいでしょうね。もともとほとんど出入りのなかった我店は文字通り「閑古鳥」。 それでも最近はぼちぼち「暇を持て余した」らしき若い人が入ってくるようになったと実感しているところです。ただし売れるものは均一本・文庫・新書程度。売上はもとより「我店の本が売れた」という実感を得るにはちょっと遠い。 というところに、このところ炭鉱関連の買い入れが続いた。
 三池のものも含んではいるけれど、いずれ「新太郎さん」ばかりでまるで面白くない。売り手はネットなどで「相場」のようなものを知ってのことでやりにくい。価格はつけ放題で
いくらでも付けられるけれど、果たしてその価格で「売れるか!」 素人衆は高い値段のついているのを見て「これは幾らくらいするぞ」と思う(らしい)けれども、安い価格の出品がその横にあることを見ていない。 バブリーな頃の価格をほったらかしにしていまだに変えていない店は多い。「今時そんな価格で売れるかよ、それよりそんな価値のある本か?
」と思うけれどよそ様の値付けにケチはつけられない。説明書きをよく読んで頂いたうえでの「お客さま」の良識的判断をひたすらお願いするほかはありません。
 ところでわが身の恥ですが、このところ「読書力」がめっきり減ったと実感しています。通俗小説でさえ持続して読む気力がなくなった(とは言いたくなくて「減った」としておきたい)ようで心底困ったと思っています。 小説ではない、かと言って論文でもないのは何というのか、「〇〇ニ関する云々」といった本はよく目を通すのですが、最近では「細雪」に関した本が面白かった。 ずっと以前、神戸・山の手、芦屋、西宮あたりの「お金持ち」は大変なものだがマスコミが東京一辺倒なので知られていないだけ、本当のお金持ちは「目立たない」ものだと聞いたことがある。実際、以前芦屋のある個人美術館を訪ねたことがあるが、〇丁目の番地一つが一軒の家、手入れの行き届いた植栽と長塀に門構え、という家がいくつもある。 九州の田舎にもこんな家はないわけではないけれど、現在の「資産価値」だけでなく、実業家としての実際の収入はおそらくけた違いではないかという家々。
 羨んでも仕方がないけれど、そういう階級の人が「伝統文化」をささえてきた、し、これからもそうなんだろうと思う次第。プロレタリアートが生む文化とは「意味」の違う世界があると認識しておいた方がよい。「成り上がり・成金」にはマネのできない世界があります。
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お勧め本を見つけました。

2021-05-03 20:01:14 | 日記
 
お勧め本を見つけました。 早速その本の書名を紹介します。
「日本人はなぜ存在するか」與那覇潤・著。集英社インターナショナル刊。
です。 日本独特の「戸籍法」「寄らば大樹主義」「歴史のすり替え」など
多岐にわたって「日本人の根拠は一体どこにあるのか?についてわかりやすく説いてある。 ヘイトスピーチをやっている連中に「読み聞かせ」してやりたい本です。連中はまず「本」など読みはしないことが分かっているから!
 小生は以前から「元日本人」は熊襲・隼人とアイヌだと言ってきている。
彼らの安住に地に主に朝鮮半島から流れてきた人々(よそ者)が少しずつ増えていつの間にか「俺らが主人公」だと言い張るようになったのが「日本人」の歴史、ひいては天皇一族の歴史だと思っている。
わかりやすく言えば「アメリカ大陸」のインディアンと白人の関係と全く同じ。
 よそからの移民・流人に過ぎない連中が「智慧・技術」の優位で元からの住民・民族を席捲していった歴史に過ぎない。
 聖徳太子という送り名の人物は学問的にはすでに存在を否定されて久しいがいまだに文科省は譲らない。その人のモデルといわれる「厩王子」の母親は任那かどこかの人であることは学問上わかっている。彼らがいた時代は上流階級の公用語は朝鮮語であったのだ。それは世界史の中でも珍しいことではない。例えば英国のキングジョージはもともとドイツ(統一以前の)のある私領土の皇太子で、英国の皇室で跡継ぎ問題が起こった時、その親戚の中から選ばれて英国王になった。彼はドイツに生まれ、育ったのでドイツ語しか話せない。そこで数百人の側近を帯同して英国に入った。その結果彼の君臨した時期の英国皇室はドイツ語が当たり前だった。そこにヘンデルがいたことも有名。その当時の英語は「古英語」すなわちシェークスピアの世界の「英語」である。 日本でも奈良朝のころは朝鮮半島からの帰化人や往来が多く、上流階級の人々は普段に朝鮮語を使い、文章は全部漢文であったことを知らなければならない。大和言葉が定着し文字に現れるのはズット後、平安時代に入ってからなのだ。
 この本の話に戻れば、日本人の曖昧表現もあって、「日本人」とは何を根拠に言うのか法律の分野でもかなりあいまい。小生は文章表現能力に欠けているので言いたいこと、この本の魅力を伝えられないのは悔しいです。今入国管理局のことが問題になっているけれどこれも「日本人」の定義がかなり恣意的であることも関係している。
 皇室の世継ぎ問題も差し迫っている。万世一系・男系天皇なんてちゃんちゃらおかしい、自らが日本の歴史を否定してかかっていることを知らなければいけない。明治政権の敷いた水戸学・皇室至尊主義の化けの皮をはがす時が来た。

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