閑寂肆独白

ひまでさびしい本屋のひとりごと

観鳥会に参加・・鳥はいなかったけど・・。

2015-07-18 22:03:40 | 日記

久留米の野鳥の会主催の「三池島で紅アジサシを見る会」に夫婦で参加しました。晴れ男の本領発揮。 台風一過の好天気。大川の若津港を出て、ズット南下、大潮の満潮時で海苔の栽培時期ではないので初島も近くまで寄ることができるというおまけつき。肝心の三池島では 絶好の好天気なのに鳥の姿は全く見えない。昨年はこの同じ時期に多量のアジサシの群れの飛ぶ姿を見ることができたそうだが・・・。 「あ~あ、残念」という声を残して帰らざるを得ませんでした。記録によると年ごとの変動は激しく、その原因は分かっていないとのこと。はるばるとオーストラリアから渡ってくる鳥たちの「安住の地」になってほしいと思っているのだけれど、さて今後戻ってきてくれるでしょうかねえ。  帰路は ちょうど引き潮の最中、岸に近くなって、筑後川の澪筋ではすごい勢いで潮が退いていくのがあちこちに建てられた目印の棹を見ているとわかる。まるで大雨の後の河である。水を切った航跡?が5~6メートルはあろうか、大変な量の水の流れ! かつて潮干狩りに行ったとき、上げ潮の速度の速いことに驚いた覚えがあるけれど、今度はその反対で、おそらくまともに立ってはいられないであろうすごい勢いの「引き潮」を目の当たりにできたのは貴重な経験。また干満の差もよくわかる。最大6メートルというのも現実のものとして見ることができた。当然ながら、デ・レイケ導流堤も十分みることができ、本流と傍流の泥の堆積の違いも目の前で確認。 ズット以前初島を近くで見たときは関心がなかったけれど、初島と三池島の構造の違いも、今回は調べていたたこともあって大変興味深く見ることができた。三池島の保存の話が出ていたが、もし大牟田市が引き取っても、自然保護区として残すのであれば費用は掛からないだろう。いま「いくら費用が掛かるかわからない」とか「安全性の確保が難しい」などといういいわけだが、これは手を付けたくない「ためにする理屈」でしかない。要するに世界産業遺産と同じく「観光資源」になるか、するか、という前提で話をしているわけで、「残す」ことの本来の意義とは話がかみ合っていない。 小生はお役所が絡むのは本当に「要警戒」と思っているので世界遺産ももちろんだが、我が204号電車を市に「何とかしてよ」とは言いたくない。お役所の連中にベニアジサシの繁殖地なんてわかりっこない、と確信もっていえる。荒尾のラムサール条約の指定だってその時は騒いだけれど、世界遺産の話がでたらもう「忘れたのかい?」といいたくなる体たらく、こんなことこそ市民はもっと知っておかなければならない。

 

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PCのこと、そして今の世の中の事

2015-07-13 22:04:35 | 日記

6年くらい使ってきた 店のPCがウィンドウズの事もあって変えた方がいい。 というのでさる人にお願いして 新品に取り換えることとした。以前の交換の事は覚えていないし、他の電気器具よりは多少は手を喰うであろうことは予期してはいたけど・・。土曜の午後3時間の作業、終わったと思って電源を切ったら「再構築」云々で切れるまで4時間、しかもわが家にとって肝心の機能が動かないことが解かって、翌朝電話とメールのやり取り。結果、小生では対応できないことが解かって月曜に再度来てもらった。これも2時間以上かかって「終わった」と思ったら音声が出ない!さらに半時間かかってやっと音が回復。「ではこれで」と帰ってもらったのだが、その後電源を切ろうにも一昨日と同じく二時間たっても 半分もすすまない、「回復しています」で電源が切れるまであと何時間かかることやら。 新しくなったアウトルックの画面も全然面白くない。「機能の充実」は結構だろうがもっと簡便に対応できるようできないものだろうか。ごちゃごちゃと断りのなしに付加するよりも、基本だけにして、必要な人が必要なだけ加えるのでいいではないか。 先に入れた複合機の説明書の書き方も然り。 ある機能の説明が スイッチを入れた、の二つ目から「あれもできます、これもできます、このれはこう、そちらはこう、」と例外的機能を次々と書いてあるので、基幹的操作を知るのに項目やページを飛び飛びに読まなければならない。こんな説明があるか!  車でも、他の電化機器でもカギをもらえば、電源を入れればその場で使える。 なんでPCはこんなにややこしいのだろうか。一般化し始めてもう30年を超えるというのに、簡便になるのとは逆!製造社は考えなおしてほしいものだ。 それにしても吾店はPCについては本当についていない。リースやHPの作成についてこれまで「ああよかった」とすんなり喜べたことがない。これから何年付き合うことになるかしれないが、正直言って困った存在でしかない。これ以上のトラブルはごめんこうむりたい。話変わって  店先で「これは面白そう」と思って読み始めてやめられなくなる本が時々あります。本日それにあたってしまった。今の風潮が昭和初期の戦争前夜とにいていることはこれまでにもさんざん言ってきた。まさにそのころのに生きた人物の評伝である。黒岩比佐子著「パンとペン」堺利彦の事を書いた本。まだ半分までいかないところだが、 今の政治状況の鏡を見ているようで面白く読んでいる。  オスプレイに関する小生の紙礫の効果は知れない、他にもあれこれ言ってはみるものの「ごまめの歯ぎしり」というのが本当に歯がゆい。最近、今の政権を動かしているのは「日本会議」だという記事も見た、やっと出てきたなという感じであるが、そのメンバーを見るとまさしく「戦前・皇国日本」。自由民主党はいっそ「US・天皇大政翼賛会」と名を変え、霞が関は「ペンタゴン出張所」といった方がよいのではないか。これらについては今後もまた書くことになるだろう。 戦前の日本がよかったといまだに思っている人は度し難い存在だとおもうが・・・。

 

 

 

久買ってきた

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知らざるを・・・。

2015-07-06 08:59:17 | 日記

本の山に囲まれて生活していることはまあ 当然のことですが、時々「これ全部読んでるんですか?」という質問をする人がいる。そんなわけないではないか。昔から「古本屋、背文字ばかりの学者なり」という川柳?戯れ句?で言われているでしょ。 これは単にたわごとではないと思う。書名・著者・出版社、本の顔付きを見ればざっとしたの本の「存在感」は知れる、それに目次・前書・跋に目を通せば大方の事はわかる、それができなければそもそも古本屋はやってゆけないだろう。長年やっていればという「経験論」は古本屋には通用しない。「経験が・・」というならそもそも「本」はいらないことになる。 長くなるのでこれに関しては別の機会に譲ろう。  それでも前に書いたように「読まなければならん」「目を通しでおいた方がいい」 そして「これは読みたい」という本は相当ある。 またちょっと 拾い読みのつもりはがこれはこれは!という本も結構あります。それはたいてい「知らなかった!」とか普段思っていることを「ここに書いてある、こう書けばいいのか」といううれしい発見も多い。  ずっと以前、ちょっと見知った女性が店先で韓国・朝鮮を非難し、天皇を崇敬するという、いわゆる右翼発言をするので、ちょっとまってよ「日本人のほとんどはもともと在日でしょ、聖徳太子と呼ばれているいたかどうかわからない人の母親ははっきりと朝鮮人ですよ、それに明治になるまでの、ことに江戸時代に天皇の存在を知っていた人間は日本中にほとんどいなかった、ここいら(大牟田周辺)の庶民の九割九分は知らなかった、天皇・天皇と言い出すのは明治になってから、たかだか百年でしかないのですよ」と言ったら、ものすごい形相で小生を睨めつけて何とか「罵詈」を浴びせて出て行ったことがありました。 それがお客さんから買った本の中に文藝春秋の今年の四月号があって、捨てる前にちょっと「目を通そうか」と。 ありましたね、本郷和人「誰も古典を知らない」というコラムです。主題は他にあっての文の中に、上に書いた小生の言ってることと同じことがあるではないか。文藝春秋という雑誌はまず普段は仕入れないし、手に入っても見ることはなかったけど、これは拾いものでした。  それにしても読む本、目を通す本、どれをとっても何か新しい発見がある、知らないということを知らされる。  これも以前から言っていることだけど。本を読まない人はまず「頭が高い」「知らざるを知らない」ですね 今の自分のちっぽけな知識と価値観に満足し、知らざるを知ろうとしない全くの高慢ちき だと断言できる。                                         店で使っているデスクトップPCを買い替えなければならないことになった。親会社が勝手にサービスをやめて使えなくなるというのはおかしい、ハズですよね、車だって13年以上乗ると税金が高くなる。「物を大切に」というのはどこへ行ったのやら。

 

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