閑寂肆独白

ひまでさびしい本屋のひとりごと

或る市場(業者の交換会)の風景

2020-08-09 22:03:57 | 日記
 
 退官前の大学教授の書庫の整理品といって、20~30冊位をきびった(九州の方言らしい、括ったというべきか)物が5・60本以上、軽のライトバンで3台くらいの出品だという。事前にメールで送られてきた写真でも実に大雑把な括りようで玉石混交はわかっていた。買う気は薄かったのだけれど「何かありそう」という感じで出かけました。
 全く分類・整理されておらず或る程度の嵩が揃うよう片端から括ったのが歴然。くくりの中に「これは」と思う物のないわけではないけれど、泣き別れになった本も多く、以前売ったことのある本、いまだわが店に鎮座している本も結構ある。そのくくりの他の物を見ると買う気を減退してしまう。結局 場賑わせにいくつかと、これは欲しいな、という物2・3点に札を入れたのだが、結果はタコ。二番札ばかりで、或る業者の儲けの邪魔をしただけで終わってしまった。 片付けの期日の迫った話で整理・分類する時間がなかったそうではある、結局結果はそれなりの金額になったようだけれども、もしわが店にこの話が来たとして、果たして引き受けきれたかどうか?この処分者である「大学教授」はあちこちの古本屋を知っていてわが店の事もご存知であったそうであるが我が方は心当たり無し。 前項で大學関係者の買い物はほとんどないことを書いたそのいとまもなく「大学教授の処分品」という話が飛び込んで来るのは「当てつけ」か、とひねくれてしまうではないか。 それにしても出品の約半分以上の嵩の品を買ったM君は その場に座り込んで括りを片端からほどくとすごい勢いで仕分けを始め、あれよあれよという間に片付け、ホボ6割(軽バン一杯くらい)を「これ捨ててください」。 そうなんです。我が家に持ち帰ってとりあえず倉庫に、なんて考えるからどんどん売れない荷物が増えるのです。 これは見習うべき風景でした。
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いまさらながら場所柄の違い。

2020-08-06 08:32:34 | 日記

 先だって小生より若い同業者が「これ面白かったですよ。古賀さんも興味あると思う、もう読んでしもうたけんあげます」 という本。神戸で定年前に退職し「念願の」古本屋を始めた人の本。日誌あるいはブログの集積のようなものだ。 一読して少しびっくり、小生も知る人の名前がちらほら、著者は「社会主義協会」「社青同」の活動家だったようで、向坂逸郎以下の名前が出てくるのは当然なことだけれど、三池労組の後を引く人とつながっているのに興味を持った次第。 その古本屋の成り行きについては、さすがに神戸という「都会」であることを知らされる。古本屋の一番の仕事である「買い入れ」のことが良く書かれているが、相手のお客さんの層、種類がわが大牟田とはまるで違う。 現役・元含め大學教授・講師というお客さんが次々と出てくる。 わが店を思うとこの40年の間に「大学教授」の本の整理は幾人あっただろうか、やっと片手指というくらいでしかない。 大牟田は最盛期にやっと二十万人、今や半分の人口の町だが、かつて40年前は6軒もの古本屋があった。 
 やってくる外来の「古本」に興味を持つ人たちには「大学もないのにどうして?」と不思議がられていた。「文化の程度が高い」という記者がいたけれど、それは違うとずっと思っている。小生が家業としての古本屋を継ぐときかなり熱心に「止めた方がいい、どうせやるなら都会に出よ」といってくださった先輩業者がいらした。「せめて神戸くらいまで出てきなさい」とはまさに有名な(であった)神戸・元町の「黒木書店」の先代。 
 一応大牟田では一番古い家、その当時のこの商店街は殷賑を極めていて、日銭は上がる、
 まず小生は一人息子で家と母を放っておくわけにはいかない、あれこれあってついにこの地を離れきれずに「ネマッテ」しまった結果だ。 このところ一軒片付けの話が続く。
 神戸の買い入れとは雲泥の差であるが これらについては別の機会に。
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