閑寂肆独白

ひまでさびしい本屋のひとりごと

本の売り買い、どんなものが?

2012-08-25 17:03:43 | 日記
 このところ いくつか 本を買って欲しい という 電話がありました。
 一件は例によって文学全集を始め云々というもので、「折角ですが・・・。」
 一件は 三池争議関連 向坂逸郎のもの、そして 全共闘の誰とかの本 というものでした
 「「三池十年」「三池20年」はいただきません」というと「なんで?」という反応。
 それは ごく普通の反応でご同情申しあげるけど 我が家の在庫が何冊あるやら。売り手10人に買い手はゼロ。 「昔 高額で買うた本ですが」とおっしゃられても どうしようもありません。「全共闘の誰かの本は 神田などで×××円で出ているが・・。」「持っていて何ぼの本です。青春の思い出にしてください。我が家では其の半額で置いていても売れる見込みはありません。いずれにせよ 現物を見ないと幾らとはいえないので 三池十年と20年をのけて単行本を箱に詰めて着払いで送ってください、見てから返事します、3箱ですか4箱ですか?」「いやそんなにはない、向坂が数冊、山本が・・。だれそれが・・。小箱一つで済む」と。 それが「関連書が一杯ある」という表現になるところが困る。「本箱に一杯で・・。」というと3段ボックス一つ という話は極めて多いが、100冊もないのでは「出張」の仕様がないではないか。 いかに「本」というものが 一般的には マイナーなものであるか教えてくれる。
 初版本 についてもよくあることで、「安部公房の初版本を持ってるが幾らで買ってくれるか」「開高健の初版本が5冊あるが・・」 いずれも新潮社の「純文学書き下ろし特別作品」
 お判りの方もあるだろう。まったく物にならない。「箱男・初版、函」我が店では100円均一である。「持っていて何ぼ」、所持している「自己満足」用品でしかない。「何故初版本か」という根本的なところを知らないからこういう話が舞い込むことになるのだが 此れについては マスコミの半端な知識の「あおり」記事を書く半端記者の存在が大きい。ただ高額になったことだけを大げさに報道するが 其の「訳」を省く(記者が理解していない、しようともしない)から 一般の人は 「初版本は高い」というだけのゆがんだ情報がはびこることになる。
 争議物の話に戻ると 我が家では「出版されてしまった」本は基本的に「いりません」。
出ている本を「書き直す材料」資料になるもの、「新たな本(論文)が書けるもの」が欲しい。初版本なら数千冊以上売れた本は「いりません」
 せいぜい数十部売れた(発行数ではない)本 そんなものを求めています。
  食べ物屋には色々専門店がある様に 古本屋だって色々です。そんなところをわかっていただきたい。
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倉庫の移転 整理

2012-08-17 09:33:23 | 日記
 又 間が開いてしまった。書こうと思いつくことはたくさんあるのだが 実際に
文章に至らないのが 素人の悲しさ。
 倉庫を移転せざるを得なくなった。幸いに此れならばというところが直に見つかって
九月一いっぱいで移動させる。 ついては其の準備に少しずつ整理を始めたのだが、いまや「ゴミ」
と化してしまった「物」の多いことに困っている。たとえば「レーニン全集」「白秋全集」
学会の報告書の山 大量の発掘調査報告書。etc.
でもうれしい発見もある。ある箱から出てきたのが 野呂邦暢の初版本数冊。
「王国そして地図」「諫早菖蒲日記」「猟銃」「古い革貼椅子」そして「小さな町にて」 
 いずれも帯付き、極美とはいえないまでもまあまあの状態。そして谷川雁の
「大地の商人」母音社版 限定200部本! 思わずムフフ!
 他にもにもあるかも知れず これは楽しみ。しかし 売れてしまってはさびしくもなる。
 商売だから仕方がないが・・・。
 このところ「本」を読まない、ことに「小説」は少ない。文献として眼を通す、調べるという
 用事で本と接する機会は増えている。いろんな新発見、知見はそれなりにうれしいけど、
 「楽しみ」なわけではない。
 これから肉体労働が まっている。体力・気力にはいささか心配ではあるが やらざるを得ない。
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