またしても 間が空いてしましました。このブログには 「本」に関することを書こうと思っているので、小生の他の活動のことを書くのは控えています。 他の活動と書いてしまいましたが、この一か月でも 街づくり、RDFのこと Amenity のこと 204号電車のこと、三池閉山20周年のこと、そして本業では丸善ギャラリー展の準備と 投書はする、手紙・メールも次々とあって結構忙しくしていました。当然ながらあまり「本」を読む気にならないですね。 それでも、整理していた中で目についてつい引き取って読んでしまった本がありました。
「棚田の謎」農文協発行。 熊野の山の中と 能登の海岸沿いの 千枚田に関する考察です。 克明な調査とわかりやすい図入りの説明に大変気に入りました。 また 「米つくり」に大変な労力と時間が投下されていることに改めて感じいったのですが、さて どうしてこんなに「米」に執着?したのか、せざるを得なかったのか、其のところがよくわからない、今の世の中で、しかも町住まい者。農業の中で「米」の比重が如何なものか 実感のない者の言いぐさでしかないことはわかっていますが・・。 年貢が米換算であったことは建前としてあったのは確かですが、江戸時代もかなり早い時期から米以外の年貢がかなりあったことも知られていて、また一般の庶民は米はなくとも生きていた。
いま小生は朝・パンか何か、昼は麺類 夜はおかずだけという のが多いしたぶん一週間米無しでも構わないだろう。またごはんにしても玄米・麦や五穀混じり等の方が好みで、いわゆる銀シャリ は(本当においしい米を知らないのかも)あまり関心がない。喰い物があふれている今 いえることだとは思いつつも米つくりに係わるエネルギーに あきれたという思いはぬぐえず、納得・判然としないのは如何とも・・・。 ちょっと思い返すと 我が大牟田にある「早鐘橋」はわが国最古の石造りアーチの水道橋、有名な通潤橋・霊代橋なども「水道橋」であって人馬の通行のために掛けられた橋ではない。その水も飲料というよりやはり水田開発のためだった。思えば干拓もそうだろう。
歴史の視点を少し見直す・拡げる(小生にとって)きっかけになりそうです
。
「棚田の謎」農文協発行。 熊野の山の中と 能登の海岸沿いの 千枚田に関する考察です。 克明な調査とわかりやすい図入りの説明に大変気に入りました。 また 「米つくり」に大変な労力と時間が投下されていることに改めて感じいったのですが、さて どうしてこんなに「米」に執着?したのか、せざるを得なかったのか、其のところがよくわからない、今の世の中で、しかも町住まい者。農業の中で「米」の比重が如何なものか 実感のない者の言いぐさでしかないことはわかっていますが・・。 年貢が米換算であったことは建前としてあったのは確かですが、江戸時代もかなり早い時期から米以外の年貢がかなりあったことも知られていて、また一般の庶民は米はなくとも生きていた。
いま小生は朝・パンか何か、昼は麺類 夜はおかずだけという のが多いしたぶん一週間米無しでも構わないだろう。またごはんにしても玄米・麦や五穀混じり等の方が好みで、いわゆる銀シャリ は(本当においしい米を知らないのかも)あまり関心がない。喰い物があふれている今 いえることだとは思いつつも米つくりに係わるエネルギーに あきれたという思いはぬぐえず、納得・判然としないのは如何とも・・・。 ちょっと思い返すと 我が大牟田にある「早鐘橋」はわが国最古の石造りアーチの水道橋、有名な通潤橋・霊代橋なども「水道橋」であって人馬の通行のために掛けられた橋ではない。その水も飲料というよりやはり水田開発のためだった。思えば干拓もそうだろう。
歴史の視点を少し見直す・拡げる(小生にとって)きっかけになりそうです
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